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2014年11月14日 (金)

四国全周ハイライト参加で四国が身近に⑥ 11月14日

■ 第6日目 10月24日(金)
小豆島(土庄港)~岡山~東京


 私は小豆島一泊の行程だったので、当然「二十四の瞳」の映画村にも行くとばかり思って楽しみにしていました。ところが予定から抜けていたのでちょっとガッカリ感がありました。

 壺井栄の小説「二十四の瞳」の冒頭は、こんなふうにはじまります。

「十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。世の中のできごとはといえば、選挙の規則があらたまって、普通選挙法というのが生まれ、二月にその第一回の選挙がおこなわれた、二か月後のことになる。昭和三年四月四日。農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ、若い女の先生が赴任してきた。」・・・・

 この小説が1954年に木下恵介監督、高峰秀子主演で映画化されたのです。
私もこの映画を2~3回見たのではないでしょうか。そのたびに、新鮮な感動と勇気を呼び覚まされました。主演が変わってテレビでも取り上げられ続けています。

 バスガイドが小豆島の移動の中で、二十四の瞳について説明をしたので、少しばかり溜飲が下がった感じでした。
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(映画の舞台となった岬が見えました)

● 小豆島ではどこにでもオリーブが

 島ではどこにもオリーブの木が植えられていました。
日本で最初のオリーブ園と言われる小豆島オリーブ園に寄りました。


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(一面がオリーブ畑)
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(オリーブの原木が大切にされていました。1919年からオリーブの栽培が始められたそうです)
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(オリーブの実が色づいていました)
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(傾斜地に石垣を組みオリーブ林を広げていることに苦労を感じました)
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(ギリシア風車)

● 寒霞渓(かんかけい)  小豆島にもこんな渓谷が

 ロープウエイからの眺めがすばらしかったです。
野生の猿がたくさんいるそうですが、山頂までのロープウエイから猿の群れを見ることができました。
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(猿が群れていた岩場)
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(頂上を歩いていて)


● 「平和の群像」  土庄(とのしょう)港

 土庄港の一角に「平和の群像」=1954年の二十四の瞳撮影の記念群像がありました。二十四の瞳に会ったという感じになりました。

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(小豆島よ、さようなら 土庄港)

● 6日間の旅も終りに近づいてきました

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(新岡山港に入ってきたようで、工場群が見えてきて、現実に引き戻される感じになりました)
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 新幹線の中からきれいな富士山を見ることができ、ほうびをもらった感じでした。ほんの2~3分のことでした。
 新横浜駅では旅仲間が下車し、私たちを手を振って見送ってくれました。
みなさんお元気で。楽しい旅をありがとうございました。

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2014年11月13日 (木)

四国全周ハイライト参加で四国が身近に⑤  11月13日

第5日 10月23日(木)
金毘羅宮~大歩危(おおぼけ)・祖谷渓(いやけい)~高松港から小豆島へ
 
この日は金毘羅参りをして徳島県三好市の大歩危峡・祖谷渓を訪ね、香川県高松港に戻りフェリーで小豆島まで移動しました。

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(すばらしい天気で部屋から讃岐富士もよく見えました)
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■ みな元気に785段の石段を登りこんぴらまいりをしました。

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(当たり前のことですが一段から、様々な形で登りました)
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(旭社 森の石松が本殿と間違えて次郎長代参の刀を奉納してしまったとか)
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(もう一息で本宮)
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(金刀比羅宮本殿)
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(本宮から讃岐富士がくっきりと展望できました)

eye 金刀比羅宮は庶民信仰の地として、航海の安全の神様だそうですが、絵馬殿で海上自衛隊がお参りに来ていることを奉納されている樽で知ることができました。ちょっと複雑な感情になりました。その場所で自衛官の制服を着た一団が帰路についてやってきました。聞いてみると、呉の練習船「しらゆき」の乗り組員でした。集団的自衛権行使の解釈改憲で自衛官も大変な状況に置かれています。
 気になっていたので整理する中で「しらゆき」でネット検索したら、お参りにきていた「しらゆき」でいじめ事件が起こり裁判が争われている事実でした。戦争する国への道は許してはならないと思いました。
「shirayuki_14.10.28.docx」をダウンロード

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(バスまでの道すがら、金刀比羅宮の大切にされて来た自然の造形に癒されました。いつまでも大切にしてほうしいと願いました)

 この日、空海の生誕の地である善通寺に行った人もいて、途中で合流しました。
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(善通寺五重塔)

■ 徳島県大歩危(おおぼけ)峡・祖谷(いや)渓

 四国にもこうした渓谷があることに認識を新たにしました。
行き帰りバスの窓から左右にJR土讃線線路が岩場に見えゆ山奥でした。平家が壇ノ浦の戦いで敗れ落ちのびてきて密かに暮したと伝えられている秘境でもありました。

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(大歩危峡の舟下りと上流の小さな滝)
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(祖谷渓かずら橋=野生のシラクチカズラで編んで造った吊り橋で川面から14㍍。高位恐怖症の私ですが、みな渡っているので私も必死で渡り楽しい思い出になりました)
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(レトロなボンネットバスが走っていました)
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(祖谷平家祭りののぼり旗が・・・)


■ 高松港から小豆島へ

国立療養所青松園のある大島はどこ?

 
旅行に出かける前から小豆島への往復途中で、ハンセン病の国立療養所青松園がある大島をこの眼で確かめたいという強い思いがありました。
 国の長い間の人権を無視した差別によって苦しめられてきたハンセン病療養所がある大島のことを10年ほど前に知り、NHKテレビでも何回か療養所で生活するする人たちの姿と、島の小学生の活動、島を出てからも大島のことを知らせようとしている青年たち、島に隔離され親や兄弟のもとにも帰れないけれど、真摯に生き続ける人たちの姿が伝えられた放送があり、に心を揺さぶれてきました。
(参考に) 
http://www.k4.dion.ne.jp/~poet/index.html

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(高松港から大島に向かう船)
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(屋島)
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(夕日がきれいでした)

 大島を見落としてはならないので、甲板に出て「地元の方ですか」と声をかけ、1人の方が「そうですよ」と言うことで「ハンセン病療養所のある大島を教えていただけませんか」とお願いし、教えてもらうことができました。暗くなってきてきていたので、この方がいなかったらわからずに終わってしまったかもしれません。「ありがとうございました」と感謝のお礼をしました。

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(これまでに映像で見てきた大島でした。感慨がありました)
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(大島全景が)

 船の中では遠足の帰りの小豆島池田小学校4年生の生徒たちと親しくなり、いろいろと教えてもらいました。旅にはこういうことがあるからいいですよね。


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2014年11月12日 (水)

四国全周ハイライト参加で四国が身近に④  11月12日

■ 第4日目 10月22日(水)
室戸岬~徳島・薬王寺~鳴門海峡~香川・琴平


 この日は朝から小雨が降ったりやんだりで、雨とはならずにみな喜んでいました。
高知県、徳島県、香川県と6日間の中で一番移動距離が長くなりました。

● 徳島県が生姜(ショウガ)生産日本一で、生姜畑に驚きました。
● 徳島県阿南市福井町は竹の子生産で1981年~1990年まで日本一の時もあったそうです。四国を歩いていて竹林が多いことに気がつきました。


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(室戸岬 中岡慎太郎像と鯨像が出迎えてくれました)
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(室戸阿南海岸国定公園で奇岩がたくさんあり、亜熱帯性植物が花を咲かせる南国に来た感じがしました)
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(室戸灯台と中岡慎太郎像)
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(中岡慎太郎は室戸の生まれで偉人の一人です)
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(真っ赤な色をしたカニが藪の中へ)
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(アコウという亜熱帯植物が何か所にも)
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(ハマナデシコが咲いていました)
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■ 弘法大師(空海)が悟りを開いた御厨人窟(みくろど)

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(海ではうまく波に乗りました)

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(薬王寺)
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(薬王寺女厄坂)

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(鳴門海峡 時間が合わず渦潮はみれませんでした)
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(大鳴門橋)



























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2014年11月11日 (火)

四国全周ハイライト参加で四国が身近に③  11月11日

■ 第3日目 10月21日(火)
足摺岬~四万十川~桂浜~高知城


 四国最南端の足摺岬は天気にも恵まれ、足摺岬灯台から金剛福寺までの遊歩道を最高の気分で歩くことができました。
最南端というにふさわしく、亜熱帯にきたという感じになりました。

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(午前6時30分頃、帰ってきた漁船と出かける漁船を見ました)
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(6時50分頃の日の出)
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(中浜万次郎=ジョン万次郎について勉強する機会に恵まれました)
「nakahamamanjiro_14.10.28.docx」をダウンロード

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(土佐偉人銅像案内図が)
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(足摺岬灯台)
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(田宮虎彦の記念碑がありました)

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(金剛福寺と多宝塔)
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■ 四万十川で舟下り

 清流四万十川とは??いかにと考えていましたが、河口に近い場所での屋形船でした。
短い時間でしたが、清流四万十川の一端を体験できました。

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(なによりも嬉しかったことは、ミサゴの猟を見ることができたことでした。船頭さんの話では成功は5回に1回ぐらいだということでした)
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(船頭さんが2ヶ所で地元の漁師さんの漁場で舟を止めました。1ヶ所では魚はとれず、1ヶ所ではうなぎが獲れて私たちに見せてくれました。漁師は減っているそうですが、みなさん四万十川の自然を大切に漁を続けているそうです)


■ 桂 浜

 なんといってもまずは坂本龍馬。
陽をあびて高く立っていました。
そして砂浜と波の音でした。

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■ 高知城

 山内一豊から山内容堂、そして長宗我部氏と歴史を感じます。
追手門からの天守閣の眺めはすばらしいと感じました。

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(板垣退助像と天守閣)
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(駐車場の前で現在のたたかいの一端を知りました)




























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2014年11月10日 (月)

四国全周ハイライト参加で四国が身近に②  11月10日

■ 10月20日(日) 2日目
松山市~内子~高知県・竜串(たつくし)海岸~足摺岬


● 四国を全周しどこでも共通したことが、四国霊場88ヶ所めぐりのお遍路さんに出会ったことでした。バスガイドの説明によると、右回りと左回りと回り方が二つあり、よく反対方向から来る人を見ました。1人旅の人がほとんどでした。(徳島県の霊山時の一番から香川県の大窪寺の八十八番)

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写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

■ 石手寺「集団的自衛権 不要」の訴え

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四国霊場第51番札所の石手寺(松山市)から朝の行動が始りました。
全く関心なく石手寺に着いたのですが、そこで眼にしたのが「集団的自衛権 不要 不殺生祈りの会」の大看板でした。
 早朝でもあったので、お遍路さんが何人かいましたが、寺の奥に進むと大門(後で知ったのですが国宝)があり、そこに「海外での武力の行使 殺人の疑儀」と「集団自衛権 不要」の大看板が掲示されていたのです。
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「すごいお寺があるものだ」と驚きと、宗教人として平和を願い人殺しは許さないという、強い思いを感じました。
 旅が終わってから調べてみると昔のことがわかってきました。
「fusetsushosengen.docx」をダウンロード
 2003年3月11日に石手寺に僧侶やキリスト教者が集い、「不殺生の宣言」を行っていて、今も運動を続けていることを知りました。
 境内には「平和祈願連句」「再生」「平和の祈り」などいくつもの掲示があり、他のお寺とは違うことを感じました。
 私には今回の旅で最も強烈に印象づけられた石手寺でした。

もう一つは正岡子規で松山にはかかすことのできない人です。

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(漱石と石手寺に来た時の子規の俳句がありました)

■ すばらしかった松山城の天守閣

天守閣と石垣に魅せられました。また、江戸時代の落書きに癒されました。

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(石垣のそりがなんともすばらしではありませんか)
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(すばらしいながめです)
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■ 昔の家並みが残る内子

 木蝋と和紙で栄えた時期があったそうですが、町おこしで街並みが保存されているそうです。街並みがすばらしかったし、大森わろうそく屋さんでしばらく手作業をながめました。

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(大森わろうそく屋さんで)
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(こんな辻が残っていました)

■ 宇和島の真珠貝養殖

愛媛県宇和島が真珠生産で1978年には日本一になったこともあるということをバスガイドの説明で初めて知りました。

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(真珠貝の養殖風景)


■ 高知県竜串海岸=化石漣痕(かせきれんこん)

足摺海底館の海中展望塔から海の魚たちを眺めたり眺められたりしました。バスから行き帰り奇岩がたくさんありました。
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(海中展望塔)
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(魚に餌を与えて集めているようでした)
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(四国最南端の足摺岬で一泊しましたが、そこに向かう途中できれいな夕日が)
















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2014年11月 9日 (日)

四国全周ハイライト参加で四国が身近に ①  11月9日

 長い間の念願だった、四国全周の旅を実現でき、初めて四国路に足を踏み入れることができました。
 初めて認識することがいっぱいで、有意義で楽しい6日間の旅となりました。
 10月19日(日)~10月24日(金)
この旅で感じたこと、知ったことを記録に残したいと思います。

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 旅はクラブツーリズムのツアー企画で、34人が参加し(47歳~84歳)6日間をバスでごいっしょしました。

第一日目 10月19日(日)
しまなみ海道~愛媛県・松山市・道後温泉


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(亀老山展望台からしまなみ海道が・・・・)
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(亀老山の由来が説明されていました)
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(西日の逆光でしまなみ海道はキラキラ光って見えました)

■ 愛媛県松山市道後温泉

 道後温泉に着いて休むことなくすぐに、道後温泉本館と駅前のカラクリ時計を見るために出かけました。道後温泉本館は話には聞いていましたが、風格のある大衆浴場で感嘆しました。そして、午後6時のカラクリ時計を見るために駅前に急ぎました。
 カラクリ時計と道後温泉の案内をしているボランティアのおじさんに、すごく共鳴を感じ応援をしたいと思いました。

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(カラクリ時計・・・15分ほど待ちました)
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(ボランティアのおじさんが美声で説明を始めました。右奥に見える人たちは足湯を使っていました。)
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(午後6時、カラクリ時計のしかけの巧さに感心しました)
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(ぼっちゃん、マドンナなど漱石が登場するしかけ)
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(マドンナが道後温泉の紹介をして締めクリです)
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(道後温泉本館が引き立って見えました)
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(泊まったホテルの玄関で、愛媛のこころ・・・・)




































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2014年10月 3日 (金)

初めて木曽路を旅して故郷を思う   9月26日・27日

夜 明 け 前   島 崎 藤 村

序の章

 木曾路(きそじ)はすべて山の中である。
あるところは岨(そば)づたいに行く崖(がけ)の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道(かいどう)はこの深い森林地帯を貫いていた。

 東ざかいの桜沢から、西の十曲峠(じっきょくとうげ)まで、木曾十一宿(しゅく)はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷(けいこく)の間に散在していた。道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い山間(やまあい)に埋(うず)もれた。

名高い桟(かけはし)も、蔦(つた)のかずらを頼みにしたような危(あぶな)い場処ではなくなって、徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降(くだ)って来た。道の狭いところには、木を伐(き)って並べ、藤(ふじ)づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。

長い間にこの木曾路に起こって来た変化は、いくらかずつでも嶮岨(けんそ)な山坂の多いところを歩きよくした。そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫(はんらん)が旅行を困難にする。そのたびに旅人は最寄(もよ)り最寄りの宿場に逗留(とうりゅう)して、道路の開通を待つこともめずらしくない。

 この街道の変遷は幾世紀にわたる封建時代の発達をも、その制度組織の用心深さをも語っていた。鉄砲を改め女を改めるほど旅行者の取り締まりを厳重にした時代に、これほどよい要害の地勢もないからである。この谿谷(けいこく)の最も深いところには木曾福島(きそふくしま)の関所も隠れていた。

(夜明け前は1929年4月~1935年10月にかけて中央公論に掲載された島崎藤村の大作)

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写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

happy01 私は「夜明け前」のことをしばらく忘れていました。
妻籠宿本陣跡の説明書き表示を読んで、島崎藤村のことが蘇ってきました。この小説の冒頭は小さい頃から、木曽路を表す代名詞のように口にしていたものです。
 私は「夜明け前」を読んではいないのですが、こうして、冒頭部分だけでも読みなおしてみて、簡潔に、木曽路の変遷が語られていて、すごいなあと感嘆しました。

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(この場所で地元の方に、この表示板をもっと読みやすく目立つようにしたらどうでしょうかという意見を同行者からお伝えしました)

 昔の職場の同僚たちのOB会で2回目の小旅行で信州木曽路を歩きました。
私は長野県人ですが、木曽路は南信地域で、生まれ育った上田からは遠い場所で行ったことがありませんでした。数年前から、行きたい場所として木曽路がいつも頭にありました。今回、その木曽路に足を踏み入れることができて、気持ちが高ぶる感じを持ちました。東信とは全く違った、私の故郷の一部でもあるからです。

 今回、南信のほんのごく一部分をじかに実感しただけで、また行ってみたいと思っています。


 妻 籠 宿  (中山道)
 重要伝統的建造物群保存地区

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(第一駐車場そばの掲示板 今も革新の伝統が生きています)

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+第一章

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+第二章

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+第三章

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+第四章

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+第五章

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+第六章

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+第七章

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