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2013年4月23日 (火)

さいたま市錦乃原の櫻草を見てきました  4月19日

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 一昨年、荒川総合運動公園の土手に富士さんの写真を撮りに出かけた際に出会った地元の方から、「サクラソウを見るなら、よく田島ケ原と言われるけれど、私は錦乃原のサクラソウを薦めるね」と「錦乃原」のことを初めて教えていただきました。
 そして、今年ようやく4月19日に錦乃原に出かけました。

 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

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(五つ葉のきれいなサクラソウ)

2人の女性が当番で
サクラソウの保護活動


 錦乃原櫻草園は荒川左岸治水橋の下にありました。
まわりには入れないように保護綱が張られ、立ち入り厳禁の名札が下がっていて「これは困ったな」と思いました。でもそこに、連絡場所の電話が書いてあったので電話をしました。「サクラソウを見たくてやってきたんですが、入れてくれませんか」と話をしている最中に2人の女性が園の中からやってきてくれて、無事に入園することができました。すぐに、その保護縄も外されました。
2人は当番でやってきていたのでした。
風が強く寒い日でしたが、錦乃原櫻草保存会のリーフと、保存会ニュースを手渡してくれ園内を案内してくれました。途中から、一人でじっくりサクラソウを見て廻りました。
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(錦乃原保存会のリーフ)

 説明で「今年は気候の関係で芦とカヤの成長が早く、サクラソウを覆うような感じになってしまいましたが、去年は一面にサクラソウがきれいに見れたんですよ」ということでした。
芦やカヤの下に、きれいにサクラソウが咲いていました。
 私はサクラソウの五つ葉と花の色が思っていたよりきれいで、すばらしいと思いました。

 園内に「錦乃原櫻草園」が作られるまでの経過の説明看板があり、リーフと会のニュースを家に帰ってからじっくり読んで、保存会の永きに渡っての活動を初めて知ることができました。

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(ノウルシとサクラソウ)
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(芦やカヤが伸びていなければサクラソウが一面に見えるのですが)
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(芦やカヤが覆っていますがサクラソウは元気です)
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(右側に見えるのが治水橋です)
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(ノウルシ)
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(地元の栄小学校もサクラソウ再生に大きな役割を発揮しています)

  錦乃原櫻草園説明看板から

サクラソウが、この周辺6ヘクタールにわたり咲き乱れていた時代がありました。
 昭和8年(1933)、当時この地は馬宮村と呼ばれていました。村ではこのサクラソウを、天然記念物として指定を受けるため文部省に申請したところ、理学博士三好学氏が文部省の依頼で調査に訪れ、日本一のサクラソウ自生地であると折り紙をつけてくれました。
 馬宮村では新名所として広く世に紹介しようと、名付け親を著名なジャーナリスト徳富蘇峰氏に依頼し、「錦乃原」の名称が生まれました。氏がこの地を訪れた折りはサクラソウの淡紅色・ノウルシの黄色・カヤの緑、あるいはタンポポやレングソウなどの野草が咲き競い、さな
がら錦を織りなしたような景色であったといい`ます。
 昭和9年(1934)国の天然記念特に指定されると、県内タトから多くの人々が訪れ、春の一日を楽しみました。
 しかし、食糧増産の社会要請が強まり、惜しまれつつも開墾され、昭和22年(1947)頃には錦乃原の姿を消しました。
 その後、僅かに残ったサクラソウを、有志の方々が自宅などで今日まで大切に育ててきました。この錦乃原桜草の原種を保存・育成し、憩いの場としていくために、ここに錦乃原桜草園を設置しました。(現在の錦乃原櫻草保存会は1994年に再結成され活動を続けています)

























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