書籍・雑誌

2009年6月26日 (金)

「あの戦争から遠く離れて」・「遥かなる絆」から思うこと  

「あの戦争から遠く離れて」  城 戸 久 枝  著 
                     大宅壮一ノンフィクション賞受賞
「遥かなる絆」 NHK土曜ドラマ6回放映(済)
                                        演出-岡崎栄

NHK四国スペシャル 
  「故郷行 中国・家族のルーツをたどる旅」


 今年、4月21日の「しんぶん赤旗」で演出家の岡崎栄さんがドラマ「遥かなる絆」について語っている記事を読み、ドラマを見ることにしました。1回目は4月18日放送でしたから見ませんでしたが、2回目からは最後まで見ました。この2回目を見た後に、本屋で「遥かなるPhoto 絆」の原本になった、城戸久枝さんの「あの戦争から遠く離れて」を注文しました。本が届いてからはドラマより先行して読み切りました。NHKのホームページで、原作者の城戸久枝さん、脚本家の吉田紀子さん、演出家の岡崎栄さん、プロデューサーの小松昌代さんの短い文章で思いも読むことができました。そして、ドラマ放映が全部終わった後に、5月31日に「NHK四国のスペシャル放送」が全国放送され、それも見ました。
 全体を通して、本もドラマもすばらしい内容で、感動して、ある時には涙し、赤ペンで線を引きながらドラマを見、本を読みました。
 ブログに書くに当たって、ドラマ主演の鈴木杏さんについて、何も知らなかったので、「どういう人なんだろう」と鈴木杏さんのブログを初めて読ませてもらいました。22歳の現代子らしいブログで、暖かさが伝わってきて、少し理解することができました。
 そして、私の記録として残しておこうとブログを書いているところです。

 社会主義をめざす中国と資本主義の日本、その違いを
  乗り越えて結ばれる家族の絆が、気取らずに、素直な
  気持ちで、人間性が語られていました。人を信じること
 
の大切さが私の胸に迫りました。

■ ドラマ制作にかかわった人たちの声から

○ 脚本家の吉田紀子さん
 執筆の依頼を受けた。実はその時一度、この仕事をお断りしている。仕事が立て込み、時間があまりにもなかったからだ。けれど、「あの戦争から遠く離れて」は送られてきた。読み出したら最後、涙が止まらず、気づいたら受話器を握りしめて「書きます」と叫んでいた。

○ 演出家の岡崎 栄さん
 「大地の子」から14年。再び中国残留孤児の軌跡をドラマにしました。
私たちは、酷寒のマイナス20度という厳しい条件の中でしたが、その事実の現場に今、自分たちも身を置いているという身震いするような感動で撮影を続けていました。舞台の合間を縫い、ある時は地方公演の金沢から友人の運転する車で松山のロケに駆けつけてくださった加藤健一さん、原作者・城戸久枝さんの役で母国語のように中国語を駆使しなければならないという難役に、心の壁をときほぐす繊細な表現で感動を盛り上げてくれた鈴木杏さん。
 今、このドラマをご覧いただけることに、私たちは誇らしささえ感じています。

○ プロデューサーの小松昌代さん
 悲しい気持ち、寂しい気持ち、そして勇気。それらを素直にお伝えすることができたなら・・・その一心でドラマの現場は進行しました。

○ 城戸久枝役の鈴木杏さんのブログより
  成せばなる
     何とかなる
       なるようにしかならない
 この言葉は鈴木杏さんの座右の銘だそうです。
 さ、今日は一日中撮影。そして、ほぼ中国語!! きちゃった。きてしまった、この日が。大丈夫かしら私。ちゃんと覚えているかな?発音大丈夫かな?松山弁も大丈夫かな??
  (すごい努力を重ねたことがよくわかります)
 08年12月19日記 「川が凍っている! 驚き、そして感動。  今日が今までで一番寒い、冷たい日だった。鼻から息を吸い込むと、中でぱりぱりと凍っていく感じがする。マフラーにかかった息も、あっという間に凍る。雪は溶けることを知らず、肩に帽子に、どんどん積もる。
 それぐらい、厳しいものだったけれど、今日、撮影したシーン、自分でも思ってもみなかった方に感情が動いて、溢れて。
 相手の役者さんとの、そして役との、ココロがふわ~っと通っていく感じが、全身に一気に血が巡るようで、心地よい温かさだった。

 私の叔父と叔母さんのことが重なって思われました
私の叔父さん(故人)は中国の内蒙古の明安旗で日本の官吏として仕事をしていて、叔母さんと2才7ヵ月の娘とまだ幼子の男の子の4人家族でした。日本の敗戦で外蒙古とソ連軍に捕まり、叔父は他の男性たちと共に連れられていきました。叔父さんはウランバートルで戦争捕虜として15年の有罪の判決を受け、1953年に釈放され鋼鉄製造者として働きました。叔父さんは1955年、モンゴルから中国を経て日本に帰国しました。叔母さんは2人の子どもを守りながら苦労しながら10ヵ月かけて中国から帰国しました。帰国後、叔母さんは赤十字を通じて熱心にモンゴル政府に夫の帰国を要請する手紙を出しました。その手紙の1通はモンゴル政府の公文書に保管されていたことが後にわかりました。そういう努力もあって叔父さんは1955年12月に日本の生家に帰国しました。私は当時中学1年生で、あまり覚えていないのですが、叔父さんが母親と家の前で抱き合って喜んでいた姿が記憶にあるのです。

 

 

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