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2013年9月11日 (水)

北川辺西小生徒の心に生き続ける田中正造  8月24日

北川辺西小学校6年生の作文朗読

 平井直希(なおき)くん

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(平井直希くん)

未来へ伝えていきたいこと

 みなさんは田中正造さんが何をした人なのか知っていますか。
ぼくは4年生の頃、地域の学習で渡良瀬遊水池に行きました。そこで「谷中村」という言葉を知りました。さらのその史跡がまだ残っているということも知りました。史跡めぐりをしながら田中正造さんの功績について学んだことを今でもよく覚えています。

 6年生になり総合的な学習で再び渡良瀬遊水地を訪れる機会がありました。4年生の頃の記憶を思い出しながら「渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団」の方の説明を聞き、改めて渡良瀬遊水池について考えてみました。

 渡良瀬遊水池の「史跡保存ゾーン」には現在もまだ昔の面影が残っています。谷中村の人たちや、お坊さんのものと思われるお墓、こんもりと高く土が盛られている場所には神社や役場、民家があったということをはっきり確認することができました。15㍍も土を盛って造られた水塚でさえ洪水で被害を受けていたことを知り、驚きとともに洪水被害にあった谷中村の人々の苦労と命懸けの日々について考えさせられました。今は無くなってしまった村ですが、そんな場所に自分たちが居ることになんだか不思議な気持ちを覚えました。

 正造さんは遊水地を造ることは鉱毒問題の解決にはならない。又、渡良瀬川の洪水の原因も、山奥の木を切る足尾銅山にあると訴えていました。20年間も同じような意見を叫び続けたようです。訴えは届かず谷中村は無くなってしまいました。

 しかし、正造さんはぼくが生まれたこの北川辺の地を谷中村のように遊水地となることから守ってくれました。ぼくはそんな田中正造さんをとても尊敬しています。農民を鉱毒から守ろうとする固い決意や自分の行動をやりとげる強い意志、正しいことをしようとする正義感など見習いたいことばかりです。

 こんな強い心を持つ田中正造さんのルーツを調べてみようと思いました。
田中正造さんは栃木県佐野市の農家に生まれました。子どもの頃とてもわんぱくで、なかなかのごうじょうばりだったようです。しかし、ある日、自分が描いた人形の絵を、じいやに「あまりお上手ではありません」と正直に言われ、腹をたてて、しつこくののしったそうです。そのことで、母にしかられ家の外に出されてしまいました。そこでの反省をきっかけに、「弱いものや目下のものを二度といじめない」と一生ちかい、強い正義感を抱くようになったそうです。
 そうした気持ちで数々の困難を乗り越え、73才で亡くなるまでの長い年月を闘いぬいたというのです。このことを知ったとき、「正しいことをやる」と覚悟を決めた正造さんの「鉄の心」に感動しました。ぼくも、こんな強い人間になりたいと思いました。

自分の考えを変えてくれた田中正造さんに感謝しつつ、正造が救ってくれたこの地に生きていき、彼の人生を未来へ伝えていきたいです。

橋本優花さん(ゆうか)さん

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(橋本優花さん)

田中正造さんの意志をついで

私の学校には、田中正造さんの墓があります。
毎年6年生になると、総合的な学習の時間で田中正造さんのことを調べていることを知っていましたが、北川辺と田中正造さんがどのように関係しているのか、あまり知りませんでした。6年生になり、田中正造さんの生い立ちを紙芝居で見たり、お話を伺ったり、本で調べたりして田中正造さんの功績を知り、とても感動しました。

一つは、足尾銅山の鉱毒問題に一生を捧げたことです。
自分の生まれた土地ではありませんでしたが、鉱毒問題で苦しんでいる人たちを知り、何度も政府に掛け合ったり、命をかけて天皇に直訴しようとしたりしました。私はそれを知って、田中正造さんが、なぜそこまでして人々のために尽くしたのか疑問に思いました。

本を読んでいて、その答えの一つを見つけました。それは「正造」という名前にあらわれています。田中正造さんは「兼三郎」という名前だったそうです。「人々のために正しいと思うことをやっていこうと決心し、尊敬する祖父の名前をもらった」と本に書いてありました。人々の役にたちたい、正しい人間になりたいという気持ちから名前まで変えてしまうなんて、なかなかできないことだと思いました。この若い時に決心したことを忘れず、一生人々のために捧げた田中正造さん、本当にすばらしい人だと改めて思いました。

もう一つは、渡良瀬の洪水を防ぐために大きな遊水地を造るという計画が立てられたときの田中正造さんの行動です。
計画では埼玉県の利島村、川辺村に造られる予定だったそうですが、田中正造さんのおかげで、池になることを防ぐことができました。しかし、今度は、北川辺がだめなら谷中村に造ろうということになりました。田中正造さんは谷中村に住み、亡くなるまで村の人たちと共に反対し続けましたが、遊水地工事が進み、農民たちは村を離れることになりました。

今の北川辺は洪水もなく、水に恵まれ、おいしいお米や野菜が採れます。いつも当たり前のように食べていますが、農作物を育てるには、水や土地が良いことが重要です。田中正造さんが、このすばらしい土地を守ってくれたからこそ、今の北川辺があると思います。この環境を壊さないように私たちの手で、いつまでも守っていくことが大切だということを田中正造さんの生き方から教えてもらいました。

田中正造さんが命をかけて守ってくれた土地です。今度は私たちの手で、しっかり守っていきたいと思います。
北川辺「田中正造翁を学ぶ会」の柿沼さんのお話の中で、田中正造さんが残した「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」という言葉がありました。その言葉は、私の心の中にとても深くきざまれています。環境を守るということは、私たちの命を守ることにつながっていることをこれから先も忘れずにいたいです。

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