碓氷峠 横川~熊ノ平 アプトの道を歩く 11月13日
2007年5月に一泊しながら妻と二人でアプトの道を歩きました。
私は熊ノ平の思い出をたどりたかったのですが、開通していたのは、めがね橋(第三橋梁)までで、第六トンネルから立ち入りが禁止されていました。
今年になって2012年4月1日から横川~熊ノ平間が整備され歩けるようになったことを知り、行ってみようと決めました。11月13日(木)に予定したのですが、妻はかぜで行ける状況ではなく残念ながら一人で出かけました。 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。
アプトの道 横川~熊ノ平全長5.9キロを往復
群馬県安中市横川 アプトの道をスタートしたのが午前11時で、スタートは私一人でした。ちょっと風がありましたがよい天気で気持ちよく歩きました。
横川に向かって歩いてくる何人かに会いましたが、熊ノ平まで歩き帰りだという人が二人もいました。朝8時過ぎに横川を出かけたとのことでした。
(碓井峠鉄道文化むらに展示されている昔の車両)
(左側-碓氷峠トロッコ列車線、右側が整備されたアプトの道です=旧信越本線が走っていた跡です)
(アプトの道の両側のカエデやモミジが紅葉していました)
(旧丸山変電所跡 国指定重要文化財=初めて認識したのですが、日本で最初の電気機関車を走らせるために1912年(明治45)に造られました。直流電気を送る機械室と大きな蓄電池室があったことに驚きました)
(建物は二棟あって、右側が蓄電池室、左側が機械室)
(北原白秋 「碓井の春」記念碑
(1号トンネル)
(1号トンネルから)
(1号トンネルを出たところに中山道が・・・)
(桑の木?)
(2号橋梁 これまで3号を除いて橋梁には関心がありませんでしたが、横川~熊ノ平間に6ヶ所あることを知りました)
(2号トンネル)
(碓井湖)
このあたりで四阿の休憩所があり12時30分を過ぎていたので碓井湖を見ながら昼食休憩にしました。めがね橋から碓井湖をめざしてやってくる神奈川県からのツアー客のみなさんと出会いました。
(休憩中に風が吹き枯れ葉が空一面を舞って秋の風情を感じたひと時でした)
(アプトの道でアザミの花があちこちで眼につきました)
(3号トンネル=この位置から4号、5号のトンネルが見通せました)
(5号トンネル)
(5号トンネル内で)
(5号トンネル内からめがね橋をのぞむ)
(めがね橋-3号橋梁の上=アプトの道の一番スポットです。このめがね橋を見ようという人が各地から来ていました)
(めがね橋の上から旧18号道路に降りることができます)
(紅葉をバックにめがね橋=3号橋梁。なんど見てもすばらしい光景)
1893年(明治26)イギリス人技師の指導のもと完成。全長91㍍、川底からの高さ31㍍、使用された煉瓦は約200万個だそうです。
あらためて見直しすばらしいと思いました。
(旧18号国道 めがね橋から)
(6号トンネル、ここからは初めて通る道です)
(碓氷峠に26のトンネルがありますが一番長いトンネルが6号トンネル)
「信濃の国」の歌に「うがつトンネル26、夢にも越ゆる汽車の旅・・・」とあり、私たちは子どもの頃からこの歌を歌って育ってきました。案内標識に「碓氷新道(旧国道18号)や、碓氷線(信越本線)は特に長野県の人には思い入れが強かったようです」と書かれていましたがまさにそのとおりです。
(6号トンネルの中で)
(6号トンネル内 排煙のために造られた窓穴)
(4号橋梁)
(5号橋梁)
(7号トンネル)
(8号トンネル)
(6号橋梁)
(11号橋梁)
(9号トンネル)
(10号トンネル)
(10号トンネル内から熊ノ平をのぞむ)
熊ノ平です
熊ノ平は静かなたたずまいの中で迎えてくれました。
中学の修学旅行での思い出でしょうか??
定かではありませんが懐かしい場所で、どう変わってしまっているのか
ここ数年、機会があれば行ってみたいと思っていたのです。
そして、1950年6月11日から12日にかけての雨で大規模崩落事故が発生し50名が犠牲になり、翌年に熊ノ平殉難碑が建立され、その後現在の場所に移転したそうです。殉難碑でお参りしたいと思っていましたが実現できました。
「kumanotairajiko14.11.12.docx」をダウンロード
(アプト式開通の記念碑)
(変電所の跡)
(軽井沢方面のトンネルを望む)
(横川方面のトンネルを望む)
(10号トンネルと下り押下げトンネル-左側から)
午後2時半 帰路の途に
(ユウガキク?この菊がアプトの道のあちこちに咲いていました)
(妙義山)
(つるべおとしで、追われるように暗くなってきました)
ここまで来たので、碓井関所跡へ
(地元の方が犬の散歩をしていて、この関所跡の建築物は江戸時代の物で大切に保管継承されてきていると教えてくれました) 標高を調べてみたら横川386㍍、熊ノ平688㍍で300㍍もの差があったのです。行きの途中から右足に痛みが出てきました。帰りは下りのはずなのに、来る時より足の痛みは増して苦戦しました。やっとの思いで横川駅に着きましたが、やったという感じで満足感でいっぱいになりました
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