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2016年8月

2016年8月23日 (火)

「戦わないために、今、闘っているの」  最後の証言

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「沖縄戦 最後の証言」
おじい・おばあが米軍基地建設に抵抗する理由
 森住卓 著 フォトドキュメント
新日本出版社発行

 ふと目に留まり購入しました。

辺野古新基地建設反対、東村高江へのヘリパット建設は許さないと、闘いに参加している8人のおじい・おばあが自らの沖縄戦の体験をインタビューで紹介しています。

 どの証言にも涙しながら読み進みました。
一人でも多くの人たちに読んでほしいと願って一部を紹介させていただきます。


沖縄戦悲劇の始まり、サイパン島を生き延びて

     横田チヨ子さん(87歳)

〝戦わないために、今、闘っているの〟

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(中略)

 捕虜となる

 二晩ほど山の中を彷徨(さまよ)った。
 父、兄を失い、母は行方不明。自分ひとりで姉のお産が来たらどうしようという不安があった。母が父のいるところに戻ってくるんじゃないかという気がして、結局、父たちの遺体から離れて遠くに逃げることができなかった。
 「日本人は全滅した、自分たち二人しか生き残っていない」と思いつめたチヨ子さんは、海に入って死のうと兄嫁を誘った。しかし、兄嫁は「お父さんは死ぬなと言ったよ」と、海に入るのをいやがる。それでも、自分が先になって海に入っていった。現在バンザイクリフと呼ばれている崖の近くにある遠浅の海だった。
 何時間か海水につかっていたが、死にきれなかった。びしよ濡れで海から上がり、壕を見つけた。逃げ込んだ壕には住民がたくさん隠れていた。生き残ったのは自分たちだけだと思っていたチヨ子さんたちにとって、たくさんの住民がいたことは心強かった。
 そこで知り合った女の子と、近くのスイカ畑にスイカを取りに行くことにした。
 のどの渇きを潤すスイカに夢中で、畑の向こうの丘に米兵が立っているのが見えなかった。すぐに米兵の射撃が始まった。怖くてスイカを抱えたまま俯せていた。銀バエが体中にたかって、払いのけても、払いのけても、体中にたかってきた。周りには死体がごろごろ転かっていた。何時間もじっと動かず、死んだふりをしていた。暗くなって顔を上げると、チヨ子さんを死んでいると思った米兵が去って行くのがわかった。
 スイカを抱えて兄嫁のいる壕に戻った。やられたと思っていた兄嫁はチヨ子さんの姿を見て泣いた。
 翌日から米軍が「戦争は終わった。デテコイ、デテコイ」と、拡声器を使って投降を呼びかけてきた。その二日後に手榴弾が投げ込まれた。出口近くにいた人たちが負傷し、そして捕虜になっていった。
 捕虜になった人が収容所で、チヨ子さんの恩師・半田先生にチヨ子さんたちが壕に隠れていることを告げたらしい。半田先生が8月24日か25日ころ、隠れているチヨ子さんのところにやって来て、捕虜になるよう説得した。近くのアダンの木の下や壕に隠れていた住民たちに、チヨ子さんは「私の先生が迎えに来ているので、みなさん出ましょう」と訴えた。この呼びかけに応えて、二(名が出て行った。
 収容所でも、チヨ子さんは軍国少女のマインドコントロールから解放されなかった。
 「敵からの食べ物はもらわない」と言って何も食べないでいると、「国と国の戦争だから、あなた方には関係ないこと。敵悔心をもたないで」と、日系米兵に言われた。そのことを今も鮮明に思い出すという。

 サイパンで止めておけば……

 「いろんな本を読んでわかってきたことだけど、サイパンで戦争を止めておけば東京大空襲もなかったし、沖縄戦にもならなかったし、広島、長崎に原爆も落とされなかったし、満州の悲劇もなかった」とチヨ子さんは強く思っている。
 「『日本は勝つ。神の国だ』と洗脳されていたことが恐ろしい。だから今、戦争反対の運動にのめり込んで、平和のために語り部になっているの」
 今、チヨ子さんは米海兵隊普天間基地の近くに住んでいる。オスプレイが配備され、昼夜を問わず激しい訓練が行なわれている。「オスプレイの音が、サイパンで聞いた米軍の戦車の音と重なって、夜寝られなくなるの」と顔をゆがめた。
 「辺野古に新しい基地を作って、戦争になったらここが攻撃されるのよ。沖縄の人たちがみな、やられるのよ。二度と私と同じような目に遭ってほしくない。だから座り込んでいるの。戦わないために、今、闘っているの」
 と、元気に座り込むチヨ子さんの隣で、沖縄戦を体験した島袋文子さん(87歳)が黙ってうなずいていた。

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2016年8月15日 (月)

侵略戦争・植民地支配の誤りを直視し憲法を生かしたい

西南学院創立百周年に当たっての平和宣言

    ―西南学院の戦争責任・戦後責任の告白を踏まえて―

西南学院は、創立百周年を迎えるに当たって次の百年を展望し、「西南よ、キリストに忠実なれ」という創立者C・K・ドージャーの言葉を改めて心に刻みます。また、それゆえに、キリスト教学校としてのこれまでの学院の歩みを振り返り、過去に対する責任を強く覚えずにはいられません。西南学院はイエス・キリストの福音に基づいて平和と人権を大切にする学校であるにもかかわらず、先のアジア・太平洋戦争ではこれに加担し、韓国(朝鮮)、中国などの諸外国の人々をはじめ多くの人々に多大な苦しみを与えてしまいました。また、その責任については、戦後の歩みの中においても公に表明してきませんでした。今、私たちは建学の精神を守ることができなかったことを神と隣人の前に告白し、キリストに忠実に歩んで来なかったことを心から謝罪し、悔い改めます。

イエス・キリストは、「あなたの神である主を愛しなさい」、「隣人を自分のように愛しなさい」(マルコ12・29~31)と語り、さらに、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5・44)と言われました。また、「主なる神」は、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの奴隷の地から導き出した神である」(出エジプト20・2)と語ります。聖書が語る神は、あらゆる抑圧から私たちを解放し、この世界に存在する特定の価値に、それが、キリスト教会であれ、家族、民族、宗教、国、富であれ、支配されることから私たちを解き放つ神です。また、キリストは、その十字架を通して、「二つのものを一つにし、(中略)敵意という隔ての壁を取り壊し」、「わたしたちの平和」となられました(エフェソ2・14~22)。そして、彼に従う者たちに、「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ五・九)と言われました。敵対する異質な他者にさえ、しっかりと向き合い、問い合い、愛し合うことこそが人としての普遍的価値であると、私たちは信じます。

西南学院は、このように語る聖書の教えに忠実に従い歩む学校であるべきでした。しかし、先の戦時下を振り返ると、当時の軍国主義体制下、天皇皇后の「御真影ごしんえい」の「下賜かし」(下げ渡し)を願い出、その後、募金活動を行って「御真影」と教育勅語を納めた「奉安殿」を建設し、式典においては、宮城きゅうじょう遥拝ようはい(皇居に向かって最敬礼すること)、君が代斉唱、教育勅語の「奉読」などを導入しました。また、配属将校の圧力の下で、体育教育を「軍事教練」の場とし、学院の名で学生を出陣させ、彼らのいのちを死に至らしめ、他国の人々を殺すことを是認したのでした。さらに、同じキャンパスに生活していた宣教師たちが敵国人として帰米を余儀なくされた時にも、その方々の苦悩・悲しみを十分に共有することができませんでした。当時の状況下にあってキリストに忠実であり続けることが非常に困難であったことは容易に推察できますが、そのことをもって過去に対する責任を免れることはできないのです。

戦時下の問題ばかりではありません。戦後の歩みの中にあってもこのような罪責を告白し、それを公に問うことをしませんでした。戦争による自国の被害者の苦しみに共感できなかっただけでなく、天皇の名による侵略戦争によって傷つき、殺された人々への「加害責任」を心に刻み、民族や国境を越えて、戦争による負傷者や遺族たちの怒り、苦しみ、悲しみを受け止めることも十分にできていませんでした。
私たちは、創立百周年のこの時に、そのような過去と将来に想いを馳せ、自国本位の価値観を絶対視し、武力・暴力の行使によって人々の尊厳を抑圧するという過ちを二度と繰り返すことのないよう、西南学院に学ぶ者たちや教職員が目をさまして行動し、国際社会の真の一員となり、「平和を実現する人々」の祝福の中に生きる者となるよう、今その志への決意をここに表明します。

2016年4月1日
                      学校法人西南学院

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happy02 今日は侵略戦争と植民地支配を拡大する中で、アジア太平洋戦争に敗戦してから71年目の終戦記念日です。
 今朝の「しんぶん赤旗」を開いて目に入ってきたのが西南学院の「平和宣言」でした。
私は無神論者ですが、信教の自由は大切に守らなければいけないと思っています。そして宗教者の発言には「なるほど」と学ばされることがたくさんあり、多くの宗教者が平和な世界を実現するために具体的行動を起こしていることに敬意の気持ちを持っています。

 私が西南学院の「平和宣言」に注目したのは、戦争の加害責任を直視していることでで感銘を受けました。宗教的立場の違いはありますが、「平和宣言」全文を掲載致します。

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2016年8月 9日 (火)

長崎平和祈念式典 平和宣言、平和への誓い 8月9日

   長崎平和宣言

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 核兵器は人間を壊す残酷な兵器です。
1945年8月9日午前11時2分、米軍機が投下した一発の原子爆弾が、上空でさく裂した瞬間、長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。あとには、黒焦げの亡骸、全身が焼けただれた人、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しました。
原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、そのために引き起こされる病気や障害は、辛うじて生き残った人たちを今も苦しめています。
核兵器は人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。
今年5月、アメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。大統領は、その行動によって、自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示しました。
核兵器保有国をはじめとする各国のリーダーの皆さん、そして世界中の皆さん。長崎や広島に来てください。原子雲の下で人間に何が起きたのかを知ってください。事実を知ること、それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです。

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 今年、ジュネーブの国連欧州本部で、核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて話し合う会議が開かれています。法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。しかし、まもなく結果がまとめられるこの会議に、核兵器保有国は出席していません。そして、会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との対立が続いています。このままでは、核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、会議が閉会してしまいます。
核兵器保有国のリーダーの皆さん、今からでも遅くはありません。この会議に出席し、議論に参加してください。
国連、各国政府及び国会、NGOを含む市民社会に訴えます。核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を決して絶やしてはなりません。今年秋の国連総会で、核兵器のない世界の実現に向けた法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。そして、人類社会の一員として、解決策を見出す努力を続けてください。
核兵器保有国では、より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。
今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの「英知」を結集してください。
日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの「英知」を行動に移すリーダーシップを発揮してください。

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 核兵器の歴史は、不信感の歴史です。
国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。
この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。
我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。
市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。

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 被爆から71年がたち、被爆者の平均年齢は80歳を越えました。世界が「被爆者のいない時代」を迎える日が少しずつ近づいています。戦争、そして戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、今、問われています。
若い世代の皆さん、あなたたちが当たり前と感じる日常、例えば、お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、友だちとの会話、好きな人の笑顔…。そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。
戦争体験、被爆者の体験に、ぜひ一度耳を傾けてみてください。つらい経験を語ることは苦しいことです。それでも語ってくれるのは、未来の人たちを守りたいからだということを知ってください。
長崎では、被爆者に代わって子どもや孫の世代が体験を語り伝える活動が始まっています。焼け残った城山小学校の校舎などを国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。
若い世代の皆さん、未来のために、過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。

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 福島での原発事故から5年が経過しました。長崎は、放射能による苦しみを体験したまちとして、福島を応援し続けます。
日本政府には、今なお原爆の後遺症に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、被爆地域の拡大をはじめとする被爆体験者の一日も早い救済を強く求めます。
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 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、世界の人々とともに、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くすことをここに宣言します。

2016年8月9日
                        長崎市長  田上富久



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    平和への誓い

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 幼い頃「神の国日本、ほしがりません勝つまでは」などと教えられて過ごした私は、相次ぐ空襲に逃げまわり、防空壕で息をひそめ、日本の敗戦は近いと思っていました。

 1945 年8 月9 日、午前11 時2 分、アメリカが投下した一発の原子爆弾は、ここ浦上の上空およそ500 メートルで爆裂し、長崎の町は、一瞬にして廃墟となりました。原子雲の下は、想像を絶する修羅場となり、日本人だけでなく、強制連行された中国人や動員された朝鮮人、戦時捕虜のアメリカ人や諸国の人々を含むおよそ74,000 人が無差別に殺され、虫や鳥や植物などすべての生き物も死滅しました。
 私は当時9 歳、爆心地から6.5 キロメートルの地で大木に登り枝落としの最中に、巨大な火の玉に目が眩み、耳をつんざく大音響と猛烈な爆風で吹き飛ばされ気を失いました。
 翌日から、救護活動に参加した母や姉、兄などの体験で、惨劇の大きさを知りました。その母も姉も兄も歯ぐきから血を出し、髪が抜けるなど、長い間の苦しみに耐えながらも、次々に原爆症で亡くなりました。

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 広島で歓迎されたオバマ大統領は、「空から死が降ってきた。」と叙情的に表現されましたが、広島のウラン型原爆に対して長崎にはプルトニウム型原爆が投下された事から、私には2 種類の原爆による実験ではなかったのかとの思いがあります。

 被爆した町は、国際的な支援のもとに復興しましたが、私たち被爆者は71 年もの間、毎日が苦悩の中にあり、2 世、3 世もその憂いを引き継いでいます。政府には「原爆症」や「被爆体験者」の救済について、司法判断に委ねず、政治による解決を望みます。

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 しかし、私たちは絶対悪の核兵器による被害を訴える時にも、日中戦争やアジア太平洋戦争などで日本が引き起こした過去の加害の歴史を忘れてはいません。
 わが国は、過去を深く反省し、世界平和の規範たる「日本国憲法」を作りこれを守って来ました。今後さらに「非核3 原則を法制化」し、近隣諸国との友好交流を発展させ、「北東アジアの非核兵器地帯」を創設することによりはじめて、平和への未来が開けるでしょう。

 政府に対しては、日本国憲法に反する「安全保障関連法制」を廃止し、アメリカの「核の傘」に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に「核兵器の先制不使用宣言」を働きかけるなど、核兵器禁止のために名誉ある地位を確立される事を願っています。

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 科学の発展が人類の幸せに貢献せず、資源の独占と貧富の差が拡大する限り、世界の不安定は益々激しくなるでしょう。オバマ大統領が率先して示された「核なき世界実現」への希望は、人類の英知による恒久平和をめざすものであり、「非核の国々による核兵器禁止のための国際的流れ」に共通するものと思います。私たちは、オバマ大統領が「最後の被爆地長崎」を訪問されるよう強く願い、歓迎いたします。

 私たち被爆者は、「武力で平和は守れない」と確信し、核兵器の最後の1発が廃棄されるまで、核物質の生産、加工、実験、不測の事故、廃棄物処理などで生ずる全世界の核被害者や、広島、福島、沖縄の皆さんと強く連帯します。長崎で育つ若い人々とともに「人間による安全保障」の思想を継承し、「核も戦争もない平和な地球を子供たちへ!」という歴史的使命の達成に向かって、決してあきらめず前進することを誓います。

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 地球市民とともに核兵器廃絶の実現を!!
 ナガサキ マスト ビー ザ ラスト

2016 年8 月9 日
                      被爆者代表 井原 東 洋 一

sad 長崎では、この1年で亡くなったり死亡が確認されたりして、原爆死没者名簿に新たに記帳された被爆者は3,487人に上り、これまでに記帳された死没者の総数が計172,230人となりました。

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2016年8月 8日 (月)

共産党アレルギーみたいなもの乗り越えて  浜 矩子氏

TBS  時事放談  2016年8月7日

片山善博氏と浜矩子氏おおいに語る

民進党「新代表」は?!

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《御厨》  民進党内で共産党に対する態度で分かれているのが実情だと思うんですが、これについてどうお考えでしょうか。

《浜 矩子氏》

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共産党アレルギーみたいなもの乗り越えて

民進党内部がぐじゃぐじゃもめている場合ではないというふうに思うんですね。やっぱり本当に政権交代をめざしていくということで、まあこの共産党アレルギーみたいなものをやっぱり乗り越えて、もっと高い目標に向かって、いっしょにやっていきましょうという腹をやっぱりくくらないと、どんどん政情向きになっていってしまう。その次元で、中でもめてる姿がやっぱり、いつまでもそういう体たらくを見せていてほしくないというふうに今思うんですね。やっぱり、明確な決断の時だというふうに思うんですね。(はあ、明確な決断の時ね-御厨)

《御厨》 片山さんいかがですか

《片山善博氏》

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党の基本姿勢を明確に

共産党とどう向き合うかといのも、党の基本的な姿勢にかかることなんですよね。今回、どちらかというと時間もなくて便宜上四党でやりましたけど、参議院の選挙期間中に自民党から、もしこれで四党が政権取ったらどういう政権になるんですかと聞かれたときに、非常にごたごたあとしたんですね。そこまで詰めてませんから。(うんうん-御厨)今回、時間がなかったからしょうがないとしても、これからどうするのかというのは、そこをきちっと詰めなければいけない。これが一番政党としての基本的な理念、基本政策に対する共有かということだと思うんですね。そういうことを是非やっていただきたい。

《御厨貴》

代表戦と並行するような形でそういうことをいっしょにやる

《片山善博氏》

代表戦でそれぞれ出ている人でそれに対する考え方が違いがありますからある程度は選別されるかもしれませんけど、代表は選んだけれども、俺たち全然共有してないよということだと、いつまでも政党としての体をなさないことになりますから。

《御厨貴》  なるほど

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2016年8月 6日 (土)

広島市平和記念式典 平和宣言・平和への誓い 8月6日

    平 和 宣 言

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 1945年8月6日午前8時15分。澄みきった青空を切り裂き、かつて人類が経験したことのない「絶対悪」が広島に放たれ、一瞬のうちに街を焼き尽くしました。朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜などを含め、子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし、その年の暮れまでに14万もの尊い命を奪いました。

  辛うじて生き延びた人々も、放射線の障害に苦しみ、就職や結婚の差別に遭(あ)い、心身に負った深い傷は今なお消えることがありません。破壊し尽くされた広島は美しく平和な街として生まれ変わりましたが、あの日、「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、歴史と共に育まれた伝統文化は、二度と戻ることはないのです。

 当時17歳の男性は「真っ黒の焼死体が道路を塞(ふさ)ぎ、異臭が鼻を衝(つ)き、見渡す限り火の海の広島は生き地獄でした。」と語ります。当時18歳の女性は「私は血だらけになり、周りには背中の皮膚が足まで垂れ下がった人や、水を求めて泣き叫ぶ人がいました。」と振り返ります。

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 あれから71年、依然として世界には、あの惨禍をもたらした原子爆弾の威力をはるかに上回り、地球そのものを破壊しかねない1万5千発を超える核兵器が存在します。核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

  私たちは、この現実を前にしたとき、生き地獄だと語った男性の「これからの世界人類は、命を尊び平和で幸福な人生を送るため、皆で助け合っていきましょう。」という呼び掛け、そして、血だらけになった女性の「与えられた命を全うするため、次の世代の人々は、皆で核兵器はいらないと叫んでください。」との訴えを受け止め、更なる行動を起こさなければなりません。そして、多様な価値観を認め合いながら、「共に生きる」世界を目指し努力を重ねなければなりません。

  今年5月、原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領は、「私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない。」と訴えました。それは、被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という心からの叫びを受け止め、今なお存在し続ける核兵器の廃絶に立ち向かう「情熱」を、米国をはじめ世界の人々に示すものでした。そして、あの「絶対悪」を許さないというヒロシマの思いがオバマ大統領に届いたことの証しでした。

  今こそ、私たちは、非人道性の極みである「絶対悪」をこの世から消し去る道筋をつけるためにヒロシマの思いを基に、「情熱」を持って「連帯」し、行動を起こすべきではないでしょうか。今年、G7の外相が初めて広島に集い、核兵器を持つ国、持たない国という立場を超えて世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛け、包括的核実験禁止条約の早期発効や核不拡散条約に基づく核軍縮交渉義務を果たすことを求める宣言を発表しました。これは、正に「連帯」に向けた一歩です。

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 為政者には、こうした「連帯」をより強固なものとし、信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、「情熱」を持って臨んでもらわなければなりません。そのため、各国の為政者に、改めて被爆地を訪問するよう要請します。その訪問は、オバマ大統領が広島で示したように、必ずや、被爆の実相を心に刻み、被爆者の痛みや悲しみを共有した上での決意表明につながるものと確信しています。

  被爆者の平均年齢は80歳を超え、自らの体験を生の声で語る時間は少なくなっています。未来に向けて被爆者の思いや言葉を伝え、広めていくには、若い世代の皆さんの力も必要です。世界の7千を超える都市で構成する平和首長会議は、世界の各地域では20を超えるリーダー都市が、また、世界規模では広島・長崎が中心となって、若者の交流を促進します。そして、若い世代が核兵器廃絶に立ち向かうための思いを共有し、具体的な行動を開始できるようにしていきます。

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 この広島の地で「核兵器のない世界を必ず実現する」との決意を表明した安倍首相には、オバマ大統領と共にリーダーシップを発揮することを期待します。核兵器のない世界は、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する世界でもあり、その実現を確実なものとするためには核兵器禁止の法的枠組みが不可欠となります。また、日本政府には、平均年齢が80歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

  私たちは、本日、思いを新たに、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、被爆地長崎と手を携え、世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

 
                          2016年8月6日
                         広島市長 松井 一實


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      平和への誓い

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「人が焼けるにおいがした」
「ある者は、肌が溶けて人間には見えんかった」

原子爆弾が落とされた広島の様子を、語り部の方は語ってくれました。
思い出したくない、胸が張り裂けそうだ。
被爆された人の辛さは、いつまでも、いつまでも終わることはありません。

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被爆者の思いや被爆の事実を自らの体験のように、想像するのです。
聞きたくても、聞くことができなくなる日が近づいています。
一瞬で街がつぶれ、日常や夢を踏みにじられた、昭和20年(1945年) 8月6日午前8時15分の出来事を、私たちは、もっと、知りたいのです。もっと、伝えたいのです。

悲しみや苦しみを乗り越えた人々の努力によって、広島は青く澄んだ空の下、色とりどりの花が咲く街に復興しました。

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この広島に、今年も、世界各地から、多くの人が訪れています。
あの日の事実を知るために、平和記念公園を巡り、平和記念資料館を見学し、
語り部の方の話を聴き、原子爆弾の恐ろしさを実感しています。

そして、「あの日の出来事を伝える」と約束してくれた人たち。
平和の広がりを感じました。

私たちは、待っているだけではいけないのです。
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誰が、平和な世界にするのでしょうか。

夢や希望にあふれた未来は、ぼくたち、わたしたち、一人一人が創るのです。
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私たちには、被爆者から託された声を伝える責任があるのです。
一人一人が、自分の言葉で、丁寧に、戦争を知らない人へ次の世代へ世界の人々へ命の尊さを平和への願いを私たちが語り伝えていきます。

                   2016年 8月6日

                    こども代表
                  広島市立竹屋小学校6年 中奥垂穂
                  広島市立亀山小学校6年 青木優太


sad  この1年で亡くなったり死亡が確認されたりして、原爆死没者名簿に新たに記帳された被爆者は5511人に上り、これまでに記帳された死没者の総数が計30万3195人となりました。広島市は式典で、この名簿を原寥慰霊碑の石室に奉納しました。

 

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