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2016年6月 9日 (木)

私は故国、日本帝国女子を代表したのではないのだ

『日本の選手が実力が出せないのは故郷の人々が勝負に囚わりすぎるからだ』『罪深き世の人よ』
『私は故国、日本帝国女子を代表したのではないのだ』『人見、個人としてプラハに行ったのだ』

       (人見絹枝『ゴールに入る』より)
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人見絹枝さん

1907年岡山県生まれ1931年8月2日死亡
オリンピックが始まった当初は、女子選手の参加は認められていなかった。陸上競技に、女子選手が参加したのは1928年の第9回アムステルダム大会。そのとき日本選手団のたった一人の女性が陸上選手の人見絹枝だった。彼女は、見事銀メダルを獲得。 193096日 万国女子オリンピックプラハ大会に人見絹枝を先頭に6人の日本女子選団が参加。日本チームとして結果を残すことにこだわった。400㍍リレーに掛け、結果は4位入賞。人見絹枝の夢が実現した。

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 中村桂子(なかむらけいこ)さん 生命誌研究者発言から

 チームとしてがんばらなければいけなくなりますよね。そうなった時に世間が、やっぱりより目立ってくると厳しくなってくる。
 人見絹枝が書いたものがとっても文章が上手で大好きで読んでいると、前向きで前向き、前向き、いつも書いて、それから先駆者であるがために、国のこともよく考えて世間のことも考えて、そうやって広げていこうとやってるんですけど、このプラハの時だけちょっとびっくりするようなことを書いてるんですよ。
『日本の選手が実力が出せないのは故郷の人々が勝負に囚わりすぎるからだ』『罪深き世の人よ』みたいに書いてるんですよ。それといっしょに、自分のことも『私は故国、日本帝国女子を代表したのではないのだ』『人見、個人としてプラハに行ったのだ』
(人見絹枝『ゴールに入る』より)
 勝てよ勝てよというようなのは自分だけのことじゃなくて、若い人にまでいくのが彼女は自分に言われるよりつらかったんでしょうね。
 初めてわたしここで、人見個人でやったんだよってようなことが言えたのは私としては「そうでしょう人見さん」って言いたいところもあるんですよ。


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NHKBSプレミアム 6月9日
英雄たちの選択「目指せ!“なでしこ”たちの祭典~人見絹枝の決断~」の再放送を見ました。

 人見絹枝さんのことは知っていましたが、深くは知りませんでした。
人見絹枝さんが岡山県の出身で、日本のスポーツ女子界で先駆的役割を果たした時代が1928年~1931年にかけてであることを知り、中村桂子さんの紹介で個人の発展を願い続けた先駆者であったことを知り感銘を受けました。
 中村桂子さんの紹介は他の出演者からも共感の声が寄せられていました。

 1928年は男子の普通選挙が実施され、同時に治安維持法による見本共産党への大弾圧が行われた年でもありました。
 人見絹枝さんは24歳の若さで1931年8月2日に亡くなりました。日本が中国への全面侵略戦争をはじめた年でもありました。

 私は中村桂子さんを知らなかったので、ネット検索し、中村桂子さんという人の姿を少し知ることとなりました。
 中村桂子さんのホームページを紹介させていただきます。次をクリックするとご覧になれます。
http://www.brh.co.jp/communication/hitokoto/

 

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