人と自然を写真に

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2016年12月16日 (金)

古墳時代のロマンを感じた八幡山古墳石室  12月10日

行田市にある埼玉県指定史跡、古墳石室(はちまんやまこふんせきしつ)を12月10日に訪れました。快晴の素晴らしい天気に恵まれました。

clover 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

  八幡山古墳 前室→中室→奥室

 11時過ぎに古墳に到着し、自由に入れるようになっていて石室に入りました。前室、中室と通って奥室へ。奥室は自動探知で人が入ると照明が灯るようになっていて、人の位置で点いたり消えたりしました。

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 まず大きな天井岩に驚き、石の隙間からわずかな光がさしていました。
暗さに慣れると、周りが六角形の石で見事に積まれていて、幾何学的な美しさを感じました。この古墳が造られた7世紀前半から中頃に、このような見事な石積みの文化が栄えていたことが驚きで、すごいと思いました。
 それが私の第一印象で、古代のロマンを満喫した感じでした。

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最初に驚いたのがこの天井石の大きさでした
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位置を変えて写した写真

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奥室の中央には2枚の大きな石が置かれていました。
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2枚の石の厚さがわかります。
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奥室から中室方向を見ました。
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石の大きさがわかります。

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奥室の壁一面に幾何学的に積まれた六角形の石と細工された石に、私は古墳時代のロマンと栄えた文化に思いをめぐらせました。すごいと思いました。

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中室で
中室から奥室を見ました。

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中室から出口を見ました

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前室から奥を見る

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入口、古墳では羨道というそうですが、羨道の部分は失われているそうです。
前室のむかって左側には八幡大神、右側には仙元大菩薩と刻まれた祠がありました。


露出した石室の石積みを見て回る

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 石室の内部を見たせいで、外から見るのも何か感じがかわったような気がしました。不思議なものです。

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石室全景
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270d1f3fd  2010年5月25日に八幡山古墳を訪ね記事を書きました。
その時には石室には入れませんでしたが(公開日ではなかった)積み重ねられた石舞台の巨大さに圧倒されて帰ってきた記憶です。

 あれから6年以上経って、古墳を見るのが好きで、年に数回さきたま古墳を訪ねるのですが、心のどこかにあった八幡山古墳石室に入ってみたいという思いが、ふと湧いてきたのです。それで12月10日に訪ねました。
 なにか、前回来た時よりも公園は整備されたような気がしました。(トイレが新しかった)
公開は土・日・祝日の午前10時から午後4時までです。無人で、入り口は開けられていて自由に入れるようになっていました。入口に八幡山古墳石室についての説明書が自由に取れるように置いてありました。 私ともう一人2人がいっしょになり入りました。

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埼玉県指定史跡  八幡山古墳石室

Photo
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説明書内容を紹介します

  行田市藤原町の富士見工業団地内にある八幡山公園の一角に
  “関東の石舞台”とも呼ばれる巨大な横穴式石室を持つ八幡山古
  墳があります。
   この八幡山古墳は、今から約1400年前の古墳時代に気付かれた
  権力者のお墓です。
  この巨大な石室は、圧倒的な存在感があり、この古墳を築いた権力者
  の持っていた巨大な力を誇示しているようです。
   この古墳を築いた権力者は、いったいどのような人物だったのでしょ
  うか?どうしてここに、このような巨大な石室を持つ古墳を築いたので
  しょうか?そして、本来は古墳の中に築かれる石室が、なぜ露出してい
  るのでしょうか?
   八幡山古墳石室が物語る古代の歴史ロマンを、ぜひ石室内部に立
  ち入って、体験してみてください。

若(わか)小玉(こだま)古墳群と八幡山古墳

   八幡山古墳は、若小玉古墳群の一角に築かれた大型円墳で、石室に八幡社の石祠が置かれていることからその名が付けられたようです。
 若小玉古墳群は、現在では八幡山古墳と地蔵塚古墳の2基が県指定史跡として保存されているだけですが、発掘調査等で5世紀末頃~7世紀中頃に40基以上の古墳  が富士見工業団地付近の長野落し北側台地上に築かれていたことが判明しています。行田市内では埼玉古墳群に次ぐ規模をもつ古墳群で、埼玉古墳群を築いた権力者を補佐した権力者が築いた古墳群と考えられています。
  なお、八幡山古墳の約2km北方には国指定史跡小見真観寺古墳が、約1.6km南方には同じく国指定史跡埼玉古墳群が存在しています。

八幡山古墳石室の発見と保存
  八幡山古墳は、現在その巨大な石室が露出していますが、かつては9.5m程の高さの墳丘盛土があり、石室は墳丘の中に築かれていました。江戸時代後期には既にその存在が知られていて、『新編武蔵國風土記稿』、『増補忍名所図会』等に八幡山古墳のことが記されています。
  『増補忍名所図会』には「浅間山」と記されていて、その記述によると、当時すでに石室の一部が露出していたようです。
  昭和9年(1934)11月に八幡山古墳の約lkm南東にあった小針沼(現在の行田浄水場)の干拓事業が始まり、三方塚古墳、愛宕山古墳等当時残っていた若小玉古:・・墳群の多くの古墳が崩されて、その土が沼の埋め立てに使われました。八幡山古墳も崩されて、翌年1月までに墳丘盛土の大半が取り去られ、巨大な石室が姿を表わし  ました。その時点で事の重要性に気づいた当時の太田村村長が埼玉懸史編纂掛に調査を依頼、同年5月に発掘調査が行われました。そして昭和19年3月31日付で、石室部分が「八幡山古墳石室」として埼玉県指定史跡に指定され、保存が図られました。
 その後周辺に富士見工業団地が造成され、八幡山古墳は石室の周辺部だけが八幡山公園の一角に保存されて来ました。しかしながら風雨で石室の損傷が進んだため、  昭和52~54年に石室の復原工事が行われ、現在の姿に復原されました。

八幡山古墳と石室の概要

  八幡山古墳は、昭和10年の発掘調査以降、計4回発掘調査が行われています。その調査成果等から墳丘の直径が80mの円墳で、周溝は存在しない可能性が高いと
推測されています。                   
古墳の墳丘北側はローム台地上に築かれていますが、南側は台地から外れた後背湿地に築かれています。墳丘は占土とローム土を5~10 cmの厚さで交互に重ね、 部分的に黒色土を混ぜて硬く突き固める版築がされています。
  石室は、羨道(えんどう)、前室、中室、奥室で構成されている推定全長16.7m、奥室の横幅4.8mの巨大な横穴式石室です。現在は羨道の大部分が失われていて、現存長は約14.7mです。石室の平面形は、奥室が隅丸方形、中室が胴張り形、前室が方形をなしています。
  石室の構築法は他に例のないもので、奥室の壁は、角閃(かくせん)石(せき)安山岩(あんざんがん)と輝石(きせき)安山岩質(あんざんがんしつ)溶岩(ようがん)を用い、断面形が六角形の切石を積み上吠目の通りをさけるために断面形が台形の切石を挟み込んでいます。中、前室の側壁は中央部に緑泥片岩の板石をすえ、両面を角閃石安山岩と輝石安山岩質溶岩で断面六角形に加工して組み込み積みをしています。いずれも側壁の石積みは版築土下面まで続いています。また、各室とも両側壁から平面丁字形に板石を立て入口としています。床面は、各室とも中央部に二枚の緑泥片岩を置き、その周りを砂質凝灰岩の方形切石を各コーナーに傾斜するように敷き詰めています。床面下にも15~20cmの版築の下に角閃石安山岩の方形切石を長軸方向と中央部を横位にクロスさせ控え敷きしています。天井には厚さ40~74cmの巨大な緑泥片岩が使われています。
  副葬品は、フラスコ形の須恵器長頸(ちょうけい)壷(つぼ)、銅鋺(どうわん)、青銅製八花形棺金具、直刀片、乾漆器(かんしっき)片、夾紵(きょうちょ)棺(かん)片、漆塗(うるしぬり)木棺(もっかん)片及び銅鋲、鉄釘、銀製(ぎんせい)弓(ゆ)筈(はず)金物(かなもの)片、鉄(てつ)鏃(ぞく)、銅(どう)漆装方頭(うるしそうほうとう)把頭(えかしら)、金銅装(こんどうそう)鞘(さや)尻(じり)金具(かなぐ)が出土しています。特に漆塗木棺片は東国では他に千葉県栄町の竜角寺浅間山古墳で出土しているだけで、その他の出土例が攝津・河内・大和地方の天皇・皇子やそれに準ずる高貴な大や政治的に高位の人の墓にほぼ限られていることから注目されています。
 なお、これら副葬品の年代と石室の構造等から、八幡山古墳は7世紀前半~中頃(第2四半期頃)に築造されたと推測されています。

八幡山古墳の被葬者

  八幡山古墳石室には、榛名山麓の角閃石安山岩、荒川上流域の緑泥片岩、比企丘陵地域の砂質凝灰岩など広範囲に渡る複数の地域の石材が豊富に使用されており、八幡山古墳を築いた人物は、それら広範囲から石材を調達出来た権力者であったと考えられます。
  八幡山古墳が築かれた7世紀前半には、すでに前方後 円墳は築かれなくなっており、古墳は小型化していきます。そうした時代の中で、八幡山古墳は抜きん出た規模を誇っています。また、この頃には埼玉古墳群の築造は終わりを迎えつつあり、八幡山古墳の築造は、埼玉古墳群を築いて来た権力者一族や、小見真観寺古墳を築いた権力者に代わる強力な権力者が、若小玉古墳群を築いて来た一族から出現したことを示していると思われます。
  では、八幡山古墳を築いた権力者は、誰だったのでしようか?その有力な候補者と考えられているのが、平安時代に記された聖徳太子の伝記『聖徳太子伝暦』に登場する聖徳太子の舎人(とねり)、物部連(もののべのむら)兄(じえ)麿(まろ)です。『聖徳太子伝暦』によると物部連兄麿は、近江の膳臣清國(かしわでのおみきよしこく)と共にいつも聖徳太子の側に仕えていました。仏教を信仰する聖徳
太子の影響を受け、社会道徳を守って修行を積み、出家しない仏教信者の優(う)婆(ば)塞(そく)となりました。そして、永年の功績が認められ、舒明天皇5年(633)に武蔵(むさしの)国造(くにのみやつこ)となり、後に小仁の位を賜ったとあります。
 後世の伝記である『聖徳太子伝暦』の信憑性に疑問も持たれていますが、仏具の銅鋺、畿内の貴人が用いた漆塗木棺の出土、寺院建築の基礎固めの技法である版築の採用、石組・切石技法等他に見られない新しい技術を用いた巨大な石室の構築等、八幡山古墳は兄麿の墓にふさわしい畿内政権の中枢との深い関わりが伺える、当時の先端技術と仏教文化を取り入れて築かれた古墳なのです。

 羨道(えんどう=せんどうともよむ)とは、古墳の横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部とを結ぶ通路部分。慣習的に「せんどう」とも呼称する。

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2016年12月11日 (日)

二子山古墳堀の埋め立ては完了していました 12月10日

 1月15日に、行田市のさきたま古墳近くの白山愛宕山古墳の周溝から大量の埴輪の破片が出土したということを知り、現場も訪ね、行田市の担当者の方にもお会いしてお話を聞かせていただきました。
 もう一つ気になっているのが、二子山古墳には堀はなかったということで堀を埋めて元の姿に戻す工事の結果が気になっていました。1月15日にはまだ工事は進行中でした。

 はや1年で、さきたま古墳のことは気になりますので訪ねることにしました。

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埼玉まで来た時に富士山が目に入ってきたので停車し、富士山を撮影。
この調子だと丸墓山古墳で富士山を見れるかも・・・
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丸墓山古墳でまわりを一望

息を切らして急な古墳を上がりました。

富士山は見えるかな?

木立の向こうに雲を少しかぶった富士山がくっきりとはいきませんでしたが見ることができました。寒い時期に度々くるのですが見れることは少ないのです。
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こんどは忍城は?

遠くの連山には雲がかかっていましたが忍城はクックリと見ることができました。
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稲荷山古墳、将軍山古墳、二子山古墳

木々の枝でくっきりと見ることはできないのですが、三つの古墳を遠目で見ることができます。

稲荷山古墳

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将軍山古墳

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丸墓山古墳

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二子山古墳

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二子山古墳は近くで現状を見てきました

堀の埋め立ては終了したようで、古墳本来の姿を初めて見ることになりました。
以前の堀のイメージが残っているので、ちょっと言い表せない感じもし見つめていました。
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標柱には「史跡 埼玉村古墳群」と記されています。
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愛宕山古墳

お地蔵さん3体が見えるかなと来た時にはいつも気になります。
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瓦塚古墳

何となく見たくなって訪ねました。見るのはしばらくぶりです。
この瓦塚古墳の全景写真を撮る場所が定まらなかったのですが、1ヵ所ポイントが見つかりました。
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2016年12月 2日 (金)

2年かかって、ヤツデの木が花を咲かせるまでに

 2014年2月の雪でわが家の大きなヤツデの木が倒れてしまいました。
今は亡き義母が家の新築に贈ってくれた大切な木なのです。

 同年3月23日のブログに、根元から若い芽が成長していて楽しみだと書きました。

それからもう2年以上が経ち、ヤツデが復活しつつあります。
日当たりのよい場所にあり、今年花を咲かせるまでに成長しています。

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2016年10月17日 (月)

旧中山道を碓氷峠・熊野神社から坂本宿を歩く 10月2日

note 吾妻はやとし日本武(やまとたけ) 嘆き給いし碓氷山(うすいやま)

 長野県歌「信濃の国」の六番です。
この歌は長野県人が集まるとよく歌われ、一種の郷愁をふくみながら歌い続けられています。
 私は一番から六番まで歌われている歌詞のなかの場所をできるだけ訪ねてみたいと心がけています。そうする中で新しい発見と認識がたくさん生まれてきて生きる力にもなります。

 一度も行ったことがない、日本武尊(やまとたけるのみこと)の神話と関わりの深い熊野神社を訪ねてみたいという思いがずうっとありました。(私は日本武尊など作り上げられた神話としか思っていないのですが)
 でも興味がわくのです。どんな場所なのか。
碓氷峠と熊野神社 ― 長野県と群馬県の境界に熊野皇大神宮(長野県側)と碓氷権現熊野神社(群馬県側)が並んであるのです。碓氷峠の一番標高の高い場所に位置しているのです(標高1200㍍)

coldsweats01 旧中山道を碓氷峠から坂本宿まで歩いてみたい

群馬県側の横川駅から「アブトの道」の遊歩道は何回か歩きました。
長野県人として、碓氷峠から坂本宿まで歩いてみたいと思うようになり、ネットで調べたのですが熊野神社から旧中山道を横川までの確かな道路地図がなかなか見つかりませんでした。いくつかのブログで軽井沢の見晴台から熊野神社、坂本宿への記事がみつかり、整備された山道ではなさそうで、不安はありしたが、大丈夫だろうと、ブログ記事をプリントし挑戦する決断をしました。

happy01  10月2日(日曜日) 2人で出かける

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 9月下旬に計画したのですが天気予報で雨マークが続き2回延期して、10月2日に決断ししました。妻は山歩きは私より慣れていて、私一人では心配になりいっしょに出かけました。

JR軽井沢駅北口→ハーベストクラブ前で軽井沢交通バス(通称赤バス午前9時始発バス)→見晴台→熊野神社→旧中山道を坂本宿へ→横川駅

 軽井沢に着くと雲っていて雨にならなければいいがとちょっと心配しましたが、曇り晴れとまあまあの天気でした。

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赤バス 9時の始発でした。終点でバスを降りて軽井沢の街方面に少し戻ったところから左折で見晴台に。

scissors 見晴台  なかなかの展望場所

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万葉集歌碑
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連山が遠くまで続き、逆さ霧がきれいでした
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県境 見晴台の一つの見どころ
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ラビンドラナート・タゴール
インドの詩聖と言われ、1913年ノーベル文学賞を受賞。4回来日し軽井沢も訪れた。日本人の美と調和を愛する心に感動ししたが他方、日本軍国主義の大頭には強い心配をもち、来日講演の中で再三警告しました。
 私は名前は知ってる程度でなるほどと感心しました。

club 熊野神社

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県境を示すラインと古からの標識

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狛犬 歴史を感じさせます

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奉納された石の風車

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山門の下の県境の標識

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熊野皇大神社(長野県側)と碓氷権現熊野神社(群馬県側)が仲良くいっしょです

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日本武尊が旅の途中の相模灘で波を鎮めるために入水した妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲び「吾嬬者耶あ(ずまはや)」《嗚呼愛しき吾が妻よ》と三度嘆いたという。「信濃の国」に歌われている。

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シナノキ

good 午前10時5分、旧中山道を坂本宿に向けて出発

 熊野神社前の茶店から旧中山道への道路標識が見当たらず、どうしようかちょっと迷いましたが道なりに右に進むと石碑や道しるべが固まってあり、ここからがスタートラインと気づきました。

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この旧中山道の道路地図は旅が終わってから、ネットで旧中山道を歩くと検索していたら見つかりました。それまで「旧中山道・・・」と検索していなったのですが、いくつもの記事がみつかりました。

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右の細い道が旧中山道で坂本宿へ。広い通りは和宮道(皇女和宮のために)です。

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徒歩130分 8キロと書かれていました

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思 婦 石(おもふいし)
群馬郡室田の国学者関橋守の作で安政4年(1857年)の建立である。
ありし代に  かへりみしてふ  碓氷峠山  今も恋しき  吾妻路の空 と刻まれとぇいる。
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仁王門跡の標識

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今度の角は左折です
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長坂道の標識

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道が消えて渓流に・・・
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渓流を渡ったところに人馬施行所跡の標識
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化粧水跡の標識
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こんな場所も・・・

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右側、左側に道路が 坂本宿へは右側へ。左側は和宮道で熊野神社の戻ってしまいます。要注意点
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和宮道 安政遠足(とおあし)の標識
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陣場が原 戦国時代 ここが戦場に
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子持山標識 坂本宿に向かって左側
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一つ家跡の標識

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アニメに出てくるような雰囲気の朽ちたバスと浄化槽?ここまで誰がどうやって運んだの?
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左手の林の中に廃墟になった家屋が

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山中坂の標識
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山中学校跡
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山中茶屋跡 昔は栄えていたのでしょうね
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入道くぼで熊野神社出発から初めて出会った旅人。11時42分。
この日、坂本宿までの歩きで5組の旅人と外国人ツアーらしきグループに出会いました。
外国ツアー以外は坂本宿から登ってくる人たちでした。

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こんなにすばらしい杉並木と道路に出会い気持ちも楽になりました
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道路は雨に流されてV字溝になっていて下りも楽ではありませんでした。台地は浅間山から流れ出した溶岩で覆われていて、様々な表情を覗かせます。きついけれどおもしろいものです。

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わずかの時間、進行右側に・・・
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なんの花?? この日の歩きで多く見かけました
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栗が原の標識
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旧 標識
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新しい標識
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〝座頭ころがし〟ピッタリの感じ。厳しい坂道でした。
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一里塚の標識
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北向馬頭観音
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南向馬頭観音
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堀り切り 豊臣の時代に戦のために両側が掘り切られている

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昼食休憩に 12時37分 道路の両側が土手のように高くなっていて、そこに上がって休憩。私はバテぎみで一息入れてから食事に。
この時、外国人ツアーらしき人のグループが元気に熊野神社方面から下って行った。お互いに声をかけあって。一人男性が坂道を登ってきました。

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ぶれましたが、外国のグループと登ってくる人
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一本 朽ちながら立っていました

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坂本宿まで2.5㌔ ちょっと元気が出てきました

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碓氷坂の関所跡

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刎石(はねいし)茶屋跡 四軒あったそうで林の奥に石垣跡が

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弘法の井戸 囲いと標識が倒れていましたがネットではちゃんとしていました。どうしたのでしょうか?

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風穴です。自然との出会いのすばらしさ

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馬頭観音

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覗き 坂本宿を一望できました

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この当たりの坂道は大きな石小さな石がゴロゴロで歩くのには難所でしたがこの石垣は人の
手が入った造形美のように感じました。Img_4216

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私が気になったのは右側の木の黒い固まり?でした
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柱状節理 浅間山の火山活動の姿を直に見れて身震いする感じでした。苦労して歩いてきた価値がありました。

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気を緩めると滑るし、難所の一つ

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堂峰番所の標識
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峠道も終わりです。安政遠足(とおあし)の標識

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国道18号(碓氷峠)に合流しました。 13時45分でした。
ここに西方屋の休憩所があり、妻が足をつってそこで休憩。14時2分、坂本宿に向けて出発。
 
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進行方向左側に神社
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中山道坂本宿の標識が見えてきました。静かで、人の姿はありませんでした。通るのは車ばかり。私は2回目の坂本宿でした。
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ブラタモリで坂本宿は計画的に作られた町で、奥に長細く造られているということで、確認したいと思っていました。
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奥に長細く造られていることが確認できました。

この当たりに来てから私の足にけいれんが起こりつってしまう状況が繰り返しました。前回来た時には公民館で休憩した記憶があり、期待していたのですが日曜日で休館。困ったなと思いました。お店もないし・・・

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写真撮影はここまで・・・

足にけいれんが繰り返し起こり、写真どころではありませんでした。ひたすら横川駅をめざすのですが進みません。
交番の派出所があったので、そこでタクシーを呼んでもらおうと行ってみたのですが閉まっていてダメ。歩いては休んでを繰り返しましたが・・・ 。一軒の軒差しに防犯連絡所の看板がかかっていましたので、ここなら何とかなるかと、ぶしつけで失礼なのですが「旧中山道を熊野神社から歩いて横川駅をめざしているのですが・・・・」と現状を説明し「タクシーをよんでいただけないでしょうか」とお願いしました。ご夫婦で電話帳を調べてくれましたがわかりません。すると、だんなさんが「私が車でお送りしますよ」とすぐに対応してくれ、横川駅まで送ってくれました。
 窮地を救っていただいて、感謝の気持ちでいっぱいでした。感謝の気持ちをお伝えし別れました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

横川駅では15時2分の高崎行きにすぐに乗れ、家にはやっとの思いで17時52分に帰り着きました。

それでも、人の情けも肌身に感じ、有名な場所ではないかもしれないけれど、自然の素晴らしさを満喫した有意義な旅でした。




































































































































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2016年7月30日 (土)

ウバユリ、アイエナ、フシグロセンノウ武蔵丘陵森林公園

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 ウバユリ

 公園南口からの近くにウバユリの自生地があります。
ウバユリはどんな具合だろうかと回ってみると、ウバユリが林の中一面にきれいに咲いていました。ウバユリのこうした光景を見るのは初めてで、うれしい気持ちでいっぱいになりました。

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アイナエ

ヤマユリを梅園で見たときに、グループで来た人たちのガイド役の方の説明をいっしょに聞かせてもらって知りました。
 国の絶滅危惧種に指定されている植物で、埼玉県では準絶滅危惧種に指定されている貴重な野草であることを知りました。

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フシグロセンノウ が咲きはじめていました

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2016年7月29日 (金)

スイレン、チョウトンボ、コブシ 武蔵丘陵森林公園で

武蔵丘陵森林公園に舞台と池を中心とした「雅の広場」があります。

 池にはスイレンが咲き、季節の変化とともに、メダカ、オタマジャクシ、チョウトンボ、ミヤマアカネなど多様な昆虫とも出会える貴重な場所です。

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 スイレン

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 チョウトンボ、ミヤマアカネ

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 コブシ が実をつけていました

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2016年7月28日 (木)

ヤマユリに魅せられて 武蔵丘陵森林公園 7月24日

 梅林で

 やまゆりの小径から園内バスで野草コース入口まで引き返し、梅林に歩いて向かいました。
 この日は日曜日とも重なり、どこでも来園者と出会いました。お母さんに「歩いている間はやめてね」と注意されながらポケモンゲームに熱中する小学生とも出会い、どういうものか、ちょっとだけ見せてもらいました。

 梅林では、20名ほどのガイド付きのグループとも出会いました。

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2016年7月27日 (水)

林野に咲き誇るヤマユリに魅せられました  7月24日

 “すばらしい”と満たされた気持ちに

ヤマユリを見るために何回武蔵丘陵森林公園を訪ねているでしょうか。
前回は13年7月28日でした。
すばらしいものは何回見てもすばらしい。それが実感です。

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《公園の案内から》
「里山の宝石」として、夏の森林公園を代表する花です。自生の花とは思えないほどの豪華さ、芳香は、まさに「ユリの女王」。園内全体で約1万株が自生し、うち約三千株が開花します。早咲きの花は七夕を過ぎたころ、遅咲きの花は8月初旬ごろと時期をずらして開花していきますが、はずれがないのは例年720日前後です。

やまゆりの小径(500輪近く)ほか、梅林(300輪以上)、紅黄葉樹園など、各所で咲いています。

 ヤマユリは発芽から開花までに少なくとも5年から7年かかるのだそうです。

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やまゆりの小径で

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2016年5月15日 (日)

ユリノキ(百合の木)の花が咲いてました  5月12日

 ユリノキの花が咲いているのでは?
そんな感がはたらきユリノキ通りに行ってみると、昨年と同じ場所の木で咲いていました。

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ユリノキ通りは約3㌔で道路の両側にユリノキが植えられています。
不思議なのは、沿道に沿って歩いてみて、他では花を見つけられませんでした。

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この木では何ヵ所にも花が咲いていました

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この「ユリノキ通り」看板の近く3本の木で花を確認









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2016年5月14日 (土)

小渕観音院円空仏群7像御開帳  5月3日~5日

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小渕山観音院仁王門=春日部市指定文化財

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円空仏7体が里帰りしました=埼玉県有形文化財

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 何年も前から小渕観音院が所有する円空仏を見たいと思っていました。
調べて分かったことは、貴重な有形文化財である円空仏を、埼玉県立歴史と民俗の博物館に委託管理してもらっていて、小渕観音院では見られないということでした。
 そうしたこともあって、小渕観音院にさえ行っていませんでした。
 5年前に、県の博物館で円空仏の展示公開があって、その時に7体の円空仏を初めて見ることができました。

 それ以来、記念すべき円空仏祭が小渕観音院で開催され、本当にうれしく思いました。
4日に訪れ感慨深く円空仏7像と仁王門を見てきました。
 かすかべ案内人の会の人たちが円空仏の説明をされていました。また、仁王門修理の活動をみなさんが行っていました。

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仁王門
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