日記・コラム・つぶやき

2013年11月20日 (水)

NHKよ 政治ニュースの報道しっかりして  11月20日

pout NHKの政治関連ニュースは注意しないと信頼がおけません。特に秘密保護法についてのニュースはひどいもので、秘密保護法案の危険な内容も知らずに、気がついた時には、「こんなはずではなかった」となってしまうのではと危惧してNHKに質問をしました。
 帰ってきた返事は儀礼的なあいさつでしかなく、視聴者を軽くみているように思えて仕方ありません。


● 2013年11月15日のNHKへの質問

ETV特集などでは、時々すばらしい報道がされていますが、今、特別保護法案、日本版NSC法案が憲法の国民主権を侵す方向へ進もうとしていて危険を感じています。NHKには何人の解説委員がいるのですか。11日にはTVキャスタ-の有志が訴えを出し、日弁連、各種法律関係者、ペンクラブなど秘密保護法反対の声を上げていますが、NHKの報道からは、国会で修正うんぬんなど、ただ伝える報道だけで本質にせまろうとしていないと思います。これでジヤーナリストの役割を果たせるのですか。真剣になってください。解説員は何をやっているのですか。どう考えているのですか。ETV特集なども作れなくなってしまうのでは。返事をください。

● 返事に対する再質問
   2013年11月16日

 返事をいただきましたが、いつものように、一遍通りの返事が返ってくるのではと思っていましたが、思った通りでした。NHKのニュースは信頼できません。
 私の問いに答えて下さい。解説委員は何人いるんですか。その解説委員が秘密保護法案についてどういう論評をしたのですか。
 NHKの記者たちは秘密保護法案についてどう考えているのですか。私たちの心配に納得できるように解明する責任があるのではありませんか。
今のNHKの報道姿勢では、長いものにまかれろで、国民に真実を知らせないで、気がついた時には大変な国になってしまうのではないでしょうか。質問者の問いに明確に答えてください。はぐらかさないでください。

● 返事がないので 
  2013年11月20日


問い合わせ番号[1763190_1763200](11月16日)に返事がありませんが、どうしたのでしょうか。日が経っていますが無視していないですよね。
 私たちの受信料でNHKは成り立っているのですよね。責任ある返事を待っています。

▲ NHKより早速返事
  2013年11月20日

いつもNHKの番組やニュースをご視聴いただき、ありがとうございます。
お問い合わせの件についてご連絡いたします。

誠に申し訳ございませんが、個別のニュース判断、および見解についてはお答えをしておりません。

今後とも、NHKをご支援いただきますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。

NHKふれあいセンター(放送)

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2013年7月18日 (木)

ulyssesさんへ           7月18日

delicious 2回の書き込みをいただきました。

このまま、あなたの批判、質問?に答えていくと、いつまでも平行線で進む感じです。
 あなたの意見から逃げるつもりは全くありませんが、私のブログの目的から外れていってしまいます。
面と向き合っての論議なら、それはそれでいいでしょうけれど、ブログでは適当でありません。
「暖かさと希望を届けたい」は私固有のものですから、今日から、あなたからの書き込みは上記の主旨でお断りします。書き込みは削除させてもらいます。

happy01 大洗町でも、住民や観光客からも「なんでもありきなのか!!」「やりすぎ」と批判の声が上がっていているそうです。
住民から町に抗議の申し入れがされているそうです。

 日本中どこにも、「おかしなものは、おかしい」と良心の声を上げる人たちがたくさんいるということです。みなだれもが安心して平和な社会で暮らしていきたと願っているのですから。

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2011年4月23日 (土)

菅野武さんと田中好子さんの事   4月23日

「東日本大震災、力を合わせ乗り越えよう」
                          2011年3月17日記事


「白い光  黒い雨  ヒロシマナガサキの映画から」
                 2009年8月4日記事


clover 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

 二つのブログ記事へ、ここ数日驚くほどアクセスが続いています。
22日には1,064人もの訪問者があり、私がブログを始めてから初めての事で「なぜだろう」と驚いてしまいました。

  福島原発事故で「黒い雨」に関心 ?

 2009年8月4日の記事へのアクセスが約47%で、広島、長崎に投下された原爆と福島の原発事故は少し性格が違うので、あの記事で誤解を招くようなことがあってはと考えましたが、あの記事におかしい点はありません。
Tanakayoshiko1_2
 そして気付いたのが女優の田中好子さんが4月21日に亡くなった事と関係があるようなのです。
 私の認識の中で田中好子さんといえば、キャンディーズよりもNHKの連続ドラマ「ちゅらさん」の母親役が印象深く残っていて、残念な気持ちでいっぱいで哀悼の気持ちをお伝えします。

  田中好子さんが 「黒い雨(映画)」で主演

 1989年に今村昌平監督の「黒い雨」(映画)で高丸矢須子役で主演されていたことを知りました。(いままでは知りませんでした)
 井伏鱒二の小説を映画化したもので、広島への原爆投下によって人生を変えられてしまった人たちを描き、二次被曝の恐ろしさも明瞭に描いている映画だそうです。(私は見たことがない映画)
 1990年日本アカデミー賞として「黒い雨」が最優秀作品賞に選ばれ、田中好子さんは最優秀主演女優賞に輝きました。そういう映画だったのです。

 私が2009年8月4日に書いた記事「白い光 黒い雨 ヒロシマナガサキ」は日系二世のアメリカ人のスティーブン・オカザキ監督が作成したドキュメント映画です。
 この映画では被爆者と核開発者や原爆投下者など14人が証言していて、私は改めて広島、長崎への原爆投下の誤りと、今も苦しめられている人たちがいることに深い憤りと悲しみを持ちました。

 二つの映画の「黒い雨」が共通点だったのです。

黒い雨による体内被曝によって今も苦しめられている人たちがいる。
黒い雨が降った地域が不当に狭められていることが研究者たちによって明らかにされ、今まで原爆症と認定されていなかった人たちにもようやく救助の手がさしのべられるようになったのですが依然として苦しみは続いています。
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 福島原発事故でも体内被曝の恐ろしさは原爆投下と全く変わらないもので、一刻も早く英知を結集して終息させなければなりません。原子力発電は「安全」という安全神話が覆されたわけで、このまま原子力発電政策を推進することは許されません。

 私は2009年11月に長崎・広島を再訪しましたが、広島平和記念資料館で、放射線の人体への影響について改めて考えさせられました。「黒い雨」についのみ紹介させていただきます。

黒い雨

● 爆発(ばくはつ)の直後、キノコ雲が立ち上のぼり、泥(どろ)やチリなどが上空に巻(ま)き上げられました。さらに、爆発(ばくはつ)後に発生した大火災(だいかさい)によるススが、暖(あたた)められた空気とともに上空に吹(ふ)き上げられました。これらのチリやススなどは放射能(ほうしゃのう)を帯びており、空気中の水滴(すいてき)と混(ま)じり雨粒(あまつぶ)となって地上に降(ふ)りました。この雨は「黒い雨」と呼(よ)ばれました。

 原子爆弾(ばくだん)爆発(ばくはつ)直後の状況(じょうきょう)
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スケッチ図この絵は、当時の広島管区気象台の気象技師(ぎし)たちが爆発(ばくはつ)直後から30分後ころまでのようすをスケッチしたものです。
爆発(ばくはつ)後、チリやススなどが地表から巻(ま)き上げられて黒煙(こくえん)となりました。チリやススは空気中の水滴(すいてき)と混(ま)じり、黒い雨となって降ふ)りました。

 原爆(げんばく)が投下されたとき、寄贈者(きそうしゃ)の八島秋次郎さん(当時36歳(さい))は自宅(じたく)で朝食をとっていました。
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 爆風(ばくふう)で自宅(じたく)の屋根がずれ、屋根と壁(かべ)の間にすきまができ、そのすきまからドロドロとした黒い雨がふりこみ、その跡(あと)が壁(かべ)にくっきりと残りました。この黒い雨は、爆発後(ばくはつご)、市街地が大火災になるとともに、強烈(きょうれつ)な火事あらしや竜巻(たつまき)が起こり、爆発(ばくはつ)の20?30分後ころから市域(しいき)の北西部地域(ほくせいぶちいき)に降(ふ)ったものです。この雨には爆発(ばくはつ)による誘導放射能(ゆうどうほうしゃのう)を受けたすすやほこりなどの放射性降下物(ほうしゃせいこうかぶつ)が多量に含(ふく)まれていたため、遠隔地(えんかくち)にまで放射線(ほうしゃせん)の影響(えいきょう)が及(およ)びました。


「世界で最も影響力ある100人」の一人に
           選ばれた菅野武さん


 大震災が発生してから、津波の猛威に恐ろしさを感じました。そうした被災地で苦難に負けずに生き抜いている多くの人たちの姿にいつも勇気づけられています。
 少しでもそうした人たちの姿を伝えたいと3月16日からですがブログを書き続けました。
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(津波に襲われた志津川病院)
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(奥さんの出産前の堅い思い)
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(犠牲になった人々を想いながら)
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(怜(れい)くんを抱きながら)
菅野武さんについては、奥さんの出産のことから知り書きました。
 南三陸町は死者483名行方不明者649名で震災前の美しい街は一変してしまいました。
志津川病院の医師として5階建の病院で4階まで津波が押し寄せ、多くの犠牲者が出る中で最後まで職場の同僚や患者さんたちと力を合わせ救助されました。
 出産のため仙台にいた奥さんが3月16日、菅野武さんが見守る中で男の子を出産。怜と命名されました。
 その後も、現場で救援復興に取り組む菅野武さんの姿をテレビで何回か見ていました。
米誌タイムで「世界で最も影響力ある100人」の一人に福島県南相馬市長の桜井勝延さんといっしょに選ばれていることを知りました。
 菅野武さんは、4月に志津川病院を退職し東北大学大学院で学ぶことになったことを知りました。菅野武さんは大学で学びながら南三陸町には通い続けるつもりと抱負を述べています。

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2011年2月 1日 (火)

「もずが枯れ木で」は厭戦歌だった  2月1日


もずが枯れ木で


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作詞:サトウハチロー
作曲:徳富 繁

1 もずが枯木で鳴いている
  おいらは藁(わら)をたたいてる
  綿ひき車はお婆さん
  コットン水車もまわってる
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2 みんな去年と同じだよ
  けれども足りねえものがある
  兄(あん)さの薪割る音がねえ
  バッサリ薪割る音がねえ

3 兄さは満州へ行っただよ
  鉄砲が涙で光っただ
  もずよ寒いと鳴くがよい
  兄さはもっと寒いだろ


 1月29日に久しぶりに内牧の黒沼に野鳥に会うために出かけました。
この日、私にとってはすばらしい事がいくつか有りました。
その内容は追い追い紹介したいと思いますが、きょうは「モズ」について紹介します。

  もず・モズ・百舌

 29日に初めてモズとわかる写真を撮ることができました。
写真を撮っていて、図鑑で見ていた「モズだ」と確信でき嬉しくなり、なんとなく「もずが枯れ木で」の歌を口ずさんでいたのです。
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 (木の枝に止まったモズ)
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 (蓮沼の枯れ枝に止まったモズ) 
 今日、改めて歌詞を口ずさむときちっとは歌えません。
それでネット検索して上記の歌詞を認識したのでした。
偶然なのですが、二木紘三さんのホームページでこの歌の歌詞がサトウハチロウが書き、茨城県の徳富繁さんが作曲したことを知りました。
 この歌が1935年に作られていて、日本の軍国主義が中国への本格的戦争を拡大していた時期でした。この歌の3番の歌詞はまさに厭戦の詩だと思うのです。よくこんな歌が戦時中の検閲を潜り抜けたものだと不思議に思うのです。戦後の歌声運動の中でも歌われていたそうですが、私はどこで覚えたのでしょうか?記憶が定かでありません。
 私は正確には理解していないのですが、サトウハチロウは戦争に協力する詩を作った人とばかり思っていました。
 そうとばかりは言えない面を持っている人のようだということを二木さんの研究文書を読んで知り驚いたのです。

 詳しくは二木紘三さんのホームページをご覧ください。
httpここをクリックして://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/03/post_0945.html

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2010年9月 2日 (木)

関東大震災と大川常吉氏のこと   9月2日

朝鮮人を守った鶴見警察署長の大川常吉氏

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 1923年9月1日に起きた関東大震災から87年が経ちました。
Img_22391 
 (横網町公園 慰霊堂の一角にある朝鮮人犠牲者追悼碑)


D6214e32s_2今朝、NHKのテレビで関東大震災の時に、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマに惑わされた人たちが朝鮮人を襲撃し虐殺するなどの事態が各地に発生し、神奈川県鶴見警察署 に逃れてきた朝鮮人300人を署内に収容し、「朝鮮人を出せ」などと迫る1,000人からの民衆に、毅然と対処して守り抜いた大川常吉署長がいたということを知りました。
 私はそうした事は全く知らなかったので、あの時代に「そういう人がいたのだ」と感動して聞きました。それも警察署長という職にいながらのことなので、さっそくネットで検索すると大川常吉氏のことについての記事がたくさんありました。その中から次のブログをここに掲載しますので詳しくはご覧ください。
http://ここをクリックしてlogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/archives/1750156.html

立場を超えて勇気ある行動を貫いたことに改めて感動しました。



  何千人という朝鮮人と中国人が虐殺され
  日本共産青年同盟委員長の川合義虎をはじめ
  労働組合幹部や社会主義者などを虐殺(亀戸事件)


 当時の天皇制政府と支配勢力は関東大震災の混乱に乗じて「社会主義者が内乱をくわだPhotoImg_22451_2 てている」「朝鮮人が暴動をおこした」とかいうデマをふりまき、戒厳令を布告して軍隊をも出動させて社会主義運動、労働組合運動を弾圧しました。そのなかで、日本共産青年同盟初 代委員長の川合義虎(当時21歳)、労働組合幹部、社会主義者の平沢計七など10名が虐殺された亀戸事件もおきました。
 何千人という朝鮮人と中国人も虐殺されました。
東京墨田区横網町公園の東京慰霊堂には関東大震災で犠牲になった人々と東京大空襲で犠牲になった人々が祀られています。その一角に朝鮮の人々にした許されざる日本人の行為を反省し朝鮮人犠牲者を追悼する碑もあります。
 今年は「韓国併合100年」の年でもあり、植民地支配をした朝鮮の人々には言い尽くせぬ加害を与えており、二度と繰り返してはならないと思うのです。

 今日、調べていて川合義虎は長野県上田の出身であることを初めて知り、川合義虎への哀悼の念も強くしたのでした。

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2010年6月 7日 (月)

粕壁エイサーまつりで   6月6日

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 ふ る さ と の 風~ ウムイウチナー
        作詞・作曲 シューベルトまつだ  編曲YOH

わんがまだ  わらば-の頃  故郷沖縄はアメリカだった

お年玉は1ドルだった  10セント握りしめ駄菓子屋通ってた

街並みには横文字の看板が並び  行き交う車は右側走ってた

幼心にそんな事は何も知らず  当たり前の事だと普通に思ってた

覚えてますか  忘れちゃいないか  今何を見ているのだろうか

描いた明日は見えてますか  遠い昔のことですか・・・

見上げた空に  願いを込めて  この想い届くと信じ

星の数だけ涙流せば  きっともっと幸せになる

Img_8553 戦争の事は何も知らないけど

親父お袋によく話を聞かされて育った

二度と繰り返しちゃいけない事だと  幼い心にも伝わっていた

違和感を抱き島を渡り

何かを感じて思い過ごしてきたから

離れて気付く故郷への思い  かけがえのないぬくもりを

いちゃりばちょーでー  結い結いまーる

Img_2748若夏の季節のように

青い空はどこまで続く  この想い届けたくて

輝く太陽(てぃだ)の光の中で  もっと笑顔溢れるように

あきらめないで花を咲かそう  いつかきっと自分の手で

見上げた空に願いを込めて  この想い届くと信じ

青い空はどこまで続く  この想い届けたくて

島人ぬ風と共に  島人ぬ風のように・・・

* わん(自分)   わらばー(子ども)

happy01  httpここをクリックするとふるさとの風へ://www.youtube.com/watch?v=H-XNnDTpBZU  


 
シューベルトまつださんを初めて知りました

 私はシューベルトまつださんというシングソングライターを知りませんでした。
粕壁エイサーまつりに初めて参加しましたが、シューベルトまつださんは司会をしながら、ワンステージで歌いました。
 6月23日の沖縄慰霊の日についてふれながら、「ふるさとの風」をうたいました。
 
  「ふるさとの風」に胸が熱くなりました

このうたを歌いだしたシューベルトまつださん。
私は「ああ~こんなうたを歌うんだ」「すばらしいうただな~」
感動で涙が出てしまいました
最近では歌でこんなに感動したことがありませんでした

エイサーを盛んに盛り上げることも大切、だけれど、沖縄の現実も考えなければ
強制するものではないでしょうけれど、エイサーに込める思いに、沖縄に米軍基地はいらない、戦争は絶対にいけないという熱い想いが込められてよいのではないでしょうか。
島人ぬの希望をあきらめない想いが強く伝わってきました。

すぐにCDを購入し、シューベルトまつださんにサインをしてもらい、感動を伝えました。

家に帰ってすぐにCDを聞きました。

シューベルトまつださん、てどんな人。

私は全く知りません。
ネットを検索してホームページを見ました。
いろいろな事をしている人だということを知りました。

上記で紹介した「ふるさとの風」をふくめ何曲かが紹介されていましたので、紹介させてもらいました。

 CDの全曲を何回か聞きましたが、すばらしい曲がいっぱいです。

シューベルトまつださんありがとうございました。
益々の活躍を願ってやみません。

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2010年4月17日 (土)

井上ひさしさんをしのぶ   4月17日

「ヒバクシャからの手紙」の井上ひさしさん
偲ばれます


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 昨年の8月8日から9日の未明にかけて、NHKでナガサキとヒロシマを結んで「ヒバクシャの手紙」が放送されました。夜中でしたが多くのヒバクシャの手紙にひきつけられて最後まで
視聴しました。
114 この番組のゲストとして井上ひさしさんが話をされましたが、その話が印象深くわたしの記憶に残りました。

 その井上ひさしさんが4月9日に75歳で亡くなられたことを知り、「9条の会」の呼びかけ人の1人でもあり、大変残念で悲しく思いました。でも、娘さんのお父さんの死亡報告がすばらしく感動して聞きました。
 私の気持ちには、すぐに、昨年の「ヒバクシャの手紙」のことがよみがえり、井上ひさしさんの追悼に、あの放送内容の井上ひさしさんの話を紹介させていただくことにしました。

 子や孫へのメッセージ
      「ヒバクシャからの手紙」  424通111

 放送中に寄せられたファックスやメールなどの意見・感想は 
                               770通


井上ひさしさんの前半での話

 「これは、ちょっと世界史でもめずらしい。新しい思想ですね」

「むしろ、こんな苦しみを違う人たちに与えてはいけないという方へ被爆者の気持ちが動いていくんですよね。

117  これは、ちょっと世界史でもめずらしい。

新しい思想ですね。眼には眼をとか、すぐ仕返しや復讐することを積み重ねてきた人類史のなかに、それを受け入れて、許して、他の人に同じことがあっては困るという新しい思想が二つの街から、苦しんでいる方々から浮かびあがってきたということは、すごいことだと思いますね。

 これが、これからの世界の、おそらく、それを守らないと生きていけない。そこに来ているように思いますね。

 仕返しだとか憎悪の連鎖だとか、そんなことでなく、ここで終わりにしよう。自分たちは全部つらいことを引き受けたから、つらいことは他の人たちにはあってはならない。これは、すばらしい思想だと思います。これが今、作られながら来年、再来年も作られていくと思います。」


後半での井上ひさしさんの話

「人間には不幸の中から希望をつかむ能力がある」

「将来の不安とかたくさんあるのを。
だからこそ、大きな愛が生まれてくる。

086 人間は不幸の中から希望をつかむ能力がすごくあると思いますね。

これからの核廃絶に向かう道でもそこが最大の勘所になると思います。

不幸の中から未来をつかんで行きながら生きて行くという」

(司会)「井上さんは思いやり、想像力とよくおっしゃられていますよね」

(井上)「かんたんで、相手の立場になるってことだけなんですよね。被爆者の立場になってみるとか、亡くなった人の無念さを自分がそこに立ってみるとか。それしかないですよね。人間のやれることは。むずかしいですけれどね」

(司会者)「井上さんはまず記憶せよとおっしゃいますね」

(井上)「記憶して、抗議して、生き延びる-この三つの言葉が一番大事じゃないかと考え、全て、そうやってるつもりなんです。
今、希望が手紙の中から生まれてくるんですよね。」

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2010年3月31日 (水)

逆転無罪判決が当たり前のこと    3月31日

たたかいによって守られらた表現の自由
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 ビラ配布に対する不当な判決が続いていた中で、東京高裁の判決は画期的な内容だったと思います。

● 東京高等裁判所での判決文要旨
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 表現の自由、政治活動に対しての不当な弾圧は明確に憲法に違反していて、黙っているわけにはいかないと、ビラ配布事件には記事を書き続けてきました。
 やったこともなかった最高裁判所裁判官にも要請と抗議の文書も送りました。
ビラを配布しただけでなぜ罰せられなければならないのか。こんな不条理はどうしても許せないのです。

 ビラ配布事件で不当に弾圧された人たちが、たたかい続け、弁護士をはじめ多くの人々の活動の中で勝ちとれた判決でこんなに嬉しいことはありません。

 この東京高裁での逆転無罪判決がマスメディアでどう報道されるか注目していましたが、私の期待には反するものでしたが、どの報道も、この判決を快く歓迎していることでは一致していました。これが「納得のいく判決」だったからではないでしょうか。
(判決の内容に、公安警察の不当な捜査や、国家公務員法に関しての問題が残りましたが)

 私がわかる範囲でその報道を掲載することにしました。
「東京」新聞、「毎日」新聞、「朝日」新聞、「しんぶん赤旗」が30日には報道しました。


● 「東京」新聞

   【コラム】  筆洗         

2010年3月30日

 共産党を支持する社会保険庁(当時)の職員を、警視庁公安部などの捜査員は約四十日間、徹底的に尾行した。
自宅を出た後に、昼食に何を食べ、夕方にだれと会ったのか。夜はどんな集会に参加したのか
▼行動は分刻みに記録された。多い日には十人以上の警察官が出動し、三、四台の車両、ビデオカメラ四~六台がたった一人の尾行に使われた。私生活に踏み込む執拗(しつよう)さは、戦時中に戻ったような錯覚さえ抱かせる
▼一人のプライバシーをなぜ、ここまで監視しなければならなかったのか。それは国家公務員が休みの日に、政党機関紙を配った行為を「犯罪」とするためだった
▼東京高裁はきのう、堀越明男さんに逆転無罪の判決を言い渡した。政治活動を禁じた国家公務員法の罰則規定を適用することは「国家公務員の政治活動に限度を超えた制約を加えることになり、(表現の自由を定めた)憲法二一条に違反する」という明快な判断だった
▼中山隆夫裁判長は「公務員の政治的行為は、表現の自由の発現として相当程度許容的になってきている」と社会状況の変化に言及する異例の「付言」をした。国民の常識に沿った考えだ
▼同じ警視庁公安部が威信をかけて捜査してきた国松孝次警察庁長官の銃撃事件はきょう、公訴時効を迎えた。
納税者として警視庁に言いたい。「税金の使い方がおかしくないですか」と。


● 「毎日」新聞

  社説  10年3月30日

社説:公務員ビラ無罪 注目すべき問題提起だ

 旧社会保険庁職員が休日に共産党機関紙を配布した行為は、国家公務員の「政治的行為」として刑事罰に問われるべきか。
 東京高裁は、表現の自由を保障した憲法に反するとして、1審の有罪判決を破棄し、無罪を言い渡した。常識に照らせば、処罰は国家公務員の政治活動の自由に対する「限度を超えた制約」に当たるとする。おおむね妥当な判断ではないだろうか。
 判決は、インターネットの普及などにも触れて、表現・言論の自由に対する国民の認識は深まっているとの見解を示す。その上で「西欧先進国に比べ、国家公務員に対する政治的行為の禁止は、過度に広範過ぎる部分がある」とも指摘した。
 国家公務員法の禁止する「政治的行為」は、人事院規則で定められる。政党や政治団体の機関紙配布も含まれ、罰則もある。この規定について最高裁大法廷は74年、合憲判断を示している。
 東京高裁判決は、最高裁判例について「学説上多くの批判がある」と指摘しつつも、弁護側の主張する規定自体が違憲との主張は退けた。
 国家公務員の政治活動が際限なく許されることはあり得まい。どこまでなら許されるのか。高裁判決が、判断基準として、社会状況の変化と国民の法意識をモノサシとした点は新しい考え方だ。
 例えば、ビラ配りでも「中央省庁の幹部のように地位が高く、大きな職務権限を有する者、集団的、組織的に行われた場合は別だ」と述べる。どこからが幹部なのか議論の余地は残るものの具体的だ。
 今回、無罪とした根拠の一つが休日だった点だ。勤務時間外の活動について判決は「余暇の活用が言われる現代において、国民の目から見た場合、職務とは無関係という評価につながる」と指摘する。職種についても「例えば、運転手などは、行政固有のものでなく、行政の中立的運営が阻害されるとは考えられない」と踏み込んで言及している。
 折しも、政権交代が実現し、公務員制度改革が議題に上る時期である。政治の側は、司法からの問題提起の一つとして、公務員の政治活動のあり方、新たな基準作りの必要性について議論を始めてほしい。
 ビラ配布をめぐる司法判断が相次ぐ。最高裁は昨年、集合マンション内に入り共産党ビラを配った僧侶を住居侵入罪で有罪とした。だが、強引で行き過ぎる摘発は、言論活動の萎縮(いしゅく)を招き穏当ではない。
 今回も上告審で争われるとみられる。国家公務員の政治活動に「表現の自由」が絡む今日的なテーマだ。最高裁には時代の変化に即した明快な憲法判断を望みたい。


●  「朝日」新聞
 社説と社会面で報道しましたが、主張を掲載します。

   「朝日」新聞社説  10年3月30日

「赤旗」配布無罪―時代に沿う当然の判断だ

 国家公務員が休日に、公務と関係なく、政党の機関紙を配布したことを処罰するのは、表現の自由を保障した憲法に違反する。そんな判断を東京高裁が示した。
 公務員の政治活動に対するこれまでの規制の範囲は、不必要に広すぎた。表現の自由は民主主義国家の政治的基盤を根元から支えるものだ。そう言い切った判決の論旨を高く評価したい。
 被告は旧社会保険庁職員。2003年の衆院選前に、共産党機関紙「しんぶん赤旗」を自宅近くのマンションの郵便受けに配ったとして、国家公務員法違反(政治的行為の制限)の罪に問われた。同法とそれに基づく人事院規則は政党の機関紙などを発行、編集、配布してはならないなどと定める。
 公務員の政治活動については、「猿払(さるふつ)事件」についての1974年の最高裁大法廷判決が、長く合憲性判断の基準とされてきた。衆院選で社会党(当時)の選挙ポスターを掲示、配布した郵便局員を有罪とした判決である。
 猿払判決は、国家公務員の政治活動について、その公務員の地位や職種、勤務時間であったか否かなどのいかんを問わず、幅広く禁止できるという判断を打ち出した。
 今回、高裁判決は、この点について明確に疑義を呈した。公務員に対する国民の意識が変わったからだという。
 猿払事件当時は東西冷戦下、左右のイデオロギー対立が続いていた。社会情勢の不安定さもあって、公務員の政治活動についても、その影響力を強く考えがちだった。しかし、現在は民主主義が成熟し、表現の自由が大切だという認識も深まっている。
 こんな見方に立ち、判決は被告への罰則適用について「必要な限度」を超えていると指摘。公務員の政治活動そのものについても、許される範囲などについて「再検討され、整理されるべき時代」が来ていると述べた。
 妥当な、思慮深い判断である。
 もとより猿払判決には、かねて学界などから批判が多かった。今回の高裁判決は、時代や国民意識の変化を見極めたうえでの結論なのだろうが、むしろ裁判所の意識がようやく国民に追いついたという方が正確ではないか。そのことは指摘しておきたい。
 今回の事件では警察の捜査手法も問題となった。大量の捜査員を投入し、長期間尾行し、ビデオに撮るなど、異様さが際だった。
 ここ数年、ビラを配布しただけで刑罰に問われる事件も目立つ。いかにも軽微な行為を罪に問うことが横行すれば、社会は萎縮(いしゅく)してしまう。民主主義にとっては大きな妨げである。
 裁判は上告審に移り、論争が続く可能性が高いという。最高裁には、今回の高裁判決を踏まえた賢明な判断を求めたい。

●  「しんぶん赤旗」
 主張、3面、社会面で大きく報道しましたが、主張を掲載します。

「しんぶん赤旗」主張  10年3月30日

堀越事件逆転無罪
弾圧の意図挫(くじ)く意義ある判決

 国家公務員であっても、休日に自宅のまわりで普通の市民として、政党機関紙号外などを配布することがどうして犯罪として罰せられなければならないのか―。2003年の総選挙で「しんぶん赤旗」号外を配布した元社会保険庁職員の堀越明男さんが理不尽にも逮捕・起訴され、裁判がつづいていた弾圧事件で、東京高裁は一審の東京地裁の有罪判決をくつがえし、無罪を言い渡しました。国家公務員の政治活動を一律・全面的に禁止する理由がないことを事実で証明した、意義ある判決です。
市民の当たり前の行為
 堀越さんは、休日に「しんぶん赤旗」号外を職場からも離れた居住地周辺の住宅の郵便受けに配布するという、市民として当たり前の行為をしただけです。ところがそれが国家公務員の政治活動を禁止した国家公務員法と人事院規則に違反するとして逮捕され、裁判にかけられました。実に37年ぶりという、国公法違反事件です。
 しかも一審の東京地裁は、堀越さんを有罪としました。学者・文化人・法曹界をはじめ、国民的な批判が寄せられ、国連の自由権規約委員会も08年10月、「自由権規約で保護されている政治活動を、警察、検察官、裁判所が過度に制約しないように、表現の自由と参政権に対して課されたいかなる非合理な法律上の制約をも廃止すべきである」と、日本政府に勧告しました。
 公務員であろうと、民間労働者であろうと、一市民としてビラ配布その他の政治活動をおこなうことは自由です。公務員の政治活動の禁止は、公務の公正な執行が妨げられるなどが理由ですが、公務は法令や通達などによって組織の目的に反しないようチェックする態勢があり、職員個人の、職務と関係のない政治活動を禁止するのは筋違いです。
 世界的にも、イギリス、フランス、ドイツでは、職務に影響を与えない公務員の政治活動は自由であり、たとえ公務に害を発生させた場合でも、懲戒処分はあっても刑事罰はありません。実際、郵便局や社会保険庁の民営化によってそこに働く人たちは公務員でなくなり、政治活動の禁止もなくなりましたが、仕事のうえではまったく問題にならず何の混乱もなかったことからも、政治活動を禁止する理由がないのは明らかです。
 東京高裁は、日本の場合、諸外国とくらべ制約が厳しすぎることを認め、堀越さんのような行為を処罰することは、「国家公務員の政治活動の自由にやむを得ない限度を超えた制約を加えるもの」で、表現の自由を認めた憲法21条などに違反するとしました。判決は国公法の政治活動への処罰規定そのものは合憲としている問題はありますが、公安警察が卑劣な尾行や盗み撮りまでして国家公務員の政治活動すべてを禁止しようとした弾圧の意図は許しませんでした。
政治活動の自由保障せよ
 もともと、職務の公正な執行とは無関係に公務員の政治活動を刑事罰で禁止する国公法102条と人事院規則は憲法と国際自由権規約に違反します。
 東京高検が上告を断念して無罪判決を確定させるとともに、国会で国公法、人事院規則の問題点を徹底的に追及し、法改正を提起するために、日本共産党は広範な人たちと協力していきます。

 

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2010年3月29日 (月)

国公法弾圧堀越事件の控訴審で逆転無罪判決  3月29日

東京高裁-久方ぶりに納得のいく判決
検察は判決を真摯に受け止め控訴を断念せよ

 
今日、国公法弾圧堀越事件の控訴審判決が東京高裁(中山隆夫裁判長)であり、地裁判決を破棄して無罪判決を言い渡しました。

 私はネットでのニュース、テレビでのニュースを聞いて、部分的に納得のいかないヶ所もありますが、全体としてはすばらしい納得のいく判決で嬉しくなりました。不当弾圧に抗してたたかってきた堀越明男さん、支援するみなさん、検察が控訴を断念しこの判決が確定するまで力をあわせましょう。

 ビラ配布に対する裁判所判決が、連続して全く納得のいかない不当判決ばかり続いていたのでどうなるか心配していました。司法界にも筋を通そうとしている裁判長がいることがわかって「まんざらでもないな」と良心を感じ久しぶりに嬉しさを感じました。

「政党機関紙配布が行政の中立的運営を侵害するとは考えられず、罰則適用は国家公務員の政治活動の自由に必要限度を超えた制約を加えるもので、表現の自由を定めた憲法に違反する」
          ― 違憲判決を下した判決文より ―

 ニュースを聞いていると、その他にも国際的に日本の国家公務員法の問題点も指摘しています。これを聞いて、国連・自由権規約委員会の日本政府への政治活動の自由を求める勧告なども真剣に検討されたのではないかとも推測され良心を感じました。
 裁判所や裁判官によって違った判決がでてくるとは思うのですが、今回の判決には、私のような素人でもわかる「ビラを配布しただけで、なぜ罰せられなければならいのか」という不条理が正されたのですから。繰り返しになりますが、すばらしい判決だったと思うのです。
 

  法廷にどよめき
 ニュースを読んでいて嬉しいことがもう一つありました。
 裁判の冒頭で中山隆夫裁判長が「原判決を破棄する。被告人は無罪」と宣告すると、静まりかえっていた傍聴席からいっせいにいっせいに大きな拍手が起こり法廷がどよめいたそうです。       ・・・・情景がよくわかります・・・・
 中山裁判長は「静かにしなさい。こんなことで喜んではいけない」と静粛をもとめたそうです。

http国公法堀越事件とは://www.geocities.jp/kokkou_horikoshi/jiken_aramashi.html

 

              

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2010年3月26日 (金)

足利事件無罪確定 菅谷利和さんご苦労さまでした  3月26日

苦節17年半、冤罪を晴らした菅谷利和さんに
心からの尊敬の気持ちを表します。本当にごく労さまでした。


 午後1時のニュースで足利事件、菅谷利和さんの無罪確定の最終判決を感動を持って聞きました。Photo
 不当逮捕から17年半、多くの心ある人々の支援を受けながらたたかいぬいて冤罪を晴らした菅谷利和さんに「本当にごく労さまでした」という言葉がふさわしいのかどうかわかりませんが、他の言葉ががみつからないので使わせてもらいます。

 「うれしい限りです。(裁判長の謝罪は)予想もしていなかった。(冤罪(えんざい)は)これで最後にしてもらいたい」
                判決後の菅谷利和さんの話

 私は菅谷利和さんの話を聞いていて涙が出てしまいました。
菅谷さんが警察、検察、裁判所の自分に対する不当な逮捕、裁判にどれだけの怒りを持っているか、はかり知れません。権力の乱用で起きた冤罪ですから・・・。
  こうした冤罪事件がこれからも起きる可能性はたくさん存在しています。
菅谷さんの「これで最後にしてもらいたい」とい短い言葉の中に、すごい重みを感じました。自分のことだけでなく、再びこうした事件を繰り返してはならないという、国家権力に対しての厳しい告発であり、国民も、つねに情報を正しく判断して、だれであろうと「非条理なものは非条理」として声をあげなければならないと思うのです。(裁判員制度でも)

 佐藤正信宇都宮地裁裁判長は判決の最後で
「菅谷さんの真実の声に十分に耳を傾けられず、17年半もの長きにわたり自由を奪う結果となりましたことを、この事件の公判審理を担当した裁判官として、誠に申し訳なく思います。このような取り返しのつかない事態を思うにつけ、二度とこのようなことを起こしてはならないという思いを強くしています。菅谷の今後の人生に幸多きことを心よりお祈りし、この判決に込められた菅谷さんの思いを深く胸に刻んで、本件再審公判を終えることとします」と
 菅谷利和さんに謝罪しました。

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