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2012年11月 7日 (水)

消失した母校・浦里小学校を訪ねました  11月3日

焼け跡は整地され
「浦里小学校」の門柱と松が残るのみ


 
写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

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(「浦里小学校」の門柱と松は残っていました)

 11月2日、3日と上田千曲高校バレーボールOB会の「桐花会」総会が鹿教湯温泉であり参加しました。この集まりでも浦里小学校の消失は話題になりました。参加者の中に浦里小学校の卒業生が私と先輩の2人がいました。
 私は参加する前から焼け跡をこの目で見ようと考えていました。先輩も「訪ねたいんだ」と思いを語っていました。3日の朝、同年生が「送ってやるよ」と申し出てくれ、好意で浦里小学校焼け跡まで送ってもらいました。

目に入ってきたのは
工事中のテントと整地された焼け跡でした


 グランドの側から小学校に向かいましたが、工事中のテントと体育館。それをバックに子檀嶺岳(こまゆみだけ)がクッキリと見えていました。焼け跡は整地され、入れないように縄で囲いがされていました。
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(グランド側から=体育館とバックに子檀嶺岳が)
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(二宮金次郎像の方角から焼け跡を)
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(焼け跡)
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(焼け跡)
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(正門から=テントが張られ工事中)
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(現在の小学校への入り口=左側に校舎、右側に職員室)
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(体育館は無事でした)
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(左側=現在子どもたちが授業をする校舎、右側=体育館)

心の中をサーッと風が通りすぎるような感じでした

 
現実の姿を目の前に、消失したことを知った時のような悔し涙はでませんでしたが、心の中を風がサーッと通り抜ける感じでした。
 先輩は浦里小学校を離れる時に「来てよかったよ。もやもやしていた気持ちが整理できたように思うよ」と言っていました。

負けずに小学校再生に努力中
 
私は、その後生家まで送ってもらって2人と別れました。
兄嫁が新聞を出してきて「10月に火事でやれなかった小学校の運動会をやったのよ。いろいろな人たちが友情出演してくれて、涙が出てしまったよ」と教えてくれました。
 浦里小学校を存続するのかどうかが大きな問題になってきているようです。父兄たちも動き出しているようでした。「小さな小学校だっていいじゃない」「地域に根ざした小学校がいいよね」など、これからがガンバリ時になりそうです。
 3年生と5年生の甥の子は元気で私といっしょに、まごせから大法寺三重塔まで行き、天神山を散策しました。

 帰り間際に従兄弟を訪ね、浦里小学校140周年記念集会の写真の礼を言いました。従兄弟も「140周年という看板があったので写したんだけど、本当に貴重な最後の写真になっちゃったね」と残念だと言っていました。

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