東日本大震災発生から5ヵ月が 8月11日
振り返ると5ヵ月が経っています。被災地の皆さんの身になって考えると苦しくなってきます。東京電力福島原発事故の放射能被害は広がるばかりです。でも、各地で諦めずに、力を合わせ立ちあがっている人たちがいます。、一歩一歩、確実に前に進みたいと思うのです。
死亡者-15,689名
行方不明者-4,744名 (8月10日 現在) 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。
心に残った「しんぶん赤旗」と「毎日新聞」の今日のトップ記事を紹介させていただきます。
■ 「しんぶん赤旗」から
東日本大震災5カ月、8万7000人避難生活
生活再建支援いっそう切実
東日本大震災発生から11日で5カ月を迎えました。死者・行方不明者は計2万人以上に上っています。被災者の暮らしの場は仮設住宅へと移りつつありますが、いまなお全国各地で約8万7000人が避難生活を強いられています。さらに東京電力福島第1原発事故による放射能汚染被害が、福島県はもとより岩手、宮城両県にも広がり、被災地に二重三重の苦しみとなってのしかかっています。それだけに生活再建・復興のための国の支援を求める声は、いっそう切実です。
(ガッツポーズで雄勝の復興を誓った「OHガッツ」のメンバーら-10日、宮城県石巻市雄勝町水浜)
住まいの確保は、被災者の生活の基盤となる重要課題です。その中心となる仮設住宅は各県によると、岩手県は目標に近い1万3833戸が完成(10日現在)。1万戸以上が入居済みです。宮城県は必要数2万2054戸のうち1万7276戸(3日現在)が完成。福島県は必要数1万4200戸で1万2801戸(9日現在)ができています。
しかし、仮設住宅は、軒が短いなど設備が貧弱。設置場所も交通の便が悪い所が多く、買い物にも困る状況です。さらに避難所で受けていた食料支援も受けられなくなるケースが大半です。
岩手県山田町の仮設住宅に脳梗塞で体の不自由な妻と入居した男性(74)は「仮設敷地の砂利道は転びそうで危険だ。早く舗装して。生活も義援金では1年持つかどうか」と語ります。
避難所暮らしが続く被災者も3県で1万人以上にのぼります。
放射能汚染問題は被災地に追い打ちをかけています。内閣府によると福島県から県外に避難した人は4万8903人(7月28日現在)。その数は増える一方です。
同県では農水産業全般に出荷停止や風評被害が拡大。内陸部でも局地的に放射線量が高い地域があり、目に見えない放射能の広がりに、市民らは不安を抱えています。
岩手、宮城両県でも一部の肉牛や稲わらから国の暫定規制値を超える放射性セシウムが検出され出荷停止の事態となり、農民運動全国連合会などが、東京電力に損害賠償を請求。日本共産党は、国や県に出荷停止解除のための安全管理体制の整備や補償などを求めています。 (森近茂樹)
■ 「毎日新聞」から
東日本大震災:取り残される被災者…11日で5カ月
東日本大震災から11日で5カ月--。東北の沿岸部では、避難所が閉鎖されて仮設住宅への入居が進む一方、取り残されている被災者がいる。福島では放射線におびえながらも動けない家族がいる。「これからの生活は……」「いつまでも家族と一緒にいたい」。生活再建に向けた苦悩と足踏みが続き、猛暑の被災地はいつもと違うお盆を迎える。
◇避難所閉鎖「これからが大変」…陸前高田
岩手県陸前高田市はピーク時62カ所に約1万6000人が避難した。震災5カ月となる11日、市は最後に完成した仮設住宅の鍵を配り、12日には全避難所を閉鎖する予定だ。一時1000人近い人々が避難した市立第一中では10日朝、がらんとした体育館で残された約40人が最後の支援物資を受け取った。
「とにかく長かった」。仮設住宅のガスの開栓を待ち、11日に引っ越すという中村一也さん(52)は振り返った。行方不明の母の遺体は見つからず、知的障害を持つ弟(49)と2人で暮らすことになる。苦笑して言う。
「当たった仮設住宅を何度もキャンセルした人が先に入ったり、納得できないことも多かった。高齢者や障害者は優先と聞いていたのに、最後の最後になってしまうとは」
千葉武晴さん(50)は「これからが大変」と話す。同居していた母と妹が行方不明、妹の娘は死亡し、一人になった。入居する仮設住宅は急勾配の坂の上にあり、キャンセルが相次いだ“物件”だ。鍵は7月末に受け取ったが、車が津波で流され、友人に引っ越し用トラックを融通してもらうのに時間がかかった。勤めていた石材店は会社ごと流されて倒産し、仕事も探さなくてはならない。
「(知り合いがいない)仮設で一人になったら、酒におぼれるのではと不安だった。同じ仮設に仲間がいるから何とかなる」
准看護師の女性(40)は、市内で最後に完成した仮設住宅に11、12日の2日間で引っ越す。看護師国家試験を受けるため、震災後も病院勤めの後、専門学校に通う生活を続けてきた。避難所に戻るのは夜遅く、足音を立てないよう気を使った。
「そういう生活もやっと終わる。でも、共用のパソコンや空気清浄機がさっさと片付けられてしまい、最後は寂しいですね」【市川明代】
◇「生き残ったけれど…もう限界」…石巻
震災から5カ月たっても避難所から出られない被災者も多い。
「避難所暮らしはもう限界。早く仮設住宅に移りたい」。宮城県石巻市湊町の梶原ふみ子さん(67)は自宅から数百メートルの市立湊小で避難生活を送る。自宅は津波で壊れた。
校舎3階の12畳ほどの「相談室」で、長女ひろみさん(45)ら女性3人が寝起きする。防虫のため夜は窓を閉め切り、室温は30度近くになる日もある。
(避難所生活を続ける梶原ふみ子さん。時間がたつのが早いからと夫仲一さんの遺影の横で手芸をする。後ろは長女ひろみさん=宮城県石巻市の湊小学校で2011年8月8日、岸達也撮影)
04年に心臓に人工弁を付ける手術をした。以来、不整脈や血圧を抑えたりする薬が欠かせない。今年4月中旬には、せきが止まらなくなり、気管支炎で約2週間入院した。
震災直後は17人がすし詰めで、風邪を引いたり肺炎になったりする被災者もいた。室内で用を足すお年寄りもいて衛生状態も悪い。医師は、避難所に戻ることを止めた。「でも、ほかに行くところがない」
湊小には簡易浴場があるが感染症が怖い。数キロ離れた親類宅で入浴させてもらうが、タクシーで片道2000円以上かかり、週1、2回が限界だ。普段はウエットティッシュで体を拭いている。
仮設住宅に入りたくて、4月ごろから何度も抽選に参加したが当たらない。湊小の避難所は9月末で閉鎖される予定で、先行きに不安が募る。
今年1月17日、約45年間連れ添った夫仲一(ちゅういち)さん(当時73歳)をがんで亡くした。震災は四十九日を終えた直後のことだった。
「生き残ったけれど本当に大変」。お盆を前に自宅から持ち出した仲一さんの遺影に語りかけている。【岸達也】
◇ホットスポットに自宅…伊達
「家族がばらばらになってしまう。また一緒に暮らせる日が来るのでしょうか」。放射線量が局地的に高い「ホットスポット」にあたるとして自宅が特定避難勧奨地点に指定された福島県伊達市の主婦、佐藤かおりさん(24)は思い悩む。
指定当日の6月30日に長女凛(りん)ちゃんが生まれたばかり。今月7日にようやく、夫利昭さん(28)と凛ちゃんの3人で暮らせるアパートが福島市内で見つかった。だが、一家には寝たきりの祖母と、脳性まひの妹がいる。家族そろって避難できる場所は、まだ見つからない。
佐藤さん一家は、両親と祖母里子さん(84)、妹ゆかりさん(21)、利昭さん、凛ちゃんの計7人とペットの犬猫4匹。ゆかりさんは施設に入居し、週末だけ帰宅する。
佐藤さんは出産の2日後に自宅がホットスポットにあることを知った。凛ちゃんへの放射線の影響を心配し、市の調査には「避難を希望する」と答えた。足が不自由な里子さんやゆかりさんの介護のため、平屋またはアパート1階を希望。一家全員が近くに住む必要があると書き込んだ。
しかし、市から紹介された避難先はどこも狭く、ペットの同居は不可。途方に暮れる佐藤さんに、両親は「生まれたばかりの子がいるのだから」と、凛ちゃんを連れて夫婦で避難するよう勧め、福島市のアパートも母景子さん(59)が探してきた。早ければ9月から入居できるが、佐藤さんの気持ちは晴れない。「他の家族を残して自分たちだけ避難していいのか」
日中仕事に出る両親が里子さんの面倒をみるには限界がある。里子さんは1日おきにデイサービスを利用するが、タクシー運転手の父正光さん(61)の仕事は深夜に及ぶこともある。佐藤さんは「ばあちゃんが一人になる時間が必ず出てしまう。もし、何かあったら」と心配する。
「子供を家族みんなの元で育てたかった。いつまでこんな状態が続くのか。この子が大きくなる頃には安心できるのでしょうか」。佐藤さんは胸に抱いた凛ちゃんを見つめた。【石山絵歩】
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