第22回冬季ソチオリンピック

2014年2月27日 (木)

ソチ五輪で忘れられないカナダコーチの行動  2月27日

カナダのジャスティン・ワズワースコーチ
なにげない、自然な姿で相手チームの選手を助ける


「誰でも公正な結果を得たいもの。この競技では誰もが一生懸命やってきたのを知っているから、助けた。ゴールまで走りきってほしかった」

 冬季ソチ五輪で忘れられない光景があります。

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私は目的もなくなんとなくテレビのスキー競技を見ていました。
選手が転び立ち上がり滑りましたが転んでしまいました。スキーの板が折れてしまったようでした。
その時に、一人がスキー板を持って飛びだしてきて、転んだ選手のスキー(左足)を履き変えさせ、何もなかったように帰っていったのです。その様子をカメラが捉えていたのです。
「すごいことをする人だなあ」と強く印象に残ったのでした。

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 数日たってから、テレビ、新聞の報道で詳しい内容をしることができました。
それからは、オリンピック精神を発揮した行動として繰り返し伝えられています。

 2月11日男子スプリント・フリーの準決勝。アントン・ガファロフ選手(ロシア)がヘアピンカ―ブで転倒し、左足のスキーが折れた場面でのことです。同選手は、折れたスキーのままゴールを目指そうとするものの、なかなか前に すすみませんでした。
 そこに駆け寄ったのは、カナダのジャスティン・ワズワースコーチでした。とっさに、自国選手のために持っていたスペアのスキー板を履かせたのでした。
 その後、ガファロフ選手は、ゴールに向かって走り出し、トップから3分遅れて最下位でゴール。観客の大きな拍手を浴びました。
「転倒でスキーが折れたが、どんなに困難でもたたかいぬこうと思っていた。誰かが助けてくれた」と振り返りました。

 同じような場面は、2006年トリノ五輪のスキー距離団体スプリント女子の決勝戦でもありました。カナダの選手のストックがレース中盤で破損。ライバルのノルウェーのコーチがストックを提供し、カナダチームは銀メダルを獲得しました。その結果、 ノルウェーは4位に終わったのです。
 なんと、不思議なめぐりあわせですが、ストックを折った選手の同僚がワズワースさんの奥さんだったというのです。

 
 五輪に3回出場した元選手のワズワースコーチは「誰でも公正な結果を得たいもの。この競技では誰もが一生懸命やってきたのを知っているから、助けた。ゴールまで走りきってほしかった」

  
 ソチ五輪の広報担当、アレクサンドラ・コステリナ氏はこの行動について、「これこそが五輪の本質であり、その精神、その中核をなすもの。素晴らしい行動だ」と褒めたたえています。              

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2014年2月26日 (水)

上村愛子、浅田真央選手ありがとう!!   2月26日

感動と勇気をありがとう

スキーモーグル女子の上村愛子選手

フィギュアスケート女子の浅田真央選手


happy01 第22回オリンピック冬季競技大会(ソチ/2014)が終わり、選手団もみな帰国しました。
私はソチの大会が終わってみて、印象深く、感動として胸に残っているのは、開会間もなくのモーグルの上村愛子選手と大会終盤のフィギュアの浅田真央さんのことどした。

 多くの選手たちが最善を尽くしてたたかう姿、その競技後の言葉に感動と勇気をもらうことががたくさんありました。これがスポーツのすばらしさの一つでもあると思うのです。生きる力をも後押ししてくれるのです。

 上村愛子さんと浅田真央さんに共通していたのは、困難を乗り越えて、自らの持てる力を発揮しつくした時に喜びと確信を我が物にでき、それを見ている多くの人々に感動を与えることができたのではないでしょうか。

 冬季オリンピックが終了し、記録に残しておかなければと思ったのです。


■ モーグルの上村愛子選手
(2月7日の試合直後のインタビューから)

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(決勝での滑り)

 なんですかね。メダルがとれたかなと思ったんですけれど。
3番に入れたと思ったんですけれど。点数は点数で。
「そうか、また4番だったんだなあ」と結果はメダルとれなかったということだったんですけど。でも、なんですかね~すごくすがすがしい気持ちでね。これまでソチまで準備してきたことだったりとか、こういうふうに滑りたいとか、失敗なく攻めて、とにかく滑りたいというのが、3本全部叶ったので、それがなにか、すがすがしい気持ちになるんだなあという気持ちになりました。


   (特に決勝は渾身の滑りだったと思います)

 なにか、それがみなさんに何か伝わるような滑りができていたら、いままでにできなかったことなのでそれがすごくうれしいです。

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   (ソチオリンピックに向けて自分らしい滑りをしたいと何度もおっしゃってきましたけれど、きょうは自分らしい滑りができましたか)

たぶんできているんじゃないかなあと思います。『自分らしい』といつも言っているんですけど、やっぱし自信を持って、スタートに立って、とにかく目の前のコースで自分のできるパホーマンスも最大の力を出して滑るというのが、たぶん『自分らしく』という私の持っている理想だったと思うんですけど、まあ、今日はね、たくさん、それができたので自分としてはすごくうれしいです。

   (とにかく笑顔が印象的なんですけど)

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 泣いたり笑ったり今日は忙しかったですけど。でも、こうやって、何ですかねバンクーバー終わった後に、またソチ目指してがんばりたいなと思った時に、本当にぎりぎりで取れないとか取れるとかとか、そういう場所にまさかちゃんと戻ってこれるという自信も持てていなかったので、こんなに、メダルをねらうんだとか、最後の滑りで、もしかしたら取れるかもというところまで来れたのがすごくうれしいなあと思います。

   (最後に今後についてはいかがでしょうか)

 今日が終わったらとにかく、疲れているとこ休めて、でも今日は滑り終わった時に、まさか他の選手、コーチみんなも「やあ、長い間いっぱい滑ったね」ってたくさん言ってくれて、何か本当にオリンピックの舞台で、何回も何回も滑れたことが本当に嬉しいなと思っているのと、今回最後だなあと思っているので、もうなんですかね、自分としてはすごくオリンピックの思い出はすごく良い思い出で、終われるんじゃないかなあと思っていて、メダルはないんですけれどね。そこはもう申しわけないなとしか言いようがないんですけれど、がんばってよかったと思っています。


■ フィギュアの浅田真央選手
(2月21日フリー競技の後のインタビューから)

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(決勝フリーで)

   (トリプルアクセルがきれいに決まった。どんな気持ちだった?)

「よしっ!」と思いました。緊張もあったんですけど、このままいけると思っていました。

   (ジャンプにも気持ちが入っていたが)

 リンクに入ってからはできると思うんだけだったんですけど、それまではいろいろ考えていて、今までも1つ1つクリアにしてやってきたから、今回のプログラムも全部を見るんじゃなくて1つ1つクリアにしてやっていこうと思っていました。

   (最初にリンクに入ったとき、すっきりした顔をしていたが、どんな気持ちで演技を開始したのか?)

 たくさんの方に励ましの言葉をもらったので、最後は覚悟を決めてリンクに立ちました。そういう気持ちでした。

   (世界のスケーターが励ましの言葉を出していたが、知っていたか?)

 知らなかったです。昨日はすごく悔しい思いをして、心配してくださった方もたくさんいると思うんですけど、今日こうして自分の中での最高の演技をできたので、恩返しができたと思います。

   (フリーに臨むにあたって、どういった言葉が励みになったか?)

 最終的にはやるしかないと。自分を信じて、自信を持って、練習してきたことを信じて、昨日のようになっても、とにかく跳ぶという気持ちでした。

   (吹っ切れたのはいつ?)

 6分間練習ですごく良い状態でできたので、これならいけると思いました。

   (
それまでは不安が少しあった?)

 朝の練習は全く体が動かなくて大丈夫かなと。そういう思いになっていたのが、すごい自分でも大丈夫かなって心配でした。自分でよく考えたりして、吹っ切れたといえば吹っ切れたのかなと思います。

   (朝の練習は少し来るのが遅くなったが、それはリンクに来たくないという思いがあった?)

 それはなかったですね。昨日もちょっと寝不足で、起きるのが遅くなってしまい、それでアップも遅くなってしまったんです。それでアップが遅れてしまい、そこは焦らずに自分のペースで乗ろうと思いました。

   (朝の練習が終わってからはどのように過ごしていたのか?)

 今日の朝は自分の練習が全くできなくて、練習していないようなものだったので、それからトレーニングに行って、体をいつもの練習のように動かして、それからよく寝て、食べてここに来ました。

   (どんなもの食べた?)

 お赤飯です(笑)。

   (昨日の悔しさは、これまでの悔しさと比べてどのくらいだったか?)

 悔しさもあったんですけど、それよりは終わったあとは言葉にならなくて、今まで何やってきたんだろうなと思いました。

   (今振り返ってみると、昨日は何が原因だった?)

 自分の気持ちがもう1つ上に伸び切らなかったかなという感じがします。

   (最後のスパイラルに入るときはどんな気持ちで滑っていたか?)

 最後の最後まで思いを込めて、1つ1つをクリアにしていこうと思ったので、スパイラルのときはまだだと思っていました。

   (最後に流した涙はどういうものだったのか?)

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 昨日の悔しさも少しはあったんですけど、こうして自分が目指している演技ができて、今まで支えてくれた皆さんに、メダルという形として残すことはできなかったですけど、あと残されたのは自分の演技だけだと思ったので、自分の中で最高の演技ができたし良かったと思います。

   (佐藤)信夫先生は何と言っていた?

 先生の昔の生徒さんも、試合の1日前に熱を出して試合に出られるか出られないか分からない状態で、とりあえず出てみて、もし何かあったら先生が助けに行くからという感じで出た選手が、最高の演技をしたというのを聞いて、自分はそういうわけではないのに、できないのは絶対にないと思ったし、今まで練習してきたことを信じてやれば大丈夫だから、気合いをいれていこうと思いました。何かあれば先生が助けにいくからと言っていました(笑)。

   (失敗に1つ1つ向き合いながらやっていたが、今日の体験はどういうことを教えてくれた?)

 天と地の差でした。今までも良かったとき悪かったときはあったので、自分が目指していたのは昨日のような演技ではなく、今日のような演技でした。でもこれが自分なんだなというのは受け止めています。今は悔しい気持ちとやり切った気持ちはあると思うんですけど、バンクーバーのときもそういう気持ちで終わって、あとから良かったかなという気持ちが出てきたので、今回も終わってホッとして、それから4年間良かったなと思えると思いますし、その気持ちがどんどん強くなるんじゃないかなと思います。

   (終わったあとは涙と笑顔があったが、どんな涙とどんな笑顔だった?)

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 終わったときは「やった」という気持ちが強くて、今日はとりあえずたくさんの方から「笑顔がみたい」というメールが来たので、終わったときは良かったと思って、すごいうれしかったんですけど、おじぎのときは笑顔になろうと思いました。自分の中ではうれしかったです。うれし泣きと笑顔です。

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   (何かのために滑ろうという気持ちは昨日と今日で違ったのか?)

 昨日は五輪の怖さをまた感じてしまって、そっちの方が勝ってしまって、4年間やってきたこと、支えてもらった感謝の滑りというのが薄かったなと思いました。なので今日は感謝の思いを込めて滑ることが自分の恩返しかなと思いました。

   (ここから4年というのは想像できるか?)

 できません。

   (整理がついたら考えること?)

 そうですね。今回はとにかく悔いなく、バンクーバーのときは悔いが残ったので、今回の最後の2回はバンクーバーが蘇ってきたんですけど、そういった意味ではバンクーバーのリベンジはできたと思うので、今はこのあとのことは考えていないですね。

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2014年2月24日 (月)

オリンピック冬季競技大会(2014/ソチ)閉幕 2月24日

第22回オリンピック冬季競技大会(2014/ソチ)閉会
トーマス・バッハIOC会長スピーチ

どうもありがとうございましたソチ
どうもありがとうございましたロシア

ロシア連邦の大統領、世界中のオリンピックの友人やファンのみなさま今晩は

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 親愛なるオリンピックのアスリートのみなさま、ありがとうございました。
みなさまはこのすばらしい17日間、私たちにインスピレーションを与えてくださいました。みなさまは各競技で卓越した能力を発揮されました。みなさまとともに、私たちも世界も様々な感情を経験しました。
みなさまは尊厳をもって勝利を祝い、尊厳をもって敗北を受け入れました。
オリンピック村で一つ屋根の下で過ごすことで、みなさまはソチから世界に強いメッセージを送りました。
 平和、寛容、品位の社会というメッセージです。

 私は対立、抑圧、暴力に巻き込まれた全ての人々に訴えます。
オリンピックの平和と対話のメッセージに従って行動してください。

 私たちも今冬季オリンピックの格別の環境を楽しみました。
開催国であるロシアは優れたスポーツ施設、ぬきんでたオリンピック村、完璧な組織運営を約束しました。
今夜こう申し上げます。ロシアは約束をすべて守りました。

 世界のほかの地域で何十年もかかることを、ロシアはここソチではわずか7年で達成したのです。
ロシアのプーチン大統領にお礼を申し上げます。

 ソチ冬季オリンピック大会の特別な成功に個人的な関与をしてくださいました。
ロシア政府、組織委員会、ロシアオリンピック委員会、ロシアの国際オリンピック委員会の委員のみなさま、そして、ソチとロシアのみなさまに深くお礼を申し上げます。

 冬のスポーツのオリンピック連盟、そして各国の国内委員会、スポーツの方々放送業者の方たちも、かなりの貢献をしてくださいました。私たちは全員が今回のソチのオリンピックのことを記憶に残すこと思います。そして今回のオリンピックは大きなスポーツの遺産となるでしょう。

ボランティアのみなさん、本当にありがとうございました。

 ボランティアのみなさまは暖かい微笑みで私たちを毎日照らしてくださいました。みなさまのおかげで、ロシアの市民社会がさらに強化されるという遺産が残されることになります。
みなさまを通してだれもが、新しいロシアの顔をみました。
効率的かつ友好的、愛国的で世界に開かれたロシアです。

 私たちのパートナーと友人は全て世界最高のアスリートが最善を尽くすことを可能にしてくださいました。

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(一粒の涙が・・・・)

 すべての参加者とオリンピックのアスリートを代表して、ソチオリンピックはアスリートのための大会でしたと申し上げます。これ以上の賛辞はありません。
 私たちはロシアの豊かで多様な歴史に大きな敬意を抱いてやってきました。
そして、いまロシアの人々の友人としてソチを後にします。

さようならソチ
さようならロシア

ここに第22回冬季オリンピックの閉会を宣言します。

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(オリンピック旗がピョンチャン市長に手渡されました)

 伝統に従い世界の若者に4年後ピョンチャン(平昌)の第23回冬季オリンピックに集うことを呼びかけます。

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2014年2月20日 (木)

スノボ女子パラレル大回転竹内智香さんに拍手 2月20日

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(金‐パトリッツァクマー(スイス)銀‐竹内智香(日本)銅‐アレーナザヴァルジナ(ロシア))
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(フラワー授与式で)


happy01 「スノーボード女子パラレル大回転」すばらしい

選手のみなさんにはすみませんが、私はこの競技を知りませんでした。
テレビでなんとなく見はじめた競技でした。でも、解説を聞いているとオリンピック種目になった最初のソルトレーク大会から4回連続して出場していることを知りました。
 競技の規則も最初はわかりませんでしたが、解説を聞き試合の進行につれて全体を理解することができました。知ってみると興味がわく競技でした。また、男女いっしょに交互に進められるのことにも関心がわきました。
 最初から最後まで、はらはらドキドキのしどうしでした。

 竹内選手の胸に秘められた悔しい思いはよくわかりますが銀メダルおめでとう!!

諦めずに新しいことを日本で世界で挑戦し続けて獲得した銀メダルで、すごい重みを感じました。

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(メダルを声援者に掲げる竹内智香選手)
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(大奮闘した竹内智香選手)
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(試合が終わって優勝したクマー選手と固く抱擁=スイス時代から親しい競争相手)

ear 竹内智香選手発信の言葉で印象にのこったこと

one 2012年の春、竹内に、オーストリア人のフェリックス・シュタドラー・コーチが強く言い聞かせた。「五輪で本当に勝ちたいなら、日本人として、日本人の組織の中でサポートされないと」
「ずっと反骨心や対抗心から孤立してきたが、日本に戻ってからは人としての協調性を身につけた」


two スノーボードは良くも悪くもいろんなイメージがあると思うのですが、でもやっぱりスノーボードスポーツにはスノーボードスポーツの良さがあるので、これをきっかけにスノーボードの認知度が上がればいいなと思います。

three やっぱり14歳、15歳の時にW杯で表彰台に立ちたい、五輪で表彰台に立ちたいと思っていた時に、日本人には無理だよと言われることが多かったのですが、それが無理ではないと今あらためて感じました。それで、今、日本で頑張っている選手たちに伝わってほしいという思いもあります。私の結果というのは、スイスチームで5年間、6年間お世話になったときに受けたサポートも大きかったですし、本当に日本という枠を越えていろんな人たちがサポートしてくれています。ただ、次の世代のみんなが同じ環境を得られ(るわけでは)ないと思うので、いつの日かは、他の国の力を借りなくても日本の力、日本のシステムの中で育つような環境になればいいなと思います。


good  広島を胸に  平和なしに五輪できない

20140220広島との出会いは、2度目の出場となった2006年のトリノ五輪がきっかけだ。当時22歳。競技生活に明け暮れ、成人式の写真すら撮っていないと知った広島市の親類平野孝一さん(48)から「知り合いに写真家がいる。着物姿を撮りにおいで」と誘われた。温暖で美しい海が広がる瀬戸内の風景は「すべてが新鮮だった」。遠征の合間に立ち寄るようになり、地元の人たちとの関わりも増えた。
 竹内は、次第に「平和」の尊さを心に刻みつけるようになった。11年、スノーボードのアルペン競技の催しを広島県で企画。五輪メダリストを含む約30人の外国人選手らが自費参加した。催しを終え、選手らに広島県内を案内し、被爆体験をじかに聞いてもらった。(朝日新聞から引用)

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2014年2月18日 (火)

ジャンプ・ラージヒル団体戦決勝戦に感動  2月18日

いくつもの困難を、チームワークの力で
乗り越えてつかんだ銅メダルに感動!!


clover 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

ソチ五輪が開催中です。
どの競技も見はじめると、引き込まれていきます。知らないでいた競技や、わからないルールなども多くあります。でも、興味がわいてくるから不思議です。そして選手のすばらしい技と、国境を越えて、フェアにたたかう姿や、交流する姿にも強く胸をうたれます。

 感動した場面はたくさんあり、書きたいことはいっぱいあるのですが、17日に行われたジャンプ・ラージヒル団体戦決勝戦と表彰式、選手のインタビューに、銅メダル以上に感動しました。


 日本からは、清水礼留飛、竹沢択、伊東大貴、葛西紀明の4選手が競技に出場しました。

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 4選手とも、それぞれの役割を十分に発揮し、優勝したドイツとの点数は差をつけられましたが、4位には差をつけて16年ぶりに長野オリンピック以来の銅メダルを獲得しました。

 私が驚いたのは優勝が決まった瞬間、ドイツの選手たちが雪の中で重なり合って喜び合っていら姿でした。その姿は長野オリンピックで優勝したした日本チームが雪の中で重なり合っていた姿と同じで胸打たれました。
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(優勝が決まり喜びあふれるドイツ選手たち)

 そしてもっと驚いたのは葛西紀明選手の涙の姿でした。
個人戦では涙などとは関係ない人とばかり思っていましたがそうではありませんでした。このチームで世界を遠征したたかってきて、競技後にわかったことですが、竹内択選手が120万人に1人の難病を抱えながらソチへ来ていたということ、伊東大貴選手は、左ひざの痛みを競技が終わるまで必死で耐え続けていた、そうした中で万感の思いが募ったのではないでし
ょうか。
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happy01 すばらしかった表彰台の選手たちに感動

 表彰台のセレモニーは普通に終わると思っていましたが、私にはちょっとちがうように思えました。
 花束が渡された後、ドイツの選手たちが、日本とオーストリアの選手を金の表彰台に招きました。そして、金の表彰台で競技に参加した3国の選手12人が勢ぞろいし観客席とエールを交換したのでした。
 ドイツの選手たちのすばらしい心づかいに私は感動したのです。オリンピックならではの場面だったのはないでしょうか。

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(表彰台の日本選手)

■ 表彰式が終わった後のインタビュー

 インタビューで日本の4選手のチームワークの強さを感じました。
チームワークを保つのって難しいことで、様々な事があって総合的にまとって強い絆になるのではないでしょうか。葛西紀明選手がその要になっていたから実現した銅だったように思いました。

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(日本4選手)

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(「めっちゃ泣きました」と眼を赤くした喜びの葛西紀明選手)

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(チャーグ・ストラウス症候群という難病とたたかいながらソチ五輪に出場した竹内択選手。同じ病気で苦しんでいる人たちに、少しでも元気を与えられればとの思い。)

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(涙をこらえながら、左ひざのけがを初めて公表。トレーナーの治療で重責を果たしきった伊東大貴選手)

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(若手のホープで1番手としてチームに勢いをつけた清水礼留飛選手)




















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