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2016年10月

2016年10月17日 (月)

旧中山道を碓氷峠・熊野神社から坂本宿を歩く 10月2日

note 吾妻はやとし日本武(やまとたけ) 嘆き給いし碓氷山(うすいやま)

 長野県歌「信濃の国」の六番です。
この歌は長野県人が集まるとよく歌われ、一種の郷愁をふくみながら歌い続けられています。
 私は一番から六番まで歌われている歌詞のなかの場所をできるだけ訪ねてみたいと心がけています。そうする中で新しい発見と認識がたくさん生まれてきて生きる力にもなります。

 一度も行ったことがない、日本武尊(やまとたけるのみこと)の神話と関わりの深い熊野神社を訪ねてみたいという思いがずうっとありました。(私は日本武尊など作り上げられた神話としか思っていないのですが)
 でも興味がわくのです。どんな場所なのか。
碓氷峠と熊野神社 ― 長野県と群馬県の境界に熊野皇大神宮(長野県側)と碓氷権現熊野神社(群馬県側)が並んであるのです。碓氷峠の一番標高の高い場所に位置しているのです(標高1200㍍)

coldsweats01 旧中山道を碓氷峠から坂本宿まで歩いてみたい

群馬県側の横川駅から「アブトの道」の遊歩道は何回か歩きました。
長野県人として、碓氷峠から坂本宿まで歩いてみたいと思うようになり、ネットで調べたのですが熊野神社から旧中山道を横川までの確かな道路地図がなかなか見つかりませんでした。いくつかのブログで軽井沢の見晴台から熊野神社、坂本宿への記事がみつかり、整備された山道ではなさそうで、不安はありしたが、大丈夫だろうと、ブログ記事をプリントし挑戦する決断をしました。

happy01  10月2日(日曜日) 2人で出かける

clover 写真の画面をクリックすると大きくして見れます

 9月下旬に計画したのですが天気予報で雨マークが続き2回延期して、10月2日に決断ししました。妻は山歩きは私より慣れていて、私一人では心配になりいっしょに出かけました。

JR軽井沢駅北口→ハーベストクラブ前で軽井沢交通バス(通称赤バス午前9時始発バス)→見晴台→熊野神社→旧中山道を坂本宿へ→横川駅

 軽井沢に着くと雲っていて雨にならなければいいがとちょっと心配しましたが、曇り晴れとまあまあの天気でした。

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赤バス 9時の始発でした。終点でバスを降りて軽井沢の街方面に少し戻ったところから左折で見晴台に。

scissors 見晴台  なかなかの展望場所

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万葉集歌碑
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連山が遠くまで続き、逆さ霧がきれいでした
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県境 見晴台の一つの見どころ
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ラビンドラナート・タゴール
インドの詩聖と言われ、1913年ノーベル文学賞を受賞。4回来日し軽井沢も訪れた。日本人の美と調和を愛する心に感動ししたが他方、日本軍国主義の大頭には強い心配をもち、来日講演の中で再三警告しました。
 私は名前は知ってる程度でなるほどと感心しました。

club 熊野神社

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県境を示すラインと古からの標識

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狛犬 歴史を感じさせます

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奉納された石の風車

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山門の下の県境の標識

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熊野皇大神社(長野県側)と碓氷権現熊野神社(群馬県側)が仲良くいっしょです

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日本武尊が旅の途中の相模灘で波を鎮めるために入水した妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲び「吾嬬者耶あ(ずまはや)」《嗚呼愛しき吾が妻よ》と三度嘆いたという。「信濃の国」に歌われている。

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シナノキ

good 午前10時5分、旧中山道を坂本宿に向けて出発

 熊野神社前の茶店から旧中山道への道路標識が見当たらず、どうしようかちょっと迷いましたが道なりに右に進むと石碑や道しるべが固まってあり、ここからがスタートラインと気づきました。

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この旧中山道の道路地図は旅が終わってから、ネットで旧中山道を歩くと検索していたら見つかりました。それまで「旧中山道・・・」と検索していなったのですが、いくつもの記事がみつかりました。

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右の細い道が旧中山道で坂本宿へ。広い通りは和宮道(皇女和宮のために)です。

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徒歩130分 8キロと書かれていました

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思 婦 石(おもふいし)
群馬郡室田の国学者関橋守の作で安政4年(1857年)の建立である。
ありし代に  かへりみしてふ  碓氷峠山  今も恋しき  吾妻路の空 と刻まれとぇいる。
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仁王門跡の標識

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今度の角は左折です
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長坂道の標識

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道が消えて渓流に・・・
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渓流を渡ったところに人馬施行所跡の標識
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化粧水跡の標識
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こんな場所も・・・

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右側、左側に道路が 坂本宿へは右側へ。左側は和宮道で熊野神社の戻ってしまいます。要注意点
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和宮道 安政遠足(とおあし)の標識
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陣場が原 戦国時代 ここが戦場に
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子持山標識 坂本宿に向かって左側
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一つ家跡の標識

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アニメに出てくるような雰囲気の朽ちたバスと浄化槽?ここまで誰がどうやって運んだの?
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左手の林の中に廃墟になった家屋が

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山中坂の標識
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山中学校跡
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山中茶屋跡 昔は栄えていたのでしょうね
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入道くぼで熊野神社出発から初めて出会った旅人。11時42分。
この日、坂本宿までの歩きで5組の旅人と外国人ツアーらしきグループに出会いました。
外国ツアー以外は坂本宿から登ってくる人たちでした。

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こんなにすばらしい杉並木と道路に出会い気持ちも楽になりました
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道路は雨に流されてV字溝になっていて下りも楽ではありませんでした。台地は浅間山から流れ出した溶岩で覆われていて、様々な表情を覗かせます。きついけれどおもしろいものです。

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わずかの時間、進行右側に・・・
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なんの花?? この日の歩きで多く見かけました
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栗が原の標識
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旧 標識
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新しい標識
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〝座頭ころがし〟ピッタリの感じ。厳しい坂道でした。
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一里塚の標識
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北向馬頭観音
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南向馬頭観音
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堀り切り 豊臣の時代に戦のために両側が掘り切られている

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昼食休憩に 12時37分 道路の両側が土手のように高くなっていて、そこに上がって休憩。私はバテぎみで一息入れてから食事に。
この時、外国人ツアーらしき人のグループが元気に熊野神社方面から下って行った。お互いに声をかけあって。一人男性が坂道を登ってきました。

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ぶれましたが、外国のグループと登ってくる人
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一本 朽ちながら立っていました

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坂本宿まで2.5㌔ ちょっと元気が出てきました

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碓氷坂の関所跡

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刎石(はねいし)茶屋跡 四軒あったそうで林の奥に石垣跡が

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弘法の井戸 囲いと標識が倒れていましたがネットではちゃんとしていました。どうしたのでしょうか?

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風穴です。自然との出会いのすばらしさ

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馬頭観音

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覗き 坂本宿を一望できました

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この当たりの坂道は大きな石小さな石がゴロゴロで歩くのには難所でしたがこの石垣は人の
手が入った造形美のように感じました。Img_4216

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私が気になったのは右側の木の黒い固まり?でした
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柱状節理 浅間山の火山活動の姿を直に見れて身震いする感じでした。苦労して歩いてきた価値がありました。

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気を緩めると滑るし、難所の一つ

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堂峰番所の標識
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峠道も終わりです。安政遠足(とおあし)の標識

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国道18号(碓氷峠)に合流しました。 13時45分でした。
ここに西方屋の休憩所があり、妻が足をつってそこで休憩。14時2分、坂本宿に向けて出発。
 
happy02  坂 本 宿

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進行方向左側に神社
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中山道坂本宿の標識が見えてきました。静かで、人の姿はありませんでした。通るのは車ばかり。私は2回目の坂本宿でした。
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ブラタモリで坂本宿は計画的に作られた町で、奥に長細く造られているということで、確認したいと思っていました。
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奥に長細く造られていることが確認できました。

この当たりに来てから私の足にけいれんが起こりつってしまう状況が繰り返しました。前回来た時には公民館で休憩した記憶があり、期待していたのですが日曜日で休館。困ったなと思いました。お店もないし・・・

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写真撮影はここまで・・・

足にけいれんが繰り返し起こり、写真どころではありませんでした。ひたすら横川駅をめざすのですが進みません。
交番の派出所があったので、そこでタクシーを呼んでもらおうと行ってみたのですが閉まっていてダメ。歩いては休んでを繰り返しましたが・・・ 。一軒の軒差しに防犯連絡所の看板がかかっていましたので、ここなら何とかなるかと、ぶしつけで失礼なのですが「旧中山道を熊野神社から歩いて横川駅をめざしているのですが・・・・」と現状を説明し「タクシーをよんでいただけないでしょうか」とお願いしました。ご夫婦で電話帳を調べてくれましたがわかりません。すると、だんなさんが「私が車でお送りしますよ」とすぐに対応してくれ、横川駅まで送ってくれました。
 窮地を救っていただいて、感謝の気持ちでいっぱいでした。感謝の気持ちをお伝えし別れました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

横川駅では15時2分の高崎行きにすぐに乗れ、家にはやっとの思いで17時52分に帰り着きました。

それでも、人の情けも肌身に感じ、有名な場所ではないかもしれないけれど、自然の素晴らしさを満喫した有意義な旅でした。




































































































































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