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2018年9月22日 (土)

今、考える 「復帰措置に関する建議書」  9月22日

復帰措置に関する建議書  琉球政府  1971年11月

000474_2

屋良朝苗氏 琉球政府公選主席、沖縄県知事2期

           
一、  は じ め に

 沖縄の祖国復帰はいよいよ目前に迫りました。その復帰への過程も、具体的には佐藤・ニクソン共同声明に始まり、返還協定調印を経て、今やその承認と関係法案の制定のため開かれている第67臨時国会、いわゆる沖縄国会の山場を迎えております。この国会は沖縄県民の命運を決定し、ひいてはわが国の将来を方向付けようとする重大な意義をもち、すでに国会においてはこの問題についてはげしい論戦が展開されています。
 あの悲惨な戦争の結果、自らの意思に反し、本土から行政的に分離されながらも、一途に本土への復帰を求め続けてきた沖縄百万県民は、この国会の成り行きを重大な関心をもって見守っております。顧みますと沖縄はその長い歴史の上でさまざまの運命を辿ってきました。戦前の平和の島沖縄は、その地理的へき地性とそれに加うるに沖縄に対する国民的な正しい理解の欠如等が重なり、終始政治的にも経済的にも恵まれない不利な下での生活を余儀なくされてきました。その上に戦争による時酷の儀牲、十数万の尊い人命の損失、貴重なる文化遺産の壊滅、続く26年の苦渋に充ちた試練、思えば長い苦しい茨の道程でありました。これはまさに国民的十字架を一身にになって、国の敗戦の悲劇か象徴する姿ともいえましょう。その間大小さまざまの被害、公害や数限りのない痛ましい悲劇や事故に見舞われつつそしてあれにもこれにも消え去ることのできない多くの禍根を残したまま復帰の歴史的転換期に突入しているのであります。

 この重大な時機にあたり、私は復帰の主人公たる沖縄百万県艮を代表し、本土政府ならびに国会に対し、県民の卒直な意思をつたえ、県民の心底から志向する復帰の実現を期しての県民の訴えをいたします。もちろん私はここまでにいたる佐藤総理はじめ関係首脳の熱意とご努力はこれを多とし、深甚なる敬意を表するものであります。

 さて、アメリカは戦後二十六年もの長い間沖縄に施政権を行使してきました。その間にアメリカは沖縄に極東の自由諸国の防衛という美名の下に、排他的かつ恣意的に膨大な基地を建設してきました。基地の中に沖縄があるという表現が実感であります。百万の県民は小さい島で、基地や核兵器や毒ガスに囲まれて生活してきました。それのみでなく、異民族による軍事優先政策の下で、政治的諸権利がいちじるしく制限され、基本的人権すら侵害されてきたことは枚挙にいとまありません。県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を熱望していたからに外なりません。経済面からみても、、平和経済の発展は大幅に立ちおくれ、沖縄の県民所得も本土の約六割であります。その他、このように基地あるがゆえに起こるさまざまの被害公害や、取り返しのつかない多くの悲劇等を経験している県民は、復帰に当たっては、やはり従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島として復帰を強く望んでおります。
 また、アメリカが施政権を行使したことによってつくり出した基地は、それを生み出した施政権が返還されるときには、完全でないまでもある程度の整理なり縮小なりの処理をして返すべきではないかと思います。
 そのような観点から復帰を考えたとき、このたびの返還協定は基地を固定化するものであり、県民の意志が十分に取り入れられていないとして、大半の県民は協定に不満を表明しております。まず基地の機能についてみるに、段階的に解消を求める声と全面撤去を主張する声は基地反対の世論と見てよく、これら二つを合せるとおそらく八〇%以上の高率となります。

 次に自衛隊の沖縄配備については、絶対多数が反対を表明しております。自衛隊の配備反対と言う世論は、やはり前述のように基地の島としての復帰を望まず、あくまでも基地のない平和の島としての復帰を強く望んでいることを示すものであります。
 去る大戦において悲惨な目にあった県民は、世界の絶対平和を希求し、戦争につながる一切のものを否定しております。そのよう憲県民感情からすると、基地に対する強い反対かあることは極めて当然であります。しかるに、沖縄の復帰は基地の現状を堅持し、さらに、自衛隊の配備が前提となっているとのことであります。これは県民意志と大きくくい違い、国益の名においてしわ寄せされる沖縄基地の実態であります。

 さて、極東の情勢は近来非常な変化を来たしつつあります。世界の歴史の一大転換期を迎えていると言えましよう。近隣の超大国中華人民共和国が国連に加盟することになりました。アメリカと中国との接近も伝えられております。わが国も中国との国交樹立の声が高まりつつあります。好むと好まぬにかかわらず世界の歴史はその方向に大きく波打って動きつつあります。
 このような情勢の中で沖縄返還は実現されようとしているのであります。したがつて、この返還は大きく胎動しつつあるアジア、否、世界中の潮流にブレーキになるような形のものであってはならないと思います。そのためには、沖縄基地の態様や自衛隊の配備については慎重再考の要があります。

 次に、核抜き本土並み返還についてであります。この問題については度重なる国会の場で非常に頻繁に論議されておりますか、それにもかかわらず、県民の大半が、これを素直には納得せず、疑惑と不安をもっております。
 核抜きについて最近米国首脳が復帰時には核兵器は撤去されていると証言しております。ところが、私どもはかつて毒ガスが撤去された経緯を知っております。
 毒ガスでさえ、撤去されると公表されてから、ニケ年以上も時日を要しております。毒ガスよりさらに難物と推定される未知の核兵器が現存するとすれば、果して後いくばくもない復帰時点までに撤去され得るでありましようか。
 疑惑と不安の解消は困難であるが、実際撤去されるとして、その事実はいかにして検証するか依然として不明のまま問題は残ります。
 ざらにまた、核基地が撤去されたとしても、返還後も沖縄における米軍基地の規模、機能、密度は本土とはとうてい比較忙ならないと言うことであります。
 復帰後も現在の想定では沖縄における米軍基地密度は本土の基地密度の百五十倍以上になります。なるほど、日米安保条約とそれに伴う地位協定が沖縄にも適用されるとは言え、より重要なことは、そうした形式の問題より、実質的な基地の内容であります。そうすると基地の整理縮小かあるいはその今後の態様の展望がはっきり示されない限りは本土並基地と言っても説得力をもち得るものではありません。前述の通り県民の絶対多数は基地に反対していることによってもそのことは明らかであります。

 次に安保と沖縄基地についての世論では安保が沖縄の安全にとって役立つと言うより、危険だとする評価が圧倒的に高いのであります。この点についても、安保の堅持を前提とする復帰構想と多数の県民意志とはかみ合っておりません。県民はもともと基地に反対しております。
 ところで安保は沖縄基地を「要石」として必要とするということであります。反対している基地を必要とする安保には必然的に反対せざるを得ないのであり。
 次に、基地維持のために行なわれんとする公用地の強制収用五ヶ年問の期聞にいたっては、これは県民の立場からは承服できるものではありません。沖縄だけに本土と異なる特別立法をして、県民の意志に反して五ヶ年という長期にわたる土地の収用を強行する姿勢は、県民にとっては酷な措置であります。再考を促すものであります。

 次に、復帰後のくらしについては、苦しくなるのではないかとの不安を訴えている者が世論では大半を占めております。さらにドルショックでその不安は急増しております。くらしに対する不安の解消なくしては復帰に伴って県民福祉の保障は不可能であります。生活不安の解消のためには基地経済から脱却し、この沖縄の地に今よりは安定し、今よりは豊かに、さらに希望のもてる新生沖繩を築きあげていかねばなりません。言うところの新生沖繩はその地域開発と言うも、経済開発と言うも、ただ単に経済次元の開発だけではたく、県民の真の福祉を至上の価値とし目的としてそれを創造し達成していく開発でなければなりません。従来の沖縄は余りにも国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎてきました。復帰という歴史の一大転換期にあたって、このような地位からも沖縄は脱却していかなければなりません。したがって政府におかれても、国会におかれてもそのような次元から沖縄問題をとらえて、返還協定や関連諸法案を慎重に検討していただくよう要請するものであります。

 さて、沖哺県民は過去の苦難に充ちた歴史と貴重な体験から復帰にあたっては、まず何よりも県民の福祉を最優先に考える基本原則に立って、(1)地方自治権の確立、(2)反戦平和の理念をつらぬく、(3)基本的人権の確立、(4)県民本位の経済開発等を骨組とする新生沖繩の像を描いております。このようなことが結局は健全な国家をつくり出す原動力になると県民は固く信じているからであります。さらにまた復帰に当って返還軍用土地問題の取扱い、請求権の処理等は復帰処理事項の最も困難にしてかつ重要な課題であります。これらの解決についてもはっきりした責任態勢を確立しておく必要があります。

 ところで、日米共同声明に基礎をおく沖縄の返還協定、そして沖縄の復帰準備として閣議決定されている復帰対策要綱の一部、国内関連法案等には前記のような県民の要求が十分反映されていない憾みがあります。そこで私は、沖縄問題の重大な段階において、将来の歴史に悔を残さないため、また歴史の証言者として、沖縄県民の要求や考え方等をここに集約し、県民を代表し、あえて建議するもめであります。政府ならびに国会はこの沖縄県民の最終的な建議に検挙に耳を傾けて、県民の中にある不満、不安、疑惑、意見、要求等を十分にくみ取ってもらいたいと思います。そして県民の立場に立って慎重に審議をつくし、論議を重ね民意に応えて晨大最善の努力を払っていただき、党派的立場をこえて、たがいに重大なる責任をもち合って、真に沖鮪県民の心に思いをいたし、県民はじめ大方の国民が納得してもらえる結論を導き出して復帰を実現させてもらうよう、ここに強く要請いたします。


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《参考に》

「復帰措置に関する建議書」

沖縄公文書館所蔵

「復帰措置に関する建議書」の全文デジタルデータがダウンロードできるようになりました。
以下のタイトルをクリックすると、PDFのデータをダウンロードすることができます。
「復帰措置に関する建議書」の全文デジタルデータがダウンロードできるようになりました。
以下のタイトルをクリックすると、PDFのデータをダウンロードすることができます。
復帰措置に関する建議書
1(はじめに)(PDF 5.5 MB)
2(基本的要求)(PDF 21.0 MB)
3(具体的要求)(PDF 16.6 MB)
また、当館で公開を進めている「屋良朝苗日誌」もご利用ください。
【目次】
1.はじめに
2.基本的要求
(1)返還協定について
(2)沖縄基地と自衛隊配備問題について
(3)沖縄開発と開発三法案について
(4)裁判の効力について
(5)厚生、労働問題について
(6)教育・文化について
(7)税制、財政、金融について
3.具体的要求
(1)沖縄復帰に伴う対米請求権処理の特別措置等に関する暫定法の立法要請(要綱)
(2)沖縄振興開発特別措置法案に対する要請
(3)沖縄開発庁設置法案に対する要請
(4)沖縄振興開発金融公庫法案に対する要請
(5)沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律案に対する要請
(6)沖縄の復帰に伴う関係法令の改廃に関する法律案に対する要請
【資料解説】
 「復帰措置に関する建議書」は、本土復帰に際して沖縄県の声を日本土政府と返還協定批准国会(沖縄国会)に手渡すために作成された建議書です。当館では、その複製版が所蔵されています。
同建議書(約五万五千字)の作成を担当した琉球政府の復帰措置総点検プロジェクトチーム(本部長:副主席の宮里松正)は、県民各層の声に照らして過去二十六年間における諸問題を総点検し、返還協定をはじめ復帰関連国内法案を総括して①政府の行う対策の眼目は県民福祉を第一義とすべきこと②明治以来、自治が否定された過去を省みて地方自治は特に尊重されなければならないこと③第二次大戦で大きな犠牲を蒙り、異民族支配化の基地にがんじがらめにされた沖縄では、何よりも戦争を否定し、平和を希求することが優先されること④平和憲法下の人権の回復⑤県民主体の経済開発―の五つを柱に最終的な訴えの内容を盛り込みました。
 「非常に難事業だった。ぼう大な資料の中から、これまでの要請書や調整文書を取り出して法案といちいち照合、検討し、チームの審議とさらに県民会議の審議にかけて文章化したので時間はいくらあっても足りなかった」(『激動八年 ―屋良朝苗回想録―』p.179)と、屋良氏が述懐している通り、建議書作成は容易な作業ではありませんでした。
 同建議書の完成後、屋良主席は、1971年11月17日、これを持って上京しました。しかしながら、屋良主席の上京の前に、沖縄返還協定は衆院返還協定特別委で自民党により強行採決されてしまいました。東京・赤坂のホテルに着いた屋良主席は、その採決を知らぬまま、報道陣から「ついさきほど返還協定が衆院沖縄返還協定特別委員会で強行採決された。コメントを」と言われました。まさに青天の霹靂でした。屋良氏は、この時のことについて、「呆然自失、なにをいってよいかわからず、コメントを断ってホテルの部屋に逃げ込んだ」(『屋良朝苗回顧録』p.212)と、回想しています。
 その後、沖縄返還協定は11月24日衆院本会議で自民党の賛成多数によって可決され、12月22日には、参院本会議でも可決されました。また、復帰関連国内法案も、通常国会で三十日、自民党の単独採決で可決、成立しました。
屋良氏は、復帰については次のように特別の思いを持っていました。「軍事占領支配からの脱却、憲法で保障される日本国民としての諸権利の回復、そして沖縄県民としての自主主体性の確立、これらが私たち県民にとって、全面復帰のもっている内容です。もっと簡単明瞭にいいますと、”人間性の回復”を願望しているのです。きわめて当然な願望であり要求です」(『沖縄はだまっていられない』p.68)。それゆえに、11月17日の強行採決に対して屋良主席がいかに無念の思いをしたかは想像に難くありません。

<主な参照文献>
屋良朝苗1977年『屋良朝苗回顧録』朝日新聞社
屋良朝苗1985年『激動八年 ―屋良朝苗回想録―』沖縄タイムス社
屋良朝苗1969年『沖縄はだまっていられない』株式会社エール出版社
屋良朝苗1972年『沖縄 今この時』株式会社あゆみ出版社
2012年10月26日朝刊『琉球新報』(見出し:「一条の光 ―「屋良朝苗日記」に見る復帰―」)
【資料コード】
R00001217B(当館所蔵の紙資料の資料コード)
【文書の作成者】
琉球政府
【文書の作成時期】  1971年11月


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私からの一言

 「辺野古に新基地は造らせない」と日本政府と身を削って対峙してきた翁長雄志知事が急逝されて、いま激しく沖縄知事選がたたかわれています。オール沖縄の玉城デニーさんが翁長雄志知事の遺志を受け継ぎ、自らのアイデンティティ―を明らかにし、県民と共に誇りある平和な豊かな沖縄を造っていきましょうと訴え続けています。玉城デニーさんの訴えは心を強く打つものがあります。こういう人こそ沖縄の知事にふさわしいと思います。必ず勝利したいと思います。

 こうした時期に、「前衛」10月号で「琉球・沖縄から見た『明治150年』 ―― 「琉球処分」から続く自己決定権回復への願い」 西里喜行(にしざと・きこう)(琉球大学名誉教授)さんの小論を読みました。
 私の頭の隅には「琉球処分」という言葉はいつもありましたが、その内容についてほとんど勉強できておらず、不十分なままで、‶これは良い小論をみつけた〟と読みました。「琉球処分」の歴史的流れを把握することができ、納得できる内容に感謝しています。
 この中で、沖縄復帰をめぐって、1971年11月に主席公選制で主席になった屋良朝苗さん率いる琉球政府が日本政府に「復帰措置に関する建議書」を提出しようと上京しましたが、国会で返還協定が強行され、建議書を提出する機会が失われ幻の建議書となったというのです。
 そういうことを知らなかった私には驚きでした。
屋良朝苗主席が誕生した時期に、私の知人は誕生した二人の娘に「朝」「苗」と命名した人もいました。
 「復帰措置に関する建議書」は沖縄公文書館に所蔵されていて閲覧できるようになっていました。
 屋良朝苗主席のはじめにという文書を読んで、現在、「オール沖縄」が目指している方向の源流がこの「建議書」の中にあるように感じてなりませんでした。
 これは、知事選は最終盤になっていますが、一人でも多くの人に知ってほしいと掲載することにしました。

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