基地のない平和な沖縄を

2018年9月22日 (土)

今、考える 「復帰措置に関する建議書」  9月22日

復帰措置に関する建議書  琉球政府  1971年11月

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屋良朝苗氏 琉球政府公選主席、沖縄県知事2期

           
一、  は じ め に

 沖縄の祖国復帰はいよいよ目前に迫りました。その復帰への過程も、具体的には佐藤・ニクソン共同声明に始まり、返還協定調印を経て、今やその承認と関係法案の制定のため開かれている第67臨時国会、いわゆる沖縄国会の山場を迎えております。この国会は沖縄県民の命運を決定し、ひいてはわが国の将来を方向付けようとする重大な意義をもち、すでに国会においてはこの問題についてはげしい論戦が展開されています。
 あの悲惨な戦争の結果、自らの意思に反し、本土から行政的に分離されながらも、一途に本土への復帰を求め続けてきた沖縄百万県民は、この国会の成り行きを重大な関心をもって見守っております。顧みますと沖縄はその長い歴史の上でさまざまの運命を辿ってきました。戦前の平和の島沖縄は、その地理的へき地性とそれに加うるに沖縄に対する国民的な正しい理解の欠如等が重なり、終始政治的にも経済的にも恵まれない不利な下での生活を余儀なくされてきました。その上に戦争による時酷の儀牲、十数万の尊い人命の損失、貴重なる文化遺産の壊滅、続く26年の苦渋に充ちた試練、思えば長い苦しい茨の道程でありました。これはまさに国民的十字架を一身にになって、国の敗戦の悲劇か象徴する姿ともいえましょう。その間大小さまざまの被害、公害や数限りのない痛ましい悲劇や事故に見舞われつつそしてあれにもこれにも消え去ることのできない多くの禍根を残したまま復帰の歴史的転換期に突入しているのであります。

 この重大な時機にあたり、私は復帰の主人公たる沖縄百万県艮を代表し、本土政府ならびに国会に対し、県民の卒直な意思をつたえ、県民の心底から志向する復帰の実現を期しての県民の訴えをいたします。もちろん私はここまでにいたる佐藤総理はじめ関係首脳の熱意とご努力はこれを多とし、深甚なる敬意を表するものであります。

 さて、アメリカは戦後二十六年もの長い間沖縄に施政権を行使してきました。その間にアメリカは沖縄に極東の自由諸国の防衛という美名の下に、排他的かつ恣意的に膨大な基地を建設してきました。基地の中に沖縄があるという表現が実感であります。百万の県民は小さい島で、基地や核兵器や毒ガスに囲まれて生活してきました。それのみでなく、異民族による軍事優先政策の下で、政治的諸権利がいちじるしく制限され、基本的人権すら侵害されてきたことは枚挙にいとまありません。県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を熱望していたからに外なりません。経済面からみても、、平和経済の発展は大幅に立ちおくれ、沖縄の県民所得も本土の約六割であります。その他、このように基地あるがゆえに起こるさまざまの被害公害や、取り返しのつかない多くの悲劇等を経験している県民は、復帰に当たっては、やはり従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島として復帰を強く望んでおります。
 また、アメリカが施政権を行使したことによってつくり出した基地は、それを生み出した施政権が返還されるときには、完全でないまでもある程度の整理なり縮小なりの処理をして返すべきではないかと思います。
 そのような観点から復帰を考えたとき、このたびの返還協定は基地を固定化するものであり、県民の意志が十分に取り入れられていないとして、大半の県民は協定に不満を表明しております。まず基地の機能についてみるに、段階的に解消を求める声と全面撤去を主張する声は基地反対の世論と見てよく、これら二つを合せるとおそらく八〇%以上の高率となります。

 次に自衛隊の沖縄配備については、絶対多数が反対を表明しております。自衛隊の配備反対と言う世論は、やはり前述のように基地の島としての復帰を望まず、あくまでも基地のない平和の島としての復帰を強く望んでいることを示すものであります。
 去る大戦において悲惨な目にあった県民は、世界の絶対平和を希求し、戦争につながる一切のものを否定しております。そのよう憲県民感情からすると、基地に対する強い反対かあることは極めて当然であります。しかるに、沖縄の復帰は基地の現状を堅持し、さらに、自衛隊の配備が前提となっているとのことであります。これは県民意志と大きくくい違い、国益の名においてしわ寄せされる沖縄基地の実態であります。

 さて、極東の情勢は近来非常な変化を来たしつつあります。世界の歴史の一大転換期を迎えていると言えましよう。近隣の超大国中華人民共和国が国連に加盟することになりました。アメリカと中国との接近も伝えられております。わが国も中国との国交樹立の声が高まりつつあります。好むと好まぬにかかわらず世界の歴史はその方向に大きく波打って動きつつあります。
 このような情勢の中で沖縄返還は実現されようとしているのであります。したがつて、この返還は大きく胎動しつつあるアジア、否、世界中の潮流にブレーキになるような形のものであってはならないと思います。そのためには、沖縄基地の態様や自衛隊の配備については慎重再考の要があります。

 次に、核抜き本土並み返還についてであります。この問題については度重なる国会の場で非常に頻繁に論議されておりますか、それにもかかわらず、県民の大半が、これを素直には納得せず、疑惑と不安をもっております。
 核抜きについて最近米国首脳が復帰時には核兵器は撤去されていると証言しております。ところが、私どもはかつて毒ガスが撤去された経緯を知っております。
 毒ガスでさえ、撤去されると公表されてから、ニケ年以上も時日を要しております。毒ガスよりさらに難物と推定される未知の核兵器が現存するとすれば、果して後いくばくもない復帰時点までに撤去され得るでありましようか。
 疑惑と不安の解消は困難であるが、実際撤去されるとして、その事実はいかにして検証するか依然として不明のまま問題は残ります。
 ざらにまた、核基地が撤去されたとしても、返還後も沖縄における米軍基地の規模、機能、密度は本土とはとうてい比較忙ならないと言うことであります。
 復帰後も現在の想定では沖縄における米軍基地密度は本土の基地密度の百五十倍以上になります。なるほど、日米安保条約とそれに伴う地位協定が沖縄にも適用されるとは言え、より重要なことは、そうした形式の問題より、実質的な基地の内容であります。そうすると基地の整理縮小かあるいはその今後の態様の展望がはっきり示されない限りは本土並基地と言っても説得力をもち得るものではありません。前述の通り県民の絶対多数は基地に反対していることによってもそのことは明らかであります。

 次に安保と沖縄基地についての世論では安保が沖縄の安全にとって役立つと言うより、危険だとする評価が圧倒的に高いのであります。この点についても、安保の堅持を前提とする復帰構想と多数の県民意志とはかみ合っておりません。県民はもともと基地に反対しております。
 ところで安保は沖縄基地を「要石」として必要とするということであります。反対している基地を必要とする安保には必然的に反対せざるを得ないのであり。
 次に、基地維持のために行なわれんとする公用地の強制収用五ヶ年問の期聞にいたっては、これは県民の立場からは承服できるものではありません。沖縄だけに本土と異なる特別立法をして、県民の意志に反して五ヶ年という長期にわたる土地の収用を強行する姿勢は、県民にとっては酷な措置であります。再考を促すものであります。

 次に、復帰後のくらしについては、苦しくなるのではないかとの不安を訴えている者が世論では大半を占めております。さらにドルショックでその不安は急増しております。くらしに対する不安の解消なくしては復帰に伴って県民福祉の保障は不可能であります。生活不安の解消のためには基地経済から脱却し、この沖縄の地に今よりは安定し、今よりは豊かに、さらに希望のもてる新生沖繩を築きあげていかねばなりません。言うところの新生沖繩はその地域開発と言うも、経済開発と言うも、ただ単に経済次元の開発だけではたく、県民の真の福祉を至上の価値とし目的としてそれを創造し達成していく開発でなければなりません。従来の沖縄は余りにも国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎてきました。復帰という歴史の一大転換期にあたって、このような地位からも沖縄は脱却していかなければなりません。したがって政府におかれても、国会におかれてもそのような次元から沖縄問題をとらえて、返還協定や関連諸法案を慎重に検討していただくよう要請するものであります。

 さて、沖哺県民は過去の苦難に充ちた歴史と貴重な体験から復帰にあたっては、まず何よりも県民の福祉を最優先に考える基本原則に立って、(1)地方自治権の確立、(2)反戦平和の理念をつらぬく、(3)基本的人権の確立、(4)県民本位の経済開発等を骨組とする新生沖繩の像を描いております。このようなことが結局は健全な国家をつくり出す原動力になると県民は固く信じているからであります。さらにまた復帰に当って返還軍用土地問題の取扱い、請求権の処理等は復帰処理事項の最も困難にしてかつ重要な課題であります。これらの解決についてもはっきりした責任態勢を確立しておく必要があります。

 ところで、日米共同声明に基礎をおく沖縄の返還協定、そして沖縄の復帰準備として閣議決定されている復帰対策要綱の一部、国内関連法案等には前記のような県民の要求が十分反映されていない憾みがあります。そこで私は、沖縄問題の重大な段階において、将来の歴史に悔を残さないため、また歴史の証言者として、沖縄県民の要求や考え方等をここに集約し、県民を代表し、あえて建議するもめであります。政府ならびに国会はこの沖縄県民の最終的な建議に検挙に耳を傾けて、県民の中にある不満、不安、疑惑、意見、要求等を十分にくみ取ってもらいたいと思います。そして県民の立場に立って慎重に審議をつくし、論議を重ね民意に応えて晨大最善の努力を払っていただき、党派的立場をこえて、たがいに重大なる責任をもち合って、真に沖鮪県民の心に思いをいたし、県民はじめ大方の国民が納得してもらえる結論を導き出して復帰を実現させてもらうよう、ここに強く要請いたします。


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《参考に》

「復帰措置に関する建議書」

沖縄公文書館所蔵

「復帰措置に関する建議書」の全文デジタルデータがダウンロードできるようになりました。
以下のタイトルをクリックすると、PDFのデータをダウンロードすることができます。
「復帰措置に関する建議書」の全文デジタルデータがダウンロードできるようになりました。
以下のタイトルをクリックすると、PDFのデータをダウンロードすることができます。
復帰措置に関する建議書
1(はじめに)(PDF 5.5 MB)
2(基本的要求)(PDF 21.0 MB)
3(具体的要求)(PDF 16.6 MB)
また、当館で公開を進めている「屋良朝苗日誌」もご利用ください。
【目次】
1.はじめに
2.基本的要求
(1)返還協定について
(2)沖縄基地と自衛隊配備問題について
(3)沖縄開発と開発三法案について
(4)裁判の効力について
(5)厚生、労働問題について
(6)教育・文化について
(7)税制、財政、金融について
3.具体的要求
(1)沖縄復帰に伴う対米請求権処理の特別措置等に関する暫定法の立法要請(要綱)
(2)沖縄振興開発特別措置法案に対する要請
(3)沖縄開発庁設置法案に対する要請
(4)沖縄振興開発金融公庫法案に対する要請
(5)沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律案に対する要請
(6)沖縄の復帰に伴う関係法令の改廃に関する法律案に対する要請
【資料解説】
 「復帰措置に関する建議書」は、本土復帰に際して沖縄県の声を日本土政府と返還協定批准国会(沖縄国会)に手渡すために作成された建議書です。当館では、その複製版が所蔵されています。
同建議書(約五万五千字)の作成を担当した琉球政府の復帰措置総点検プロジェクトチーム(本部長:副主席の宮里松正)は、県民各層の声に照らして過去二十六年間における諸問題を総点検し、返還協定をはじめ復帰関連国内法案を総括して①政府の行う対策の眼目は県民福祉を第一義とすべきこと②明治以来、自治が否定された過去を省みて地方自治は特に尊重されなければならないこと③第二次大戦で大きな犠牲を蒙り、異民族支配化の基地にがんじがらめにされた沖縄では、何よりも戦争を否定し、平和を希求することが優先されること④平和憲法下の人権の回復⑤県民主体の経済開発―の五つを柱に最終的な訴えの内容を盛り込みました。
 「非常に難事業だった。ぼう大な資料の中から、これまでの要請書や調整文書を取り出して法案といちいち照合、検討し、チームの審議とさらに県民会議の審議にかけて文章化したので時間はいくらあっても足りなかった」(『激動八年 ―屋良朝苗回想録―』p.179)と、屋良氏が述懐している通り、建議書作成は容易な作業ではありませんでした。
 同建議書の完成後、屋良主席は、1971年11月17日、これを持って上京しました。しかしながら、屋良主席の上京の前に、沖縄返還協定は衆院返還協定特別委で自民党により強行採決されてしまいました。東京・赤坂のホテルに着いた屋良主席は、その採決を知らぬまま、報道陣から「ついさきほど返還協定が衆院沖縄返還協定特別委員会で強行採決された。コメントを」と言われました。まさに青天の霹靂でした。屋良氏は、この時のことについて、「呆然自失、なにをいってよいかわからず、コメントを断ってホテルの部屋に逃げ込んだ」(『屋良朝苗回顧録』p.212)と、回想しています。
 その後、沖縄返還協定は11月24日衆院本会議で自民党の賛成多数によって可決され、12月22日には、参院本会議でも可決されました。また、復帰関連国内法案も、通常国会で三十日、自民党の単独採決で可決、成立しました。
屋良氏は、復帰については次のように特別の思いを持っていました。「軍事占領支配からの脱却、憲法で保障される日本国民としての諸権利の回復、そして沖縄県民としての自主主体性の確立、これらが私たち県民にとって、全面復帰のもっている内容です。もっと簡単明瞭にいいますと、”人間性の回復”を願望しているのです。きわめて当然な願望であり要求です」(『沖縄はだまっていられない』p.68)。それゆえに、11月17日の強行採決に対して屋良主席がいかに無念の思いをしたかは想像に難くありません。

<主な参照文献>
屋良朝苗1977年『屋良朝苗回顧録』朝日新聞社
屋良朝苗1985年『激動八年 ―屋良朝苗回想録―』沖縄タイムス社
屋良朝苗1969年『沖縄はだまっていられない』株式会社エール出版社
屋良朝苗1972年『沖縄 今この時』株式会社あゆみ出版社
2012年10月26日朝刊『琉球新報』(見出し:「一条の光 ―「屋良朝苗日記」に見る復帰―」)
【資料コード】
R00001217B(当館所蔵の紙資料の資料コード)
【文書の作成者】
琉球政府
【文書の作成時期】  1971年11月


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私からの一言

 「辺野古に新基地は造らせない」と日本政府と身を削って対峙してきた翁長雄志知事が急逝されて、いま激しく沖縄知事選がたたかわれています。オール沖縄の玉城デニーさんが翁長雄志知事の遺志を受け継ぎ、自らのアイデンティティ―を明らかにし、県民と共に誇りある平和な豊かな沖縄を造っていきましょうと訴え続けています。玉城デニーさんの訴えは心を強く打つものがあります。こういう人こそ沖縄の知事にふさわしいと思います。必ず勝利したいと思います。

 こうした時期に、「前衛」10月号で「琉球・沖縄から見た『明治150年』 ―― 「琉球処分」から続く自己決定権回復への願い」 西里喜行(にしざと・きこう)(琉球大学名誉教授)さんの小論を読みました。
 私の頭の隅には「琉球処分」という言葉はいつもありましたが、その内容についてほとんど勉強できておらず、不十分なままで、‶これは良い小論をみつけた〟と読みました。「琉球処分」の歴史的流れを把握することができ、納得できる内容に感謝しています。
 この中で、沖縄復帰をめぐって、1971年11月に主席公選制で主席になった屋良朝苗さん率いる琉球政府が日本政府に「復帰措置に関する建議書」を提出しようと上京しましたが、国会で返還協定が強行され、建議書を提出する機会が失われ幻の建議書となったというのです。
 そういうことを知らなかった私には驚きでした。
屋良朝苗主席が誕生した時期に、私の知人は誕生した二人の娘に「朝」「苗」と命名した人もいました。
 「復帰措置に関する建議書」は沖縄公文書館に所蔵されていて閲覧できるようになっていました。
 屋良朝苗主席のはじめにという文書を読んで、現在、「オール沖縄」が目指している方向の源流がこの「建議書」の中にあるように感じてなりませんでした。
 これは、知事選は最終盤になっていますが、一人でも多くの人に知ってほしいと掲載することにしました。

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2018年1月28日 (日)

沖縄の人たちを踏みにじった 松本副大臣の許しがたい暴言

〝それで何人死んだんだよ〟 
サンデーモーニングが冒頭で大きく報道

 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

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 28日のサンデーモーニングの冒頭から志位和夫委員長の代表質問の映像なので驚きでした。
松本文明内閣府副大臣の野次発言は沖縄県民の思いを踏みにじるもので許されませんがサンモニが詳しく報道したことはメディアとしての姿を示したと思いました。

「憲法改正、働き方改革など重要な課題が審議されるこの国会なんですが幕開け早々、またも問題発言が飛び出しました」 と橋谷能理子さん。

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1月25日(木)衆議院で日本共産党の志位和夫委員長が代表質問で沖縄の基地問題を取り上げましたが、質問の最中に自民党の松本文明内閣府副大臣が〝それで何人死んだんだよ〟と野次を飛ばしました。

 しんぶん赤旗記者が松本文明氏に確認。本人も認め、26日付のしんぶん赤旗でその事が伝えられました。
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 26日(金)共産党の小池書記局長が記者会見で「死者が出なかったから良かったようなそう受け取られる発言をすることは、これは沖縄県民の感情を逆なでする重大な発言」と抗議。

 同じ26日(金)官邸を訪れた松本文明内閣府副大臣は辞表を提出し受理されました。

番組の中で

谷口真由美さん
大阪国際大学准教授は

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「許しがたいのは、今回の内閣副大臣の、やめられましたけど〝何人死んだんだ〟発言ですよね。死なないと検討しないというか考えもしないということなのか、許しがたい発言でこの方もともと沖縄・北方副大臣やってたんですよね。その時にこんな意識でやっていたのかと思うとこういう方が私たちのリーダーだと思うだけで、国会にそういう人ばかりとは思いたくないですけど、沖縄の事なんだと思っているんだとすごく腹が立って。その上、たぶん会見で「誤解を招く発言をした。ご迷惑をかけた。だから総理に辞表を提出した」って言ったんですよね。違いますよ、沖縄の人たちを踏みにじっていたからですよということが全くわかってらっしゃらない。自民党に迷惑をかけた、ひいては多分名護市長選挙に影響が出るからってことでしょう。選挙だけですかということを本当に腹が立ってしかたがないというのが今回の1週間でした」と事の本質を突いていました。

名護市長選が今日告示されることも番組で紹介されました。

佐高 信
経済評論家

「誤解をまねく」というのが一番腹がたちますよね。誤解のしょうがないだろうという感じ。

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2017年10月13日 (金)

辺野古新基地問題に決着を  沖縄の国難打開を

 今日の「赤旗」一面と、「朝日」の天声人語が際立ちました。
今年の2月に、辺野古新基地許さない、高江の森にオスプレイいらないと沖縄を訪ねました。初日に那覇市の不屈館で「カメジロー」と今も敬愛を集めている瀬永亀次郎さんの生涯からいろいろと学び生きる力にしました。

 11日に高江の民有地で米軍ヘリが炎上。
これは異常としかいえません。2月に高江に向かう最中に2回もオスプレイの飛行と出会いましたが、「いつ落ちるか」といつも不安にさらされている住民の思いはどうだろうかと。

 画面をクリックすると大きくして見れます。

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2017年10月12日 (木)

沖縄県にとって国難とは… 翁長雄志知事 12日

「悲しい、悔しい、そして怒り

このような状況は国に沖縄県が強いられているという意味では、

沖縄県にとって国難というのは、こういう状況だなという感じを

強く持った」


 
写真をクリックすると大きくして見れます。

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2017年8月21日 (月)

沖縄不屈の結束 琉球新報、沖縄タイムス 両編集局長が語る 

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 しんぶん赤旗日曜版が沖縄の今を県民に寄り添って真剣にジヤーナリズムの精神を発揮し続けている沖縄タイムスと琉球新報の両編集局長の思いを伝えました。
 
 しんぶん赤旗日曜版8月20日号から引用させていただきます。

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「無力感」に追いつかれるな
琉球新報編集局長  普久原(ふくはら) 均 さん

Fukuhara
 沖縄の新聞として米軍新基地に反対するのは当たり前です。住民の視点に立てば、むしろ
反対しない方が偏っています。
 1995年の米兵による少女乱暴事件後、私たちの世論調査で、新基地建設賛成が反対を上回ったことは一度もありません。常に反対が6割を超え、8割に達することもあります。沖縄の土地も空も海も、使い方は県民の民意で決めるべきです。
 名護市長選、沖縄県知事選、衆院選の県内選挙区、参院選沖縄選挙区で新基地反対の候補が当選しました。県民は、あらゆる民主主義的手続きで民意を正当に示している。それなのに政府は工事を強行する。政府は県民が諦め、無力感にとらわれるのを待っています。
 私たちは「無力感に追いつかれるな」といっています。政府の意図を見抜き、県民を励まし、力を与える。そんな報道に力を入れています。

「人権侵害正す」報道の原点

 なにより基地問題は人権の問題です。
 米兵犯罪は今も深刻です。米兵が県民を犠牲にする事件を起こしても、基地に逃げ込めばほぼ確実に、証拠隠滅も口裏合わせも可能です。今の米軍基地は治外法権として存在しているからです。
そういう状態を放置していいのか。人権侵害を正す報道はジャーナリズムの原点中の原点です。
 オーストラリアで米軍普天間基地配備のオスプレイが墜落しました。昨年12月には名護市沖に墜落しました。
 オスプレイの沖縄配備を防衛省が発表したとき、知事をはじめ県内の全市町村長が反対しました。民意を一切無視した政府による配備強行は「沖縄に民主主義を適用しない」というのに等しい。どう見ても、著しい人権侵害です。
 しかも日本政府は、オスプレイ配備計画を20年近く隠ぺいしてきました。民主主義の基本である情報の公開性と透明性を欠き、民主主義的な意思表示も踏みにじっている。そういう中で配備を強行し、実際に墜落した。沖縄県民の命をなんだと思っているのか。
 必ず関わる問題
 沖縄の新聞記者は、どんな問題の担当でも、どこの地域を取材していても、いずれぶつかるのが沖縄戦と米軍基地の問題です。記者生活を続けるうちに、自然と基地問題への意識の鋭さは養われます。
 私も入社当時は基地問題への意識は低い記者でしたが、95年の少女乱暴事件が私を根本的に変えました。
 沖縄は、民主主義と人権を自分の力で勝ち取ってきた歴史があります。
世界最強の米軍を向こうに回し、沖縄復帰を実現させました。民意を示すことで、人権を一つひとつ勝ち取ってきたのが沖縄の戦後の経験です。そういう体験がある以上、県民はこれからも不屈にたたかい続けると思います。

日々オスプレイの恐怖実感
沖縄タイムス編集局長  石川 達也さん

Ishikawa
 米軍普天間基地(宜野湾市)に24機配備されているオスプレイの1機が昨年12月、名護市安部沿岸に墜落しました。別の機が同じ日に同基地で胴体着陸し、今回ほかの機が豪州で墜落し、3人の死者を出しました。
 24機のうちの3機が事故やトラブルを起こしたことになります。
こんな航空機がはたして安全なのか。日米両政府が言う「安全」をうのみにはできません。
 私は、宜野湾市の大謝名(おおじゃな)に住んでいます。すぐ近くをオスプレイが飛んでいます。ヘリモードで通った時の振動は下から来る。落ちてくるかもしれないという恐怖で、大きなストレスがあります。
 オスプレイ配備には、「オール沖縄」で政府に撤回を要請し続けてきました。日本政府はアメリカ側に立つのではなく、県民の立場に立ち、配備撤回を求めるべきです。

政府に矛盾点を問い続ける

 沖縄タイムスの創刊(1948年)メンバーは戦前から沖縄で新聞記者をしていました。大本営発表をそのまま報道し、結果として悲惨な沖縄戦を招いたという反省をもとに。二度と戦(いくさ)につながるペンをとらない″という思いで立ち上がりました。その基本的なスタンスは、われわれにも引き継がれています。米軍の被害や米軍が駐留することによる矛盾点を追及していく姿勢の根本はここからきています。
 戦後70年以上たっても、沖縄の基地問題が解決しない最大の原因は、日本政府の姿勢です。常にアメリカ側の意向に寄り添う形でいろんな施策を日本政府が進めてきました。
 実際に被害にあうのは、日本国民たる沖縄県民です。日本政府は主権国家として、誰のために国家を運営していくのかというのを本当に考えてほしい。
 世論の6割反対
 今年春に沖縄タイムス、朝日新聞、琉球朝日放送との合同で世論調査を実施しました。新基地建設に対しては、6割以上の人が反対です。沖縄の人たちは戦後70年以上、基地による過重な負担を強いられてきました。新たな基地をつくることには、強い憤りを持っています。
 日本政府が強硬に工事を進める中、一自治体がどれだけのことができるかは難しいものがあります。翁長知事は、建設ノーのスタンスを貫いて〝あらゆる手段を駆使していく〟と言っている。
炎天下、ゲート前に座り込む県民の行動には頭が下がる思いです。
 われわれメディアは、何をすべきか。沖縄に根を張る新聞社として、新基地建設の矛盾を客観的に伝え続けることだと思っています。
 われわれ報道にいる人間としてはあきらめるわけにはいきません。新基地建設という不条理な話を〝もう何十年もたったからいいです〟とはならない。
 時の権力に対して、一人ひとりの力は小さいけれども、みんながその力を合わせれば、動かすここはできるんじゃないかと思っています。
 これからも変わらず、矛盾点や違和感を政府にも発し続けます。そのスタンスは県民や読者がしっかり支持してくれると確信しています。

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2017年6月24日 (土)

平和宣言 翁長雄志沖縄県知事 2017年6月23日

 平和宣言  沖縄県全戦没者追悼式   

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72年前、ここ沖縄では、住民を巻き込んだ激しい地上戦が繰り広げられました。昼夜を問わない凄(すさ)まじい空襲や艦砲射撃により、自然豊かな島の風景、貴重な文化遺産、そして何より尊い20数万人余りの命が失われました。
     戦争の不条理と残酷さを体験した沖縄県民は、何をおいても命こそが大切であるという「命(ぬち)どぅ宝」の思いを胸に、戦争のない、平和な世の中を希求する「沖縄のこころ」を強く持ち続けています。

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 戦後、沖縄は27年に及ぶ米軍統治を経て、念願の本土復帰を果たしました。沖縄県民、そして多くの関係者の尽力により、現在、沖縄は国内外からの多くの観光客でにぎわうなど、大きな発展を遂げつつあります。

 その一方で、戦後72年を経た今日においても、この沖縄には依然として広大な米軍基地が存在し、国土面積の約0・6%にすぎない島に、米軍専用施設面積の約70・4%が集中しています。

 復帰すれば基地負担も本土並みになるという45年前の期待とは裏腹に、いまだに私たちは、米軍基地から派生する事件・事故、騒音・環境問題などに苦しみ、悩まされ続けています。
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 沖縄県は、日米安全保障体制の必要性、重要性については理解をする立場であります。その上で、「日本の安全保障の問題は日本国民全体で負担をしてもらいたい」と訴え、日米地位協定の抜本的な見直しや米軍基地の整理縮小などによる、沖縄の過重な基地負担の軽減を強く求め続けています。

 しかし、昨年起こった痛ましい事件の発生、オスプレイの墜落をはじめとする航空機関連事故の度重なる発生、嘉手納飛行場における米軍のパラシュート降下訓練や相次ぐ外来機の飛来、移転合意されたはずの旧海軍駐機場の継続使用の問題などを目の当たりにすると、基地負担の軽減とは逆行していると言わざるをえません。
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 特に、普天間飛行場の辺野古移設について、沖縄の民意を顧みず工事を強行している現状は容認できるものではありません。

 私は辺野古に新たな基地を造らせないため、今後も県民と一体となって不退転の決意で取り組むとともに、引き続き、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など、沖縄の過重な基地負担の軽減を求めてまいります。

 国民の皆様には、沖縄の基地の現状、そして日米安全保障体制の在り方について一人一人が自ら当事者であるとの認識を深め、議論し、真摯(しんし)に考えて頂きたいと切に願っています。

 一方、世界では、依然として地域紛争や、人権侵害、難民、飢餓、貧困、テロなどが人々の生活を脅かしており、また、国際情勢はめまぐるしく変化し、予断を許さない状況にあります。

 今こそ世界中の人々が民族や宗教の違いを乗り越え、協力して取り組んでいくことが求められています。

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 今年は、日本国憲法が施行されて70周年、沖縄県に憲法が適用されて45周年になりますが、この節目に、憲法の平和主義の理念を再確認し、私たち一人一人が世界の恒久平和を強く願い求め、その実現に向け努力を続けなければなりません。

 先日お亡くなりになった大田昌秀元沖縄県知事は、沖縄が平和の創造と共生の「いしずえ」となり、再び戦争の惨禍を繰り返さないことの誓いとして、敵味方の区別なく沖縄戦で命を落とされたすべての方々を追悼する「平和の礎(いしじ)」を建立されました。
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 私たちは、沖縄に暮らす者として、この「平和の礎」に込められた平和の尊さを大切にする想(おも)いを次世代へ継承するとともに、未来を担う子や孫のため、安全・安心に暮らせるやさしい社会、いつまでも子ども達(たち)の笑顔が絶えない豊かな沖縄の実現に向けて、絶え間ない努力を続けてまいります。

 慰霊の日に当たり、戦争の犠牲になった多くの御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、平和を希求する沖縄のこころを世界へ発信し、恒久平和の実現に向け取り組んでいくことをここに宣言します。

 2017年6月23日 沖縄県知事 翁長雄志

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2017年6月23日 (金)

誓い~私達のおばあに寄せて~宮古高校3年 上原愛音

誓い ~私達のおばあに寄せて~

 宮古高校3年 上原愛音(ねね)

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今日も朝が来た。

母の呼び声と、目玉焼きのいい香り。

いつも通りの
平和な朝が来た。

七十二年前
恐ろしいあの影が忍びよるその瞬間まで
おばあもこうして
朝を迎えたのだろうか。

おじいもこうして
食卓についたのだろうか。

爆音とともに
この大空が淀んだあの日。

おばあは
昨日まで隠れんぼをしていたウージの中を
友と歩いた砂利道を
裸足のまま走った。
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三線の音色を乗せていた島風に
鉄の臭いが混じったあの日。

おじいはその風に
仲間の叫びを聞いた。
昨日まで温かかったはずの冷たい手を握り
生きたいと泣く
赤子の声を抑えつけたあの日。
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そんなあの日の記憶が
熱い血潮の中に今も確かにある。

決して薄れさせてはいけない記憶が
私の中に
私達の中に
確かに刻まれている。

少女だったおばあの
瞳いっぱいにたまった涙を
まだ幼かったおじいの
両手いっぱいに握りしめたあの悔しさを
私達は確かに知っている。

広がりゆく豊穣の土に芽吹きが戻り
母なる海がまた
エメラルドグリーンに輝いて
古くから愛された
唄や踊りが息を吹き返した今日。

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でも
勇ましいパーランク―と
心臓の拍動の中に
脈々と流れ続ける
確かな事実。

今日も一日が過ぎゆく。

あの日と同じ刻ときが過ぎゆく
フェンスを飛びこえて
締め殺されゆく大海を泳いで
癒えることのない
この島の痛み
忘れてはならない
民の祈り
今日響きわたる
神聖なサイレンの音に
「どうか穏やかな日々を」
先人達の願いが重なって聞こえる。

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おばあ、大丈夫だよ。
今日、私達も祈っている。

尊い命のバトンを受けて

祈っている。

おじい、大丈夫だよ。

この島にはまた
笑顔が咲き誇っている。

私達は
貴方達の想いを
指先にまで流れるあの日の記憶を
いつまでも
紡ぎ続けることができる。

誓おう。

私達はこの澄んだ空を
二度と黒く染めたりしない。

誓おう。

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私達はこの美しい大地を
二度と切り裂きはしない。

ここに誓おう。

私は、私達は、
この国は
この世界は
きっと愛おしい人を守り抜くことができる。

この地から私達は
平和の使者になることができる。

六月二十三日。

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銀の甘藷(かんしょ)が清らかに揺れる今日。

おばあ達が見守る空の下
私達は誓う。

私達は今日を生かされている。

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2016年9月18日 (日)

沖縄県民の気持ちを踏みにじる、国に偏った判断

 沖縄県の翁長雄志知事が違法確認訴訟の高裁判決を受けて発表したコメント全文(9月16日)は次のとおりです。

辺野古新基地 違法確認訴訟判決
  翁長雄志知事のコメント

Img_ad1c711c3315ebdcabc213ae2e27e_3 本日、地方自治法251条の7第1項に基づく不作為の違法確認請求事件の判決が、福岡高等裁判所那覇支部において言い渡され、国土交通相が行った是正の指示に沖縄県知事が従わないことは違法である、との判断が示されました。

 判決は、「普天間飛行場の被害を除去するには、本件新施設等を建設する以外にはない。言い換えると、本件新施設等の建設をやめるには普天間飛行場による被害を継続するしかない」と述べるなど、辺野古が唯一との国の主張を追認するかのような内容となっており、地方自治制度を軽視し、沖縄県民の気持ちを踏みにじる、あまりにも国に偏った判断となっております。
 判決では、公有水面埋立法第4条第1項第1号、2号要件など全面的に国の主張を受け入れており、ことごとく県の主張を退けております。
 例えば、1号要件に関しては、本来であれば緻密に比較衡量を行ったうえで判断しなければならないところ、一方では埋め立ての必要性の中で軍事的な面について踏み込んだ判断を行い、他方では自然環境面については一切考慮しないなど、裁判所がこのような偏頗(へんぱ)な判断を行ったことについては、驚きを禁じ得ません。
 さらに、国地方係争処理委員会についても、「国地方係争処理委員会の決定は和解において具体的には想定しない内容であったとはいえ、元々和解において決定内容には意味がないものとしており」と述べ、地方自治法に定める係争処理制度を軽視するなど、平成11年に国と地方公共団体は対等・協力であるべきとして行われた地方自治法改正の趣旨からもほど遠いものとなっています。

 このような判決は、憲法や地方自治法、公有水面埋立法の解釈を誤ったものであり、到底受け入れられるものではありません。
 裁判所には、法の番人としての役割を期待していましたが、政府の追認機関であることが明らかになり、大変失望しております。
 埋立承認取り消しは、公有水面埋立法が求める要件を丁寧に検証した上で行ったものであり、国土交通相から是正の指示を受けるいわれは全くありません。

 今日までの歴史的な状況を含めて、何故、沖縄県だけが他の都道府県と異なる形で物事が処理されるのか、一地方自治体の自由・平等・人権・民主主義・民意が、一顧だにされないということが、今日、他の都道府県であり得るのか、大変疑問に思います。
 国と地方公共団体が対等・協力の関係であることを定めた地方自治法においては、国の関与は最小限度でなければならないという基本原則があり、地方自治体の自主性と自立性は尊重されなければなりません。
 このような判決は、沖縄県だけの問題にとどまらず、これからの日本の地方自治・民主主義のあり方に困難をもたらすのではないかと、大変、危惧しております。

 今後、最高裁判所に上告及び上告受理の申立てを行い、不当な高裁判決の破棄を求めるとともに、憲法で認められた地方自治が本来の役割を果たすことが出来るよう、力の限りを尽くして訴えてまいりたいと考えております。

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2016年8月23日 (火)

「戦わないために、今、闘っているの」  最後の証言

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「沖縄戦 最後の証言」
おじい・おばあが米軍基地建設に抵抗する理由
 森住卓 著 フォトドキュメント
新日本出版社発行

 ふと目に留まり購入しました。

辺野古新基地建設反対、東村高江へのヘリパット建設は許さないと、闘いに参加している8人のおじい・おばあが自らの沖縄戦の体験をインタビューで紹介しています。

 どの証言にも涙しながら読み進みました。
一人でも多くの人たちに読んでほしいと願って一部を紹介させていただきます。


沖縄戦悲劇の始まり、サイパン島を生き延びて

     横田チヨ子さん(87歳)

〝戦わないために、今、闘っているの〟

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(中略)

 捕虜となる

 二晩ほど山の中を彷徨(さまよ)った。
 父、兄を失い、母は行方不明。自分ひとりで姉のお産が来たらどうしようという不安があった。母が父のいるところに戻ってくるんじゃないかという気がして、結局、父たちの遺体から離れて遠くに逃げることができなかった。
 「日本人は全滅した、自分たち二人しか生き残っていない」と思いつめたチヨ子さんは、海に入って死のうと兄嫁を誘った。しかし、兄嫁は「お父さんは死ぬなと言ったよ」と、海に入るのをいやがる。それでも、自分が先になって海に入っていった。現在バンザイクリフと呼ばれている崖の近くにある遠浅の海だった。
 何時間か海水につかっていたが、死にきれなかった。びしよ濡れで海から上がり、壕を見つけた。逃げ込んだ壕には住民がたくさん隠れていた。生き残ったのは自分たちだけだと思っていたチヨ子さんたちにとって、たくさんの住民がいたことは心強かった。
 そこで知り合った女の子と、近くのスイカ畑にスイカを取りに行くことにした。
 のどの渇きを潤すスイカに夢中で、畑の向こうの丘に米兵が立っているのが見えなかった。すぐに米兵の射撃が始まった。怖くてスイカを抱えたまま俯せていた。銀バエが体中にたかって、払いのけても、払いのけても、体中にたかってきた。周りには死体がごろごろ転かっていた。何時間もじっと動かず、死んだふりをしていた。暗くなって顔を上げると、チヨ子さんを死んでいると思った米兵が去って行くのがわかった。
 スイカを抱えて兄嫁のいる壕に戻った。やられたと思っていた兄嫁はチヨ子さんの姿を見て泣いた。
 翌日から米軍が「戦争は終わった。デテコイ、デテコイ」と、拡声器を使って投降を呼びかけてきた。その二日後に手榴弾が投げ込まれた。出口近くにいた人たちが負傷し、そして捕虜になっていった。
 捕虜になった人が収容所で、チヨ子さんの恩師・半田先生にチヨ子さんたちが壕に隠れていることを告げたらしい。半田先生が8月24日か25日ころ、隠れているチヨ子さんのところにやって来て、捕虜になるよう説得した。近くのアダンの木の下や壕に隠れていた住民たちに、チヨ子さんは「私の先生が迎えに来ているので、みなさん出ましょう」と訴えた。この呼びかけに応えて、二(名が出て行った。
 収容所でも、チヨ子さんは軍国少女のマインドコントロールから解放されなかった。
 「敵からの食べ物はもらわない」と言って何も食べないでいると、「国と国の戦争だから、あなた方には関係ないこと。敵悔心をもたないで」と、日系米兵に言われた。そのことを今も鮮明に思い出すという。

 サイパンで止めておけば……

 「いろんな本を読んでわかってきたことだけど、サイパンで戦争を止めておけば東京大空襲もなかったし、沖縄戦にもならなかったし、広島、長崎に原爆も落とされなかったし、満州の悲劇もなかった」とチヨ子さんは強く思っている。
 「『日本は勝つ。神の国だ』と洗脳されていたことが恐ろしい。だから今、戦争反対の運動にのめり込んで、平和のために語り部になっているの」
 今、チヨ子さんは米海兵隊普天間基地の近くに住んでいる。オスプレイが配備され、昼夜を問わず激しい訓練が行なわれている。「オスプレイの音が、サイパンで聞いた米軍の戦車の音と重なって、夜寝られなくなるの」と顔をゆがめた。
 「辺野古に新しい基地を作って、戦争になったらここが攻撃されるのよ。沖縄の人たちがみな、やられるのよ。二度と私と同じような目に遭ってほしくない。だから座り込んでいるの。戦わないために、今、闘っているの」
 と、元気に座り込むチヨ子さんの隣で、沖縄戦を体験した島袋文子さん(87歳)が黙ってうなずいていた。

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2016年6月23日 (木)

平和な世界ぬどぅ大切 沖縄慰霊の日に  6月23日

沖縄は71年目の「慰霊の日」を迎えました。心から哀悼の意を表します。

今年、沖縄県内69人、県外15人の名が新たに平和の礎に刻銘され刻銘者総数は24万1414人になりました。 沖縄では今も、年に100体を超える遺骨が見つかっていますが、身元が判明しないという状況が続いています。
〝どんなことがあっても戦争はだめ〟
まず犠牲になるのは子どもや女性や弱者です。そして、子どもまで戦闘に動員され、はかり知れない犠牲と苦しみが続くのです。

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 元海兵隊員の凶悪な犯罪により、20歳の未来ある女性の命が奪われました。日米両政府は、事件・事故が起きるたびに、「綱紀粛正」、「再発防止」を徹底すると釈明してきたが実行されたためしはない。このような犯罪などを防止するには、もはや「基地をなくすべきだ」との県民の怒りの声はおさまりません。
 戦後71年にわたって米軍が存在している結果、復帰後だけでも、米軍の犯罪事件が5910件発生し、そのうち凶悪事件は575件にのぼる異常事態です。6月19日に開かれた沖縄県民大会では3つのことが決議され、日米両政府に強く要求されました。①日米両政府は、遺族及び県民に対して改めて謝罪し完全な補償を行うこと。②在沖米海兵隊の撤退及び米軍基地の大幅な整理・縮小、県内移設によらない普天間飛行場の閉鎖・撤去を行うこと。③日米地位協定の抜本的改定を行うこと。

 日米両政府はこの沖縄県民と日本国民の声を真摯に受け入れることを求めます。

  翁長雄志知事の平和宣言

      沖縄全戦没者追悼式  

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 太平洋戦争最後の地上戦の行われた沖縄に、71年目の夏が巡ってまいりました。沖縄を襲った、史上まれに見る、熾烈な戦火は、島々の穏やかで緑豊かな風景を一変させ、貴重な文化遺産のほとんどを破壊し、20数万人あまりの尊い命を奪い去りました。私たち県民が身をもって体験した、想像を絶する戦争の不条理と残酷さは、時を経た今でも忘れられるもので はありません。この悲惨な戦争の体験こそが平和を希求する沖縄の心の原点であります。

 戦後、私たちはこの沖縄の心を拠り所に、県民が安心して生活できる経済基盤を作り、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。
しかしながら、戦後71年が経過をしても依然として広大な米軍基地が横たわり、国土面積の0.6%に過ぎない本県に、米軍専用施設の約74%が集中しています。広大な米軍基地があるがゆえに、長年に渡り、事件・事故が繰り返されてまいりました。

 今回の非人間的で凶悪な事件に対し、県民は大きな衝撃を受け、不安と強い憤りを感じています。沖縄の米軍基地問題は我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は、国民全体で負うべきであります。日米安全保障体制と日米地位協定の間で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由・平等・人権、そして民主主義は等しく保障されているのでしょうか。

 真の意味で平和の礎を築くためにも、日米両政府に対し、日米地位協定の抜本的な見直しとともに、海兵隊員の削減を含む米軍基地の整備縮小など、過重な基地負担の削減を、直ちに実現するよう強く求めます。
特に普天間飛行場の辺野古への移設は、県民の理解は得られず、これを唯一の解決策とする考えは到底許容できるものではありません。

 一方、世界の国々では貧困・飢餓・差別・抑圧など、人命と基本的人権を脅かす多くの深刻な課題が存在しています。このような課題を解決し、恒久平和を実現するためには世界の国々、そしてそこに暮らす私たち一人一人が一層協調し、平和の創造と維持に取り組んでいくことが重要であります。

 私たちは万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘に刻まれている通り、かつてアジアや日本との公益で活躍した先人たちの精神を受け継ぎ、アジア・太平洋地域と日本の架け橋となり、人的・文化的・経済的交流を積極的に行うよう、一層努めてまいります。

 戦争の経験が息づく沖縄に暮らす私たちは、過去をしっかりと次の世代に継承し、平和の実現に向けて貢献を果たす上で、大きな役割を担っているのです。

 本日、慰霊の日にあたり、犠牲になった方々に心から哀悼の誠を捧げるとともに、平和を希求してやまない沖縄の心を礎として、未来を担う子や孫に残すため、誇りある豊かさを作り上げ、沖縄が恒久平和に取り組んでいく決意を、ここに宣言いたします。


平和ぬ世界どぅ大切
ふぃーわ ぬ しけー どぅ てーしち

  金武町立金武小学校 6年 仲間 里咲

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「ミーンミーン」
今年も蝉の鳴く季節が来た
夏の蝉の鳴き声は
戦没者たちの魂のように
悲しみを訴えているということを
耳にしたような気がする
戦争で帰らぬ人となった人の魂が
蝉にやどりついているのだろうか
「ミーンミーン」
今年も鳴き続けることだろう

「おじぃどうしたの?」
左うでをおさえる祖父に問う
祖父の視線を追う私
テレビでは、戦争の映像が流れている
しばらく沈黙のあと
祖父が重たい口を開いた
「おじぃは海軍にいたんだよ」
おどろく私をよそに
「空からの弾が左うでに当たってしまったんだよ」
ひとりごとのようにつぶやく祖父の姿を
今でも覚えている
戦争のことを思い出すと痛むらしい
ズキンズキンと・・・
祖父の心の中では
戦争がまだ続いているのか

今は亡き祖父
この蝉の鳴き声を
空のかなたで聞いているのか
死者の魂のように思っているのだろうか
しかし私は思う
戦没者の悲しみを鳴き叫ぶ蝉の声ではないと
平和を願い鳴き続けている蝉の声だと
大きな空に向かって飛び
平和の素晴らしさ尊さを
私達に知らせているのだと

 人は空に手をのばし
希望を込めた平和の願いを蝉とともに叫ぼう
「ミーンミーン」
「平和(ふい-わ)ぬ世界(しけ-)どぅ大切(て-しち)」

 動画もご覧ください
https://www.youtube.com/embed/l5Tx-W4QOoQ"

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