« 古隅田公園で感じた春の息吹   4月12日 | トップページ | 安全保障関連法案の今国会成立反対 50%  4月20日 »

2015年4月17日 (金)

〝どんなことがあっても戦争はだめ〟ひめゆり 4月17日

eye 今日、翁長沖縄知事と安倍首相の会談が初めて行われます。
そんなこともあって、4月2日に、クローズアップ現代で「最後の同期会 沖縄戦・“ひめゆり”たちの70年」が印象深く記憶にあったので掲載することにしました。
 ひめゆり平和祈念資料館館長の島袋淑子さんが国谷さんのインタビューに答えていたのが印象に残りました。私も2回ひめゆり平和祈念資料館を訪ねていて特別の思いで話を聞きました。
 安倍首相は沖縄県民の「戦争は二度と起こしてはならない」という願いに真摯に応えてほしいのです。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

クローズアップ現代
「最後の同期会 沖縄戦・“ひめゆり”たちの70年」 
チャンネル:総合放送日時:
2015年4月2日(木)
午後7:30~午後7:56(26分)

201504040410231

201504040412523

出演者    島袋 淑子(よしこ) (ひめゆり平和祈念資料館 館長)
キャスター  国谷裕子(くにやひろこ)

日本人およそ18万人、うち12万人の沖縄県民が犠牲になったとされる沖縄戦から70年。沖縄戦の象徴とも言われてきた「ひめゆり学徒隊」に動員された沖縄県立第一高等女学校の“最後の同期会”が先月開かれた。集まったのは、当時4年生だった38人。16歳だった少女たちは、いま86歳になった。戦場で助けを求めてきた親子を置きざりにした体験を、戦後、教師として子どもたちに伝えてきた女性。疎開して学徒隊に同行せず、自分だけが生き残ったことに思い悩んできた女性。生きていく術として米軍基地関連の商売を続けてきた女性。彼女たちは、同級生たちの遺影が並ぶ資料館や、自決があった海岸で何を思うのか…。番組では「ひめゆり学徒隊」の“最後の同期会”に密着。“沖縄の痛み”を抱えながら戦後を生きてきた同期生たちの70年を見つめる。

◆ 島袋淑子さんへのインタビューから

1945年4月1日 米軍が沖縄本島に上陸
ひめゆり平和祈念資料館 館長  島袋淑子さん
17歳の時に学徒として動員される。
戦後資料館づくりに携わり語り部として体験を伝えてきた。

2015040404180232

Uvs150417001

Uvs1504170221


《島袋》

3月23日、艦砲射撃がはじまった日に学校も戦場へと出発しまして、1週間ぐらいしたら勝ち戦で学校に戻れると思ったんです。戦争がはじまったとわかったのが、4月5日ぐらいでした。で、私たちも戦争が終わったと思ったら、そこへ血まみれで泥まみれの兵士が突然、各壕に運ばれてきましたもので、本当にガタガタ震えていましたね。それから毎日、はじめ血を見ただけでガタガタ震えて「戦場だぞこんな弱虫では役に立たない」と衛星兵達におこられますと段々、涙を流しながら泣きながらも「はい、はい、」と言って軍隊式になっていって

《国谷》

私たちが取材した渡具知美代子さんがおっしゃっているんですけど、はじめは非常に怖いとか恐れみたいなものがあったけれども、しばらくすると、亡くなった方を見ても、かわいそうとも思えなくなったと

《島袋》

あたりまえになってしまうんです。本当に考えられなくなりますね。あの麻痺するとういのかね「戦場なんだよ。しっかりして、しっかりして」と、おこられているうちに、もう毎日何名の兵隊さんが死んでいっても平気になりましたね。だから自分で自分が怖くなりますね。戦争って。でも、一番つらかったのは解散命令の後です。(1945年6月18日、日本軍による学徒隊への解散命令が出た)歩けない友だちを残して私たちは出て行ったんです。それは今でも・・あの暗い壕の中で、誰にも看取られることもなく、水がほしくても水を飲ましてくれる人もいなかっただろうとか、いろんなことを考えて、今何年経ってもそれだけが、生きるも死ぬもいっしょ、みんなこの壕に残って死んだ方がいいですって言ったんですけど「それはだめだ」って軍が許さないんですね。「この壕に残れる者は傷を負った者と病人だけだ。はってでも歩いて出ていくんだ。なに言ってるんだ」と言って、もう追い立てるものですから・・・

《国谷》

この資料館ていうのは、生き残った方々の思いが詰まった場所だと思うんですけども、一番この資料館に込められた思いと言うのはなんですか。

《島袋》

2015040404180234

やっぱり、私、知らないということは恐ろしいことだと戦争終わってから思いました。あの頃はいつも負けていても勝っている勝っているとか。他国で戦争していたときは何も感じなかったんですね。ただ勝っている、勝ってる。だけど目の前で友だちを亡くして、助けてあげられなかった、あのたくさんの兵隊さんを置き去りにしてみんなそこの壕で死んでるわけですから。戦争ほど恐ろしいもの、戦争ほど・・言葉で表現で出来ないくらい憎いもんです。もう戦争起こした人は許せないという気持ちがあります。戦争を知ってしまった私たちは、だから絶対戦争は、どんなことがあっても戦争はだめだということ。私の思いはこんなにたくさんの友だち…亡くなって、もう二度と戻ってこない友だち。家族もそうですけど。戦争は人災なんです。必ず人が起こすんです。だから止められます。戦争は止めることができるんです。人間が起こすから。だから、準備が始まったら止められないよっていいます。

《国谷》

危機感を感じていらっしゃる一つの要因となっているのが、この資料館に来られた方々が書き残してるコメント。

《島袋》

はい。そう。戦争は仕方ないとか、じゃ攻めてこられたらどうするのかとか、そういう本当に戦争を知らない方のご意見です。遠いところから、なんか少しずつ戦争への足音が聞こえるような気がして、体験したから、そう思うんでしょうかね。今なら止められると思って、声を大にして、若いみなさんに〝戦争はだめです〟と言ってくださいって。人間の犯す最大の過ちだからね、これは始まったら止められないから今だよって。

《国谷》

島袋さんやみなさんが体験した凄惨な体験、その痛みの原点とずうっと沖縄が、こう負ってきた安全保障の、いわば要という役割、歴史からずうっと連続して見たときに、何が一番沖縄の人々の心に刺さっているのかなあ、今。

《島袋》

20万近くの命が失われているのに、まだ基地もある、さらに基地も作るって、そういう何で沖縄っていうか、宿命っていうんですかねえ。だからそこで生れた私たち、そこで育って戦争体験した私たちが、やっぱり最後の最後まで声を大にして戦争の恐ろしさ、命の大事なことを伝えなければいけないと、がんばってはいるんですけど、なかなかうまく戦争知らない人が多くなりましたので、それが伝わりにくくなっています。この4、5年前からそういう気持ちでおりますね。50年、60年までは、もう絶対戦争はないと思ってますけど、あれ、また戦争の準備が始まるんじゃないかねという不安がありますので、今一番大事な時だと思っています。みんな少しでも、沖縄の苦しみか、今ある沖縄を少しでもわかってほしいと思ってますね。

|

« 古隅田公園で感じた春の息吹   4月12日 | トップページ | 安全保障関連法案の今国会成立反対 50%  4月20日 »

沖縄と基地」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/536404/61452135

この記事へのトラックバック一覧です: 〝どんなことがあっても戦争はだめ〟ひめゆり 4月17日:

« 古隅田公園で感じた春の息吹   4月12日 | トップページ | 安全保障関連法案の今国会成立反対 50%  4月20日 »