« 6年ぶりの別所温泉を楽しく過ごしました  9月17日 | トップページ | 幼い頃の別所温泉の思い出がよみがえりました 9月17 »

2013年9月22日 (日)

山宣、タカクラ・テル記念碑、斎藤房雄顕彰碑 9月17日

先人の進歩と革新の熱い思い、受け継ぐ決意新たに

VITA BREVIS SCIENTIA LONGA
 (生命は短し 科学は長し) 山本宣治

    
上小農民組合連合会建設

人間を信じる心       タカクラ・テル

新しく 元にもどるの めでたきを 心静かに たどらむ
                   斎藤房雄


Img_5807
(山宣の碑を中心に八の字に右にタカクラ・テル、左に斎藤房雄の碑)

 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

 いつも、この碑の前に立つとキュッと身がしまります。
さまざまな思いが胸をよぎります。
私が生まれた地の上小地区(上田小懸の略称)に受け継がれている、政治革新、進歩の気風のよりどころの一つがこの記念碑だと思うのです。

 山本宣治記念碑が受け継がれてきた略歴

 1929年3月1日 山宣、上小農民組合連合会第2回総会で講演

 山本宣治(第一回普通選挙で京都から選出された労農党代議士)が講師として招かれ、「無産党代議士の議会観」と題して2時間にわたって講演。1000名が参加。
(山本宣治は親しまれ、愛称で山宣と呼ばれている。タカクラ・テル氏夫人が山宣と従兄弟で、その関わりで招かれた)
200pxsenji_yamamoto
(山本宣治 1889年5月28日生れ1929年3月5日没)

 1929年3月5日 山宣、右翼に刺殺される
死刑法の「治安維持法」強行に反対を貫き、神田の旅館で右翼に刺殺される。
日本共産党は山本宣治の活動をたたえ党員として資格をおくりました。

 1929年3月15日 上小農民組合連合会は「山本代議士追悼大演説会」を開催。この席上で山宣記念碑の建設が決められた。

 1930年5月1日 山本宣治記念碑が建立される
タカクラ・テルの友人で家主であった斎藤房雄(柏屋別荘の主人)の好意でタカクラ・テルの屋敷内に建てられた。
 5月1日メーデー 警察に囲まれながら赤旗を林立、組合員、遺族の参列のもとに記念碑の序幕式が行われた。(長野県で初めてのメーデーとなった)
Img_5803
(山本宣治記念碑)

 1933年2月4日を起点に運動に対する厳しい弾圧が続く。
「2.4事件」 長野県下で教員・労働者・共産党関係者などの逮捕など大弾圧が行われた。タカクラ・テルも逮捕され家族は県外追放となった。そうした中で、警察は柏屋別荘主人の斎藤房雄氏に山宣記念碑を破棄し始末書を出すよう命じた。
 斎藤房雄氏は柏屋別荘の庭に記念碑を運び、池の縁に埋めて、警察には完全に壊しましたと始末書を出しました。身の危険をかえりみず、勇気ある斎藤房雄氏の行動で記念碑は戦後に守り伝えられたのです。

 1971年10月  現在の安楽寺入り口近くに再建される

その後、1988年10月にタカクラ・テル記念碑が建立され、2006年10月に斎藤房雄顕彰碑が建立された。
Img_5804
(タカクラ・テル記念碑)
Img_5801
(斎藤房雄顕彰碑)

 タカクラ・テル(高倉輝)
 1891年高知県に生まれ、1986年死去。京都大学卒業。1923年から別所に居住。「上田自由大学」の講師など。労働運動、農民運動の指導にあたる。戦後の1945年10月に日本共産党入党。第1回総選挙で衆議院議員に。後、参議院議員。中央委員。
 カナモジ運動や文学活動にもとりくみ、小説「大原幽学」「箱根用水の話し」がある。

 私の父の思い出
 山宣の碑が戦後再建されたのが1971年10月。
私が田舎に盆か正月に帰った時に(何年かは?)「山宣一人孤壘を守る。だが私は淋しくない背後には大衆が支持してゐるから」という有名な山宣の演説の一部が刻まれた茶碗を発見しました。茶碗が気に入って、その当時はあまり深いことも考えずに、父に茶碗をねだりました。父は渋々でしたが私にその茶碗を譲ってくれました。わが家ではその茶碗は大切に飾っています。
Img_6755
(わが家の大切な茶碗)

 父は1988年に亡くなりました。
 別所の山宣記念碑のことを思い起こすたびに、父の生前中に「なぜ、きちっと詳しい話を聞かなかったのだろうか」とくやまれてならないのです。
一つは、山宣が上田に来て講演したのが1929年で父は23歳だったということ。
二つ目に、1971年の山宣記念碑再建になんらかの形で関わっていたということ。
三つ目に、子どもの頃にタカクラ・テルの小説「大原幽学」「箱根用水の話し」がわが家にあって、私も読んだというよりか目を通した覚えがあるのです。
 父は父なりに、社会進歩を願って社会的活動に関わって生き続けてきた一人だったんではないだろうかと思いをめぐらせている私です。

|

« 6年ぶりの別所温泉を楽しく過ごしました  9月17日 | トップページ | 幼い頃の別所温泉の思い出がよみがえりました 9月17 »

人と自然を写真に」カテゴリの記事

コメント

 6月27日に別所温泉に宿泊しました。ここに山宣の碑があるということで 勿論立ち寄りました。私は京都に近い大阪の枚方市に在住しており 民衆運動にもかかわっているので 京都宇治にある山宣のお墓にも墓参したことがあります。友人たちも山宣については興味のある方も多いので メールで送ろうと思い 山宣の碑が長く柏谷別館の庭に埋められていたことを知り検索したら このサイトにたどり着き来ました。この旅館は 今は閉められているようですね。私たちは この旅館の前の「中松屋」に宿泊しました。一時買い取ったようで因縁はありますね。
戦争法・沖縄・原発など同じような運動をされていたのでコメントしました。もしかしたら 戦争法の時の国会前に一緒していたかもしれませんね。

投稿: 稲井田博子 | 2020年7月 1日 (水) 09時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 山宣、タカクラ・テル記念碑、斎藤房雄顕彰碑 9月17日:

« 6年ぶりの別所温泉を楽しく過ごしました  9月17日 | トップページ | 幼い頃の別所温泉の思い出がよみがえりました 9月17 »