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2017年2月20日 (月)

忘れません 小林多喜二が虐殺されてから84年の今日を

潮 流   しんぶん 赤 旗   2017年2月20日 

  万国の労働者や民衆のたたかいの場で歌われてきた「インターナショナル」。この革命歌が日本語に訳されて国内で初めて歌われたのは、日本共産党創立の年と同じ、1922年の秋でした▼当時の左翼文芸団体がロシア10月革命を記念する前夜祭を代々木の農家で開き、そこに集まった人たちで歌ったのが最初だといわれます。そのとき、フランス語の歌詞を訳したのが佐々木孝丸でした▼戦前のプロレタリア演劇の草分けだった佐々木は戦後も俳優として長く活躍しました。プロレタリア作家の小林多喜二とも交遊があり、多喜二が築地署で特高の拷問にあって殺されたときも築地小劇場から駆けつけています▼葬儀にも参列し、多喜二の母セキの悲しみと憤りをじっとこらえる姿や最後の別れのときの慟哭を、胸に刻み込んだといいます。
 「どんなに、どんなに水が飲みたかったやら…何の罪があって! 鬼! 畜生!」▼反戦を訴え、人びとを搾取する社会からの転換を求めた多喜
二の信念に、苦悩しながらも寄り添おうとしたセキ。彼女の半生を描いた三浦綾子さんの小説が、映画「母 小林多喜二の母の物語」になって順次上映されています▼84年前のきょう、多喜二は国民の思想と良心を弾圧した治安維持法によって殺されました。いままた、その現代版と呼ばれる共謀罪が安倍政権によって国会に提出されようとしています。権力の横暴に声を上げる人たちを処罰しようと。いまこそ、立つとき。♪いざ闘わん いざ奮いたて゛いざ―



 
2月20日がめぐってきました。
毎年この日の前後に小林多喜二のことについて考えたり学んだりします。
私は、多喜二が築地署で拷問により虐殺されたときの歳が29歳だったということに、いつも驚きを感じるのです。29歳で、あれだけの小説を書き続け、闘い続けたということに敬意の気持ちでいっぱいになります。

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