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2013年6月27日 (木)

「女たちの地上戦~沖縄 」再放送から②  6月16日

■ 少女が見た日本軍 
徳元文子さん(当時16才女学生)
 


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 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

【山根基世アナ】
沖縄戦では若い女性も戦場に狩りだされていました。録音テープには、それまでほとんど知られていなかった日本軍の姿を詳細に語った証言がありました。徳元文子さんは当時16才、首里の女学校の4年生でした。野戦病院で看護の仕事に動員されていました。
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《徳元文子さん》
兵隊がいっぱいで入ることもできないんです。片一方に寝台を敷いてそれから通路があって、寝台といっても戸板ですよ、全部ならべてあるんです。奥には患者もいるし他の部隊もみんな入って来て、だから奥からずっと兵隊がごった返しです。
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(野戦病院の入り口跡)
【山根基世アナ】
文子さんが動員されていた野戦病院も沖縄本島南部糸満市米須にありました。野戦病院は地上戦に備えて日本軍が掘っていた100㍍ほどの防空壕を利用したものでした。うっそうとした森の中に今も崩れ落ちた野戦病院の入り口が残っています。

《徳元文子さん》
医務室では足の切断やら全部、忙しいんです。5月の末ごろだと思います。どんどんけが人が入って来るし、腕の所からけがして骨と皮がひっついたまま、肉は腐って真っ黒く固まっているんです。そこから肉が垂れ下がってるんです。そういった肉を、垂れ下がった肉を切り取ってオキシフールで洗って包帯でしめてやったり、昼夜ってないわけです。看護婦が2人ですから睡眠なんかとれないわけです。
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【山根基世アナ】
地上戦が始まってから2ヶ月。文子さんは野戦病院の裏手にあった小学校で同級生と再会します。各地の野戦病院などに動員されていた友人たちが南に追われてきたのです。

《徳元文子さん》
もう追われてくるわけです。首里の戦線からどんどん追われてくるし、一般の人たちも南の方へ南の方へとみんな来ましたので。5月の末ごろです。先生方もみえていましたし、4年生なんかも来ていましたので、その人たちと学校の入り口で会って『元気だったね』と叫んだら、兵隊に叱られて『君たち戦争だぞ、静かにせんか』と。それでも、生きているというその感覚で抱きついて『ああ元気だったね』涙を流して喜んだんですけど。

【山根基世アナ】
その時すでに日本軍の司令部は沖縄戦最後の激戦地、本島南部に移動していました。文子さんの野戦病院には負傷兵があふれるようになりました。

《徳元文子さん》
もう『看護婦さん看護婦さん』と起こされたものだから『どなたですか』と聞いたら『僕は小隊長だけど、全員が怪我して米須にきたんだが、僕の部下が道路脇に30名ほどいるから、もしご飯あったら、おにぎり1個ずつでもやってくれないか』じゃあ炊事の人に頼んでみましょうということで、バケツで2杯、特別に作ってもらっておにぎりを持って行ったら、もう我先に、わき杖ついた人などが、ぞろぞろ岩陰から出てくるわけです。木の下とか岩陰からです。手のない人やら足のない人やら、あと1人という時になくなっちゃったんですよ。それで奪い合いをしまして、けんかみたいになって、もう本当にあの状態を見ていると戦争とはこんな無残なものかと思いました。1つのおにぎりを奪い合ってけんかするんです。わき杖ついた人の奪いあいを見て悲しくなりましたけどね。

【山根基世アナ】
日本軍は6月、この野戦病院を放棄。多くの負傷兵たちがその場に残されました。
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《徳元文子さん》
ちょうど、その日はもう医療の方もごった返していましたので、重体な患者にみんなモルヒネ、モヒ、モヒと言っていたんですけど、それを飲ませたわけなんです。『重体な患者は見込みなしだから飲ませなさい』ということで。飲ますと余計使わないと死なないんですね。それで注射をするようにしました。そのうちに『今日早く出なさい』と言われてその晩に攻撃されたんです。それからは1歩でも出るとパンパンやられるという話でした。
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【山根基世アナ】
野戦病院への攻撃から逃れた文子さんはアメリカ軍に完全に包囲された沖縄本島南部をさ迷い歩きます。
 たどりついたのは、病院から1キロほど離れたアマンソー壕でした。
この時、文子さんはアメリカ軍の捕虜になることを最も恐れていました。当時、日本軍は住民にアメリカ軍の捕虜になると残虐行為をされると繰り返し教えていたからです。
戦争中、日本軍が住民向けに作ったビラです。
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「親愛なる諸君、鬼畜の米獣は洞窟内の同胞を毒を使って追い出し、出てくる人をかたっぱしから虐殺している・・・・・諸君この仇敵を一人あまさず殲滅しよう 来たれ決死の志は 壮年、青少年、男女を問はず 共に悠久の大義に生きん」
 アメリカ軍に殺されるよりも最後まで戦い日本軍と共に死のうという住民への呼びかけ。 文子さんもこうした日本軍の言葉を信じ肌身離さず手榴弾を持ち歩いていました。
文子さんは野戦病院の炊事係だった山城ノブさんといっしょでした。テープにはノブさんの証言も残されていました。
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《山城ノブさん》
非常に苦しい立場になったら手榴弾も兵隊が持たせてあったので『時期になったら自分でやりなさい』と言って『この手榴弾で今日もう2人で死のうね』と言って、私がやる時はあれが止めて、もう一人の人がやる時は私が止めて、一緒に死んだら幸いだが、やめた方がいいよと言って2、3回もやめたんですよ。
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(朽ちた手榴弾)
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《徳元文子さん》
簡単に死ねたらいいのに私たちは親不幸だったんだ。2人は生き残ってしまって。そんな話をして『今日、兵隊さんにお願いしよう』私たちはもし外に出てアメリカ兵に捕まったら女の子はどんなにされるという変な噂を聞いてましたので、怖いから出られないわけです。だから壕に留まっていたわけです。もう私たちだけが生きていて他の人は死んでいるとしか思わなかったです。あれから本当にモグラ生活です。生きるという事も考えなければ、別に何も考えなかったんじゃないですかね。

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