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2014年8月28日 (木)

水爆実験60年目の真実 NHKスペシャル  8月28日

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 NHK広島放送局が製作したすばらしい番組と私は感じ、作品の内容から、今後の動向に関心を持たなければと思い紹介させてもらうことにしました。

 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

《プロローグ》

 氷点下の漁村を一軒一軒訪ね歩く人たちがいました。(宮城県気仙沼)
長年、被ばくの調査を行ってきた広島の科学者です。
探していたのは60年前、太平洋ビキニ環礁周辺に居た漁船員の歯です。
「これを測れば当時の放射線をどれくらい浴びたかわかるんで、これで出てくる可能性があるなあ」
 漁船員の歯を調べることに。
広島の科学者たちは、これまで国が認めてこなかった被ばくを明らかにしようとしています。

 日本から南へ3700キロ、太平洋ビキニ環礁。

 320pxcastle_bravo_blastImg_6555_51954年3月1日、アメリカは水素爆弾の実験を行いました。威力は広島に投下された原爆の1000倍でした。大量の放射性降下物、いわゆる死の灰が周辺に降ります。この時、160キロ離れた海で日本の遠洋マグロ漁船第五福竜丸が操業していました。23人の漁船員全員が被ばく。半年後(9月23日)無線長の久保山愛吉さんが亡くなります。 水爆実験は2ヶ月半で6回。周辺には数多くの漁船が操業していました。しかし日本政府は他に漁船員が被ばくしたとは認めませんでした。
 実験の翌年(1955年)アメリカから200万ドルの見舞金を受け取ることでこの問題を終わらせたのです。

 それから60年。

広島の科学者たちが第五福竜丸以外の漁船員の被ばくを初めて明らかにします。
 「ここが変です、ここが異常、おかしいです」
 被ばくの痕跡が歯や血液から次々とみつかりました。
Img_6545 Ijsenshokutaio_3
「初めてですね」「これは全く初めてです」

 さらにアメリカでも新たな事実が判明します。公開された極秘文書の中に、これまで存在しないとされてきた漁船員たちの検査記録があったのです。アメリカに送られていた、漁船員たちの被ばくの記録。この事実が隠されてきたのにはわけがありました。東西冷戦が激しさを増していた1950年代、アメリカはソ連との核開発競争で優位に立とうとしていました。
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Img_6762Img_6575 「アメリカは核開発のじゃまになる物はすべて取り除きました。この日本人漁船員の被ばくも同じように隠してしまったのです。」(米エネルギー省元上級政策顧問)

 日米両国でみつかった(放射性降下物の広がりと漁船の航路)データーを重ね合わせるとさらなる事実が浮かび上がりました。死の灰を浴びた可能性がある漁船は100隻近くにものぼっていたのです。

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《エピローグ》

国家の思惑の陰で無きものにされた漁船員たちの被ばく。
広島が解き明かす60年目の真実です。

 太平洋上にいた一多くの漁船員
 存在しないとされた被ばく
 黙るしかなかった人々
 広島の科学が60年の空白に挑む

2013年4月広島でビキニ水爆実験の被爆を明らかにするプロジェクトが立ち上がりました。(広島大学原爆放射線医科学研究所で)

Img_6719 集まったのは被爆者の体に残る放射能の影響を長年調べてきた専門家たちです。
 リーダーは放射線物理学の第一人者の広島大学星正治名誉教授。統計学で被爆と病気の関係を明らかにしてきた広島大学大瀧慈(めぐ)教授。そして、血液学を専門とする広島大学田中公夫博士。多くの漁船員が暮らす高知からもメンバーが加わりました。元高校教師の山下正寿さん。プロジェクト発足のきっかけになったのは山下さんが長年にわたって行ってきた漁船員の追跡調査でした。

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Tosasimizu 1989年高知土佐清水、高校の生徒たちと行った一つの調査が出発点となりました。地元の漁師からビキニ周辺で操業していた船が港の近くに捨てられていると聞き、放射線量を調べてみることにしたのです。水爆実験から30年近く経っているのにもかかわらず、毎時、1.5μシーベルト、自然界の37倍の放射線量が検出されました。
 漁船員は水爆実験の後、どうなったのか。山下さんは204人の実態調査を行いました。健康状態について帰ってきた答えは驚くべきものでした。
ガンなどの病気で全体の3割、61人がすでに亡くなっていました。さらに一般の男性ではおよそ1万3千人に一人が発症されるという白血病で亡くなった人は3人もいたのです。しかし山下さんには病気と被爆を結び付ける術はありませんでした。そこに協力を申し出たのが長年被爆を研究し続けてきた広島の科学者たちでした。

Img_6617大瀧さんは「原爆被爆者を追跡調査してきた研究者の一人として、もっと早くこういうことに気がつくべきだった。もっと素直に実態を把握すべきだった」
 1945年8月6日広島、そして9日の長崎。アメリカが投下した二つの原子爆弾によって、その年だけでも21万人以上の命が奪われました。生き残った人たちもその後、次々とガンや白血病などの病気に襲われます。
病気は被爆のためだ、人々は国に原爆症の認定を求めました。しかし、認められない人が相次ぎました。そうした人々の体に残る放射線の痕跡などから広島の科学者たちは被爆を証明してきました。これまでに培ってきた技術があれば60年前の事実でも明らかにできると考えたのです。

Img_6626星正治さんは「水爆実験でどれだけの被ばくがあったかわからないわけだから、それを解明するチャンスがあれば義務でしょう。私たちの」
プロジェクトは今回、漁船員の被ばく線量を測り、健康への影響が表れるという国際基準の100㍉シーベルトを超えるかどうかに注目します。
リーダーの星さんは漁船員の歯を集めることを提案しました。
「歯があれば、被ばく線量が測れます。抜歯するときに歯をとっておいて頂く」
たえず細胞が入れ替わる組織と異なり、歯は入れ替わらないため被ばくの痕跡が残ります。歯の表面を覆うエナメル質、ここに放射線があたると、組織に異常が起こります。異常は原子と原子をつなぐ電子に現れます。放射線があたると二つの電子のうち一つが飛ばされます。異常が見られた電子の数を数えることで、浴びた放射線量を導き出すことができるのです。

 高知 室戸

Img_6638プロジェクトチームの山下さんは、漁船員たちの歯を探しはじめました。
以前調査で訪れたことがある漁船員の家を回ります。
訪ねた一軒では亡くなっていました。
漁船員に会えてもなかなか歯はみつかりません。
「歯は全部ないわ。やるんやったらもっと早くせんと」
60年の空白が調査の前に立ちはだかりました。

プロジェクトチームが被爆の実態に迫ろうとするビキニ水爆実験(1954年太平洋ビキニ環礁とエニウェクト環礁でアメリカが行なったキヤッスル作戦)

 それはアメリカが広島、長崎の原爆投下から9年後に行いました。
1954年
  3月1日  ブラボー (15メガトンでキヤッスル作戦の中で最大)
 「広島を壊滅させた原爆の1000倍の威力、新たなパワーの時代の幕開けだ」
この時、被ばくが公になったのが第五福竜丸。
日本政府は 脱毛や火傷など放射線による急性症状が表れた漁船員23人の被爆を認定します。
  3月27日  ロメオ
 実験はその後も繰り返されました。大量の放射性降下物、死の灰が太平洋に降り注ぎました。
  4月 7日    クーン (失敗)
  4月26日   ユニオン
  5月 5日    ヤンキー
  5月14日   ネクター
(一連の水爆実験は成功裏に終わった―アメリカ)

 この間、周辺の海域では多くの漁船員たちがマグロを追っていました。
 被爆を疑う声が上がりましたが、国が認めることはありませんでした。
 なぜ漁船員たちは自ら声を上げてこなかったのだろうか。そこには漁船員たちが抱える事情がありました。
Img_6664Img_6787 高知  桑野浩(ゆたか)(81歳)桑野さんが乗っていたのは高知県室戸市の遠洋マグロ漁船第二幸成丸。1954年2月24日日本を出港。一ヶ月後の3月27日にビキニ環礁から1300キロの所で2回目の水爆実験に遭遇します。
「黒い雪が降る。雨でも雪でもない、黒いのがどんどん降ってくる」
「1センチから2センチぐらい甲板にたまるんですよ」
その時乗っていたのは平均年齢25歳、20人の漁船員。実験から20年過ぎた頃からガンや心臓病などで次々と亡くなっていきました。
 今、生き残っているのは3人だけです。
 桑野さんは仲間の死が被爆によるものだと思いつつも、声を上げることはできませんでした。
「禁句だった」
「室戸市内ではビキニの話はないことにしようやという風潮だった」
「徹底的に室戸の漁業の人は隠していた。魚もとれなくなるし、室戸はマグロで生きてきた町じゃから、でも、漁師も船もなくなると全滅するものね、室戸が」
Img_6667 国の対応に不信感を抱きながら被爆の疑いを口に出せなかった人もいます。
第二幸成丸に乗っていた久保尚(ひさし)(77歳)さんです。当時17歳。ビキニから日本に戻った直後、国による体の放射線検査を受けたことを覚えています。
「ガイガーでやったのを覚えている。最初は検査官が船に乗ってきて船の周囲と人体をはかった」
 測定器は激しく鳴っていたといいます。しかし、国から結果を知らされることはなく、その後も何も対応はありませんでした。
「そんな病気があるとは全然わからんし、死の灰だと言われても全然どんなものかもわからない。ほったらかしというかその一時だけ騒いで・・」
Img_6674Img_6680 国が漁船員に対して行った検査の結果はどうなったのか
山下さんが当時の資料を探したところ、厚生省が作成した放射線検査のマニュアルがみつかりました。
船体や魚だけでなく人の体の被爆線量を測るよう指示しています。水爆実験の翌年に国に出された検査の結果の報告書もみつかりました。
第二幸成丸の検査結果。船体と魚から出た放射線線量は記載されています。ところが、漁船員の体の測定結果はどこにも記されていませんでした。
「マグロより人間大事ですからね。マグロより人間の影響を記録したものを真っ先に出さなきゃいけない。そこに意図的なものを感じる」
なぜ最も重要な体の記録が記されないのか。山下さんが国や県に説明を求めたところ、答えが返ってきました。
「体の検査記録は残っていない」というものでした。

Img_6683(参照資料)
yamaharakenjiro1986.3.7.docx」をダウンロード
高知県選出の議員も1986年3月7日、衆議院予算委員会で国の見解を問いましたが答えは同じでした。(私の調べでは共産党の山原健二郎さん)
「第五福竜丸以外の漁船の実態の数字についてつかんでいない」(厚生省保健医療局長)
「調査も難しい。対策を講ずることは考えにくい」(厚生大臣)
国は当時の検査記録がないことを理由に、その後も一切の対応を拒み続けたのです。
「国になにを言っても、もう窓口を厚生省は閉じています。解決済みです。資料はありませんの一点張りですから、そこから全然進めませんので、何度も諦めかけたですよ」「これは、この壁の厚さというのは並ではない」
被ばくの疑いを持ちながらも、それを証明する術がないなかで漁船員たちの沈黙は続いてきました。

広島の科学者たちが被爆の実態を明らかにしようと動き出して半年。2013年10月、抜いた歯がみつかったという知らせが、星正治さんの元に届きました。
男性は9日前、歯医者で歯を抜いたばかりでした。
Img_6690Dai5meiwamaru「これで出てくる可能性があるな」(星)
乗っていた遠洋マグロ漁船第五明賀丸。水爆実験の現場から1300キロの海域にいました。いっしょに乗っていた二つ上の兄は皮膚ガンで亡くなりました。
「はっきり調べてもらって原因がわかったらね」

歯は仲間の研究室に持ち込まれ(岡山大学 豊田新教授)表面のエナメル質だけを分離しました。マイクロ波を当て、成分を分析する特殊な機器を用いて異常な原子の数を数えます。
分析を重ねて一カ月、結果が出ました。
割り出された放射線量は414㍉シーベルト
Img_66951「高めに出ています。明らかに高めに出ています」(星)
この値には、日常生活での被爆も含まれています。自然に浴びる放射線、過去のレントゲンの記録などから計算した医療被ばくの推定値。これらを引くと319㍉シーベルト。(自然放射線-45㍉シーベルト、医療被ばく線量-50㍉シーベルト合わせて95㍉シーベルト)
星さんたちが注目する100㍉シーベルトをはるかに超えていました。

 ビキニから1300キロで検出された319㍉シーベルト(第五明賀丸)これは広島の原爆でImg_6563爆心地から1.5キロで被爆者が浴びた放射線量とほぼ同じです。広島では被爆者健康手帳が交付され医療費も全額補償を受けられます。

 「ビキニの被爆から見過ごしてきた感がありますね」
 「初めてですね」「全く」
国が60年間認めてこなかった漁船員の被爆。広島の科学で初めて明らかになりました。

 2013年11月(高知室戸)血液解析専門の田中公夫さんも高知を訪れました。より多くの漁船員が提供できる血液です。さらに被爆の実態に迫ろうと考えたのです。
Img_6710調べるのは血液の細胞の中にある染色体の異常です。放射線が人の体を貫くと細胞の中にある染色体のいくつかが切断されます。切断された染色体は元に戻ろうとしますが、その時誤って別の染色体と入れ替わったり、二つの染色体が一つになったりしてしまいます。
この手法では歯による調査ほど正確な被爆線量を測ることはできません。しかしより多くの漁船員を調べることで被爆の広がりを把握できます。
「科学的に明らかに誰かがしなければいけない。技術はありますので、できるだろうと思っていますから」
この日、室戸市で行われた採血には9人の元漁船員が集まりました。
これまで口を閉ざしてきた漁船員たちが進んで血液を提供しました。
Img_6715Img_6713 水爆実験の直後、国の放射線検査を受けながら結果を知らされなかった久保尚(ひさし)さん(第二幸成丸)です。船に乗っていた仲間たちのために調査を受けることにしました。いっしょに炊事当番をしていた同級生の寺尾良一さん。水爆実験から23年後、二人の幼い子どもをのこし40歳で突然亡くなりました。肝臓ガンの疑いでした。
 「良一はつらかったと思うね。ガン、病気するような体でなかった。早いことわかって病院に行ってたらもっと長生きできたんじゃないかと思う」
 久保さんは寺尾さんの死は被爆の影響だと思ってきましたが、証明する術はありませんでした。60年目にして受けることになった今回の調査。自らの検査結果で被爆したことを明らかにしたいと考えています。
 「無念さを 良一らの無念さを晴らすというかね、自分の体でできることがあったら協力する」

 広島大学原爆放射線医科学研究所

高知や愛媛、宮城などから集まった血液は8隻18人分。
3000人以上の被爆者の染色体をみてきた田中さんが解析に臨みます。田中さんは、染色Img_6726体の異常を一つずつ確認していきます。
「二本がひっついている。ここが異常。おかしいですね」
二本の染色体が誤ってくっついています。原爆被爆者にも多く見られる異常です。
一つの細胞の中には46本の染色体があります。見ていくのは一人当たり1300個の細胞。その内、異常が見つかった細胞がいくつあるのか数えることで被爆の程度を明らかにしていくのです。体の中に残るわずかな痕跡から被爆を見つけ出す作業が続いていました。

広島の科学によって明らかになり始めたビキニの真実。水爆実験を行ったアメリカでも2014年2月新たな事実がみつかりました。アメリカ国立公文書館で、実験から数十年を経て公開された当時の極秘文書の中にそれはありました。
Img_6735Img_6737日本の厚生省がまとめ外務省を通じてアメリカ国務省に渡った検査の記録です。被爆した船のリスト、船名、寄港した港、日付、魚と船体が浴びた放射線量、その隣には漁船員の被爆量が記されていました。国がこれまで存在しないとしてきたデーターです。
漁船員の被爆量は最大で500カウントまであったと記されています。複数の専門家による推計にもとづいて計算すると毎時2.5μシーベルトという値になります。水爆実験から数週間経って帰港した漁船員の体から被爆した影響が認められていたのです。問診の記録もありました。血便、歯ぐきの出血など広島や長崎の被爆者の急性症状にもよく見られた症状です。
Img_6741Img_6744記録によれば14隻の漁船員の体から放射線が検出されていました。しかし、アメリカは被爆の事実をつかみながら、水爆実験を続けました。被爆による人体への影響に目を向けることはなかったのです。核兵器の開発を担うエネルギー省で機密文書に接していたロバート・アルバレス氏。
前の年、ソ連が水爆実験に成功したという(1953年)情報が伝わる中、ビキニの実験に臨んだアメリカ。アメリカ政府はこれまでにない、あせりを感じていたと言います。
「アメリカは核兵器の開発に不可欠だった核実験が中断されることを最も恐れていました。実験のじゃまとなる不都合な事実は全て極秘としました。だからこそ、この日本人漁船員の被爆の事実も隠してしまったのです」

 アメリカに渡っていた検査記録。日本には残されていないのか。
当時アメリカに記録を渡したとみられる外務省に情報公開請求を行いました。
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 出てきたのは水爆実験の年、厚生省が独自にまとめた、放射線の検査報告書です。魚、船、そして人体。厚生省は確かに漁船員の体の被爆を調べ記録を残していたのです。久保さんや桑野さんが乗っていた第二幸成丸の記録もありました。亡くなった通信士の頭髪からは224カウント、毎時1.1μシーベルトの放射線が検出されていました。アメリカの文書にあった14隻の他にも新たに14隻の漁船員に被爆があったことがわかりました。
Img_6784Img_6794_2国に何度問い合わせても資料はないと門前払いされてきた山下さんです。
「これはちょっと許せない。これだけの物があって、『無い無い』と言っていたんで」「資料があったんだったらなぜ早く明らかにして、救済とか治療とかの方に生かさなかったのか」
当時の厚生省の事情を知る人物がはじめて取材に応じました。元厚生省審議官蔵田直躬(なおみ)さん(91歳)です。蔵田さんは第五福竜丸以外にも被爆した漁船員はいたと感じていました。しかし、検査は途中で打ち切られたと言います。
Img_6803「はがいいって言うか、もっとしかりせなんといかんと、自己反省しますわね」「しかもあの当時厚生省にいたんだからね。もうちょっと、しっかりせいと、自分に責めたいですよね」「日本の国にとって、これは、おぞましきことで、決すべきことだと思うわけですよ。国民全部に被害者みたいな感情を持たれてね暴動でも起こされると困る。問題は、そりゃ深いですよ。それで、そのために死んだり、病気になったり人がどれだけいるかということですよ。その調査もろくにしていない、保障もろくにしていない」

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Img_6825当時の極秘文書からは、アメリカは水爆実験で被害を受けた日本に対し、ある秘密工作をしていたことが明らかになりました。当時のアイゼンハワー大統領はその秘密工作を行うために直属の組織を設けていました。
OCBと言われる組織です。
「こちらがOCB工作調整委員会機密文書が入ったファイルです。」
OCBは「Operation Coordinating Board」 工作調整委員会は他国の世論を動かす心理作戦を担っていました。当時、最も神経をとがらせていたのはソ連がアジアで推し進める共産化の動きでした。
Img_6831水爆実験の年(1954年)ベトナムではホーチミン率いる共産党が勢力を急激に拡大、日本では第五福竜丸事件を機に激しい反米反核のデモが繰り返されOCBは警戒感を強めていました。
「日本の放射能パニックが共産主義勢力に絶好のチャンスを与えてしまっている」
事態を打開するためOCBが推し進めたのが、1953年12月国連でアイゼンハワー大統領が打ち出した原子力の平和利用です。
Img_6828「核分裂物質は人類の平和のためにも使われるべきだ」(アイゼンハワー)
OCBは原子力は兵器だけでなく夢のエネルギーにも使えるとアピールすることで、水爆実験への批判をかわそうとしたのです。
「日本で原子力の活用を推進することは被害を最小限にする最も効果的な方法だ」「原子力を雑誌や映画などピーアールし日本での博覧会開催の可能性を探れ」
水爆実験の翌年(原子力平和利用博覧会1955年~1957年)OCBが提案した原子力平和利用博覧会を日本は受け入れました。

 「広島の原子力平和利用博覧会で6月1日、100万人目の入場者を迎えました」(テレビニュース)
Img_6838爆地広島を含む全国11ヶ所の会場に延べ300万人が押し寄せました。
水爆実験の2年後、(OCBから国家安全保障会議への報告書 1956年6月27日)OCBがアイゼンハワー大統領に提出した報告書にはこう記されています。
「一連の原子力のPR工作によって、日本人の反核感情はほとんど取り除かれた」
水爆実験への反発をかわそうとしたアメリカ。その思惑に載った日本。多くの漁船員の被爆は顧みられなくなったのです。

 2014年6月、広島の科学者たちの1年あまりに及ぶ調査の結果がメンバーに報告されました。

最初は田中さんがすすめてきた血液の染色体の調査結果です。
Img_6847Img_6850水爆実験当時、現場から1300キロ以内に居た8隻18人の染色体の解析結果。染色体の異常がみられる細胞の割合を同年代の平均値と比べると18人中13人が高い値を示しました。第二幸成丸の久保さんもその一人です。異常がみられた細胞は1300個の内14個、水爆実験によって被爆した可能性が高いと田中さんは報告しました。
Img_6854さらに、異常がある細胞の割合を元に推定被爆線量を導き出しました。用いたのは田中さんが長年、被爆者の血液を調査するなかで得た相関式です。そこに、今回解析した人たちのデーターをあてはめました。異常の割合が1.14%の人は128㍉シーベルト、2.72%の人は306㍉シーベルト、18人の内8人が健康への影響が表れるとされる国際基準100㍉シーベルトを超える被爆をしている可能性が示されたのです。
「統計的には有意な差が出ている。確実に多いというデーターが出ている。100㍉シーベルト以上。多くの方が(被ばくが)あったと推定できる」
続いて統計学が専門の大瀧さんから
どれだけの船が被爆した可能性があるのかを示す調査結果が報告されました。
解析に使ったのは当時アメリカが観測していた空間放射線量のデーター。太平洋の20ヶ所以上に、モリタリングポストを設置し、毎日データーを収集していました。
形を変えながら広がる赤いエリア。空気中の放射線量が自然界よりも高い海域を割り出しました。
Img_6862さらに今回、日本の漁船103隻の航路データーを新たに入手しました。
緑の点は漁船の動き。水爆実験が繰り返された期間、周辺海域を操業しています。この二つのデーターを重ね合わせます。最初は狭い範囲にとどまっていた赤いエリアがしだいに範囲を広げ3月14日、第五福竜丸が日本に戻った頃から操業海域を覆うようになりました。しかし、国は漁船の操業を止めることはありませんでした。
3月27日、2回目の水爆実験(ロメオ)。その1ヶ月後、4月26日(ユニオン)その9日後、5月5日(ヤンキー)、5月14日(ネクター)2ヶ月半に及ぶ水爆実験の期間中、少なくとも98隻の漁船が死の灰がただよう海で操業を続けていたのです。

「これは非常に大きな問題だと思うんですよ。予防的にですね、もう少し危険範囲というか、そういった領域を広めに取って立ち入りできないような状況を少なくも作っておけば、あんな高い船上の被爆を受けることはなかったんじゃないかとは思いますけどね」

60年もの間、なかったことにされてきた漁船員の被爆。歯や血液に残された痕跡や当時のデーターから大きな規模で被爆が起きていた可能性が明らかになったのです。

2014年7月1日 東京

 
山下さんは厚生労働省に向かいました。
存在しないとしてきた検査記録がみつかったこと、そして漁船員の被ばくが科学で裏付けられたことを伝えるためです。
Img_6876_2 第二幸成丸の桑野浩さんが思いをぶつけます。
「私自身が100㍉シーベルトという放射能の痕跡が体に残っているというわけでしょう。検査のなかから。いままで、どんどん亡くなった方たちに、私以上の何百㍉シーベルトという核の放射能をかぶっているわけなんで、だからこそ、厚労省の力で公表してもらいたいというのが本音なんですけど」
Img_6879申し入れを行う
「厚生労働省として、人権に関わる未解明の問題として位置づけ、因果関係の解明のために取り組まれたい」「以上よろしくお願いします」
山下さんは早急な調査を求めました。
担当者は「まず資料が残っているどうか確認する」と回答するにとどまりました。

「公文書が隠されて、被災の事実を隠されて、被災者も自分が被災したこともわからずに苦しんで亡くなったりしていた。やっぱり、早くから事実を明らかにして、被災者に自覚することができたら、医療とか保障の問題とか確立されていて、こんなことはなかったと」

高知 室戸

 血液検査の結果が伝えられた第二幸成丸の久保尚さん。同じ漁船に乗り40歳で亡くなった親友、寺尾良一さんの墓前に向かいました。
 ようやく明らかになった被爆の事実を報告します。
Img_6883 「良一よ ビキニの結果が出てね  長い月日やったけど、わかったけんな安らかに眠ってください」
 被爆を疑いながら何もできないまま仲間を失っていった60年。
 あまりに長い歳月でした。
熾烈な核開発競争のさなか、大国の思惑に翻弄され、埋もれていった漁船員たちの被爆。
亡くなっていった命。60年の空白を超えて私たちに突きつけられた重い事実です。

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語り 伊東敏恵  
編集 川神侑二
広島局ディレクター 花井利彦 佐々木英基 石濱 陵
製作統括   高倉基也 柄子和也
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0806/
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 私がこの放送で感じたこと

① 高知の山下正寿さんをはじめ、広島の多くの科学者が日本の良心を明確に示してくれたことが胸に迫りました。その力が被ばくしていた漁船員を行動に後押ししたのではないだろうかと思いました。

② 2010年8月6日に放送された「封印された原爆報告書」(NHK広島放送局制作)をすぐに思い起こしました。アメリカは世界核戦略を維持するためには、卑劣な手も使い何でもするということ。そして日本政府が主権を放棄してアメリカ政府に卑屈に追随、従属している姿です。秘密保護法が国民の声を無視して強行された日本で、極秘資料の開示はますます難しくなるし、これを変えないとならないと思いました。

③ 山下正寿さんたちが7月1日に厚生労働省に申し入れを行いました。厚労省側は申し入れに正面から応える姿勢を示しておらず、今後の動向を注意深く見守らなければならないと思いました。

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