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2012年8月16日 (木)

終戦から67年・沖縄戦について考える  8月16日

   ETV特集   

 「沖縄戦 心の傷」

戦後67年 初の大規模調査 8月12日放送

 アジア諸国に侵略戦争を行った日本が、連合国に降伏した1945年8月15日から67年となりました。2012年度の民主党政権の防衛白書は、憲法の理念から大きく外れて危険な方向に進もうとしていて、戦前と同じ道を繰り返すのではと不安になります。
 この8月、私たちは平和について考える機会がたくさんあります。NHKテレビでは、10数本の戦争に関する特別番組を放映しました。全部を見たわけではありませんが、いろいろと考えさせられ、もっともっと学び、憲法を守り生かしていかなければと思いました。
 その中で、特別に、現在の問題として、沖縄のことが強く私の心に迫りました。
ETV特集「沖縄・心の傷」は、こんな問題があったんだと初めて認識したことでショックでした。考えてみると、過去の放送でそれらしき事が取り上げられていたようにも思うのです。
 そうしたことから、「沖縄戦・心の傷」をブログに記することにしました。

 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

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 文中で(山根)は山根基世アナウンサーのことです。

(山根)今、沖縄県内で戦後初となる、ある調査が始まっています。
看護師や精神科医が沖縄戦を体験した高齢者を対象に戦争が精神にどのような影響をおよぼしたのか聞き取り調査をおこなっているのです。
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「戦争の事は本当に思い出したくない」
「思い出すとつらいさあ」
「私がお腹がすいていて何かほしかったらしいんですよ。それを(食料)採りに、おじいは行って、壕から出ると同時に弾に撃たれてその場で即死」
「山から出るときに腐った(足の部分)
「毒薬をくれて、死なしていく人もいるし、首絞めて、親が殺したのも、いっぱいいる」
「学生までも殺している。だから戦争ってよ、敵も味方もないよ。みんな殺しあい」
「私一人残されているから、6月23日の慰霊の日は絶対忘れない」

(山根) 終戦から67年、沖縄戦を生き残った高齢者たちがいま原因不明の不眠や、うつのような症状、体の痛みに苦しんでいます。

太平洋戦争末期にはじまった沖縄戦
鉄の暴風と呼ばれる激しい艦砲射撃と住民を巻き込んだ大規模な地上戦が3カ月にも渡って繰り広げられました。
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 生活の場が戦場となり追い詰められた人たちが家族の命を奪うという悲劇も起きました。
 沖縄県民の4人に1人、10万人近い(軍人を上回る)人が犠牲となり、生き残った住民たちも心に深い傷を負いました。

(山根)今回行われた聞き取り調査では43.9%の人が沖縄戦による強いストレス症状に苦しんでいることがわかりました。
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 戦争が終わった後も、アメリカ軍基地と隣り合わせて暮して来た沖縄の人たち。その生活は、沖縄の人たちの心を、さらに深く傷つけました。私たちは、4月から沖縄県内で始まった心の傷の調査に同行しました。
 生活場が突如戦場となった地上戦は、住民たちの心にどれだけ深い傷を残したのか。戦後の基地と隣り合わせの暮らしが心の傷にどのような影響を与えたのか。 
 戦争から67年、沖縄の心の傷をみつめます。

 心の傷の調査は沖縄県からの支援を受けながら、県内全域で行われています。
調査の中心となっているのは、沖縄県立看護大学教授(精神保健)當山冨士子さん(64歳)です。當山教授は沖縄戦のトラウマについて、20年以上研究を続けてきました。
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 調査の対象は離島をふくめた沖縄県内全域のおよそ30地区。75歳以上のお年寄りが集まる場所に保健師や看護師が訪れて聞き取りを行います。
(山根)調査は国際的に使われているPTSDの疑いを調べる質問項目にそって行われます。質問は20項目以上におよび、その回答を五段階で点数化し、沖縄戦によるPTSDの疑いが強いかどうかを計ります。
 調査が始まって3カ月時点での中間時点の報告です。
184人のうち、いまなお沖縄戦を常に思い出すという人が27.7%になることがわかりました。
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 全体の43.9%の人が沖縄戦による強いストレス症状に苦しんでいることがわかりました。
 當山教授はこうした結果は沖縄の人たちが、本土の人は経験していない地上戦を体験したことと関係があると考えています。
(當山) たとえば、妄想があるとか、戦争に絡んだ妄想があるとか、兵隊が追いかけてくるとか、昨日は、今日みたいに本当に言う。地上戦・一般住民・基地 とにかく、住民がみんな巻き込まれた。

(山根) 2011年11月、宜野湾市で開かれた医療シンポジューム。
国内の精神医療にたずさわる関係者およそ1000人が集まるなか、大きな議論を呼んだ講演がありました。
 今、沖縄の高齢者に様々な精神疾患がみられ、それが戦争と関係している可能性があるという報告でした。
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 「戦後、何十年もたって、奇妙な不眠とか、いろんなPTSDと言っていいかどうか、外傷性の精神障害が起きてるんだっていうことを見つけました」
報告を行った精神科医の蟻塚亮二さん(64歳)です。8年前から沖縄県内の心療内科で診察を行っています。
 蟻塚医師は最近になって高齢者の中に原因が分からない不眠や、うつのような症状を訴える患者が増えていることに気付きました。

(患者)「初めておうかがいした時は、『何とか事故死することはできないだろうか』って、そのことだけが一生懸命で」
(蟻塚)つらかった時の思いをギュ―っと自分で抱え過ぎた。そこで自分を責める力も強かったんだろうと思うね。

  内原つる子さん(81歳)
蟻塚医師の患者の一人、内原つる子さん(81歳)は原因不明の足の痛みに悩まされています。
足の痛みと共に思い起こされるのが、沖縄戦当時のつらい記憶です。
(内原)私は戦争中に、亡くなった人を踏んづけた、踏んづけたことがあるんですよ。ベターっと足にくっつく、あの、なんというか、あの感覚というのかな、あれは忘れられなくてね。

 前川守幸さん(79歳)
前川さんは今、原因不明の不眠に悩まされています。
戦時中13才だった前川さんは、母と妹がアメリカ軍の砲弾に撃たれ、目の前で死んでいくのを目撃しました。5年ほど前から、その時の記憶を頻繁に思い出すようになり、眠れなくなったと言います。
(前川)昨日も12時過ぎてから寝た。床には8時についたけど、11時になったら睡眠剤を飲む。つらいですよ不眠は」

(山根)大規模な地上戦は住民たちにどのような影響を与えたのでしょうか。
沖縄戦で最も激しい戦闘の一つが行われた伊江島。ここに重いPTSDと思われる症状に苦しんでいる人がいました。
  平安山ヒロ子さん(76歳)
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 9歳の時、この伊江島で地上戦を体験したヒロ子さん。10年ほど前から地上戦の記憶がよみがえり、不眠や抑うつ症状に悩まされています。
「この薬を頂くまでが大変だった。この時は食事もできなくて、夜も寝られなくて、歩くのも大変でトイレに行くのもはって歩いていた」
いったんは薬で回復したものの、最近になって体調を崩しがちになり、家事の合間に寝込むことも多くなりました。
 6月9日、ヒロ子さんを當山教授が訪問。心の傷の調査が行われました。
當山教授は家から出ることが難しいお年寄りを個別に訪問し、聞き取りを行っています。
(當山) 戦争をどの時に思い出すか。
(平安山)ジェット機。米軍のジェット機なんか飛びますよね。雷がずっと怖い。爆弾の音そっくりなんです。
(當山)きつくない?大丈夫?と声をかける
(平安山)雷というのはね本当に嫌です。
(當山)地上戦でどのような体験をしたのか尋ねました。
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(平安山)1945年4月16日、防空壕に朝早くからパンパンと大砲が、爆弾とか機銃の音が。
(1945年4月16日、アメリカ軍が伊江島に上陸。東洋一といわれる広大な飛行場があった伊江島に上陸を始め、日本側が激しく抵抗。周囲わずか22キロの島で一般住民を巻き込んだ激しい戦闘が行われました。6日間に渡る戦いで島の住民の半分以上、およそ1500人が犠牲となりました)
平安山さんも幼い4歳の妹とともに防空後の中で身を潜めていたといいます。
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(平安山)もうボンボンボンボン激しいんですよ。もういつ自分たちの上に落ちるかと思うくらいだった。5㍍ぐらい先に防空壕があったんですけど、そこに入ろうかと私は妹をおぶって走りだした。(その時の事でした)2~3㍍ぐらい行ったらもう機銃がパチパチパチとなるんですよ。そしたら、後ろに落ちた、妹が、そしたら、その弾一発で妹をぶち抜いて、私までぶち抜かれて、この一発で妹はもうそれで動きもしない。私も弾当たって、仕方なくもう私も生きたい気持ちがあるし、怖い所から早く逃げたい気持ちもあるし、妹は引っ張ってもどうしても動けないものですから、そのまま私は前の人たちについて、妹を放ったからして逃げたんですよ。この話をすると次から次についてくる。(しばらく絶句)(平安山さんは背中の銃弾が貫通した跡を見せる)
戦後67年の慰霊の日。沖縄戦で犠牲となった241,167人の名が刻まれた平和の礎です。毎年多くの沖縄県民が刻まれた名前に触れながら家族をしのびます。
 妹を捨てて逃げたという記憶に今も苦しんでいる平安山ヒロ子さんです。
妹の名前が刻まれた平和の礎には10年以上足を運べていません。思い出したくない記憶。しかし、忘れたくない記憶に、この日、向き合います。
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 毎年、この慰霊の日にヒロ子さんが手を合わせるものがあります。
かつて、平和の礎に行った時に、鉛筆でスカシを写した妹と父親の名前です。
(平安山)これはもう、何にも代え難い。一生これを眺めて、いつもいっしょに、自分の気持ちでは、妹が生きている感じで見ているんです。いっしょにいるという感じ。
(山根) ヒロ子さんが親類の家に向かう際にいつも通る坂道の奥に妹を見捨てた場所があります。
(平安山)この境目が石垣で、パンパンパンという機銃でたまたま当たって。いつもこの辺を通る時は、見たいけど見たくないと思ったり。見たらまた、自分がちょっとまた思い続けるなぁと思って。見たいけど見たくないという、この気持ちは、ちょっと説明できない。
 どうしても忘れることは、これはもう私の一生の、一生この傷を背負って、妹と父に会いに行く。60年、70年たっても、何を忘れても忘れられない一生の苦しみというか・・・
(山根)ヒロ子さんはこれからも、この妹を見捨てた島で残された人生を過ごしていきます。

 終戦から半世紀を経て、つらい記憶がよみがえったとういう人がいます。
   長浜キクさん(82歳)
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 キクさんのつらい記憶が刻まれたのは15歳の時、終戦直後のことでした。
アメリカ軍の基地が次々に建設され、生まれ育った村を追われた頃のことです。
 食料が乏しい中、山でイモ掘りをしていたキクさんは、ある日、衝撃的な体験をします。
(長浜)イモを堀にいって、イモ採って中休みしている時にアメリカ兵が来たものですから、みなでビックリして逃げたんです。
(山根)逃げる途中、キクさんは大切なイモを落としてしまいます。急いでイモを拾い上げようとしたその時、キクさんの眼に恐ろしい光景が飛び込んできました。
(長浜) 女性が倒されてね、米軍の靴で、両方の靴で、女性の足首を軍靴で踏んでいるのを見た。そして一人は、強姦している。そして立っている米兵が拳銃を上に向けてパチパチと打っている。怖かったですよ。ただ怖さですよ。怖くて早くこのイモを持って、どうしたらそこから抜けられるかと思って。
(山根)キクさんは戦後しばらくして、ふるさとの村に戻りました。村は面積の8割以上がアメリカ軍基地となりましたが、キクさんは女手一つで三人の
娘を育てあげました。
 ところが、終戦から50年が経った1995年、沖縄を揺るがした事件がキクさんの心の傷口を開いたのです。
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 1995年9月4日、アメリカ海兵隊員2名と海軍軍人1名の3名が12歳の女子小学生を拉致した上、集団で暴行したのです。さらに、日米地位協定により犯人の身柄がアメリカ側からすぐに日本側に引き渡されなかったことが大きな社会問題となりました。
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 沖縄県民は10月21日に8万5千人の大集会を開き抗議しました。
女子高校生が訴えました。「私たちに静かな沖縄を返して下さい。軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返して下さい」
(長浜) あの少女暴行事件の時に、子どもの時の暴行事件を思い出したんです。ニュースがあった時に、あの時の事を思い出したんです。しょっちゅう頭にはないですよ。何か、そういう事件がある時は思い出しますね。やっぱり。あれがあったなって。
(山根)戦争直後の占領下で受けた暴行事件による心の傷。キクさんは半世紀を経て、同じことが繰り返されたことで、再び深く傷つけられたのです。

 (山根)戦後繰り返されたアメリカ軍の戦闘機による事故が大きなトラウマになった人もいます。
   新垣ハルさん(82歳)  読谷村
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(新垣)息子がジェット機の墜落事故でケガをしたのでその事を書いた。
(取材の)あんたがたを見たら「自分の息子も成長していたはずだね」と思うと話したくない。今頃息子がいたら、自分の人生は変わっていたかなと思ってよ。とてもつらい。今でも戦争よりもつらい。  ごめんなさい。
(山根)一日に何度も頭上を飛び交う戦闘機。ハルさんはその戦闘機の姿を見るたびに、つらい記憶がよみがえり、眠れなくなるといいます。戦争中、戦闘機におわれ半年以上もの間、防空壕で過ごしたというハルさん。占領下の暮らしの中で結婚。一人息子をもうけました。息子の晃くんです。ハルさんにとって戦争の記憶を忘れさせてくれる大切な存在でした。
(新垣)かわいかったよ
(山根)夫と別れてからも女手一つで一人息子を育てていたハルさん。しかし、晃くんが7才になった時、二人の生活を一変させる出来事が起きました。
 1959年6月30日 米軍ジェット機が宮森小学校に墜落事故
(うるま市=旧石川市、宮森小学校に)
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 小学生11人をふくむ17人が死亡。重軽症者は210人に。
わが子を探しに学校に向かったハルさんが見たのは、一面焼け野原となった惨状でした。
(新垣)学校がどこにあるかもわからないさ。子どもたちの校舎も、子どもたちが勉強していた校舎はないさ。晃もどこにいるか全然わからなかった。「けが人もいますか?死亡者もいますか?と尋ねたが、「今わからない」ということだった。
(山根)息子も病院に運ばれているかもしれない。病院にかけつけたハルさんは晃くんの変わり果てた姿を目にします。
(新垣)頭から全部、腕はみなケロイド、ブツブツで、顔は爆風でただ赤くなっているだけだった。それを思い出せばよ、大変だ。晃は「かあちゃん」とも言えなかった。「かあちゃんだよ」と言っても全然目も開けないさ。
(山根)晃くんは体の半分に大やけどを負ったものの、皮膚移植を受けて、奇跡的に一命を取り戻しました。その後、体は回復。高校時代には、陸上の選手として活躍し地元の国立大学にも進学しました。ところが大学3年生のころから徐々に体調をくずし始めていきました。事故の際に移植した皮膚の発汗機能に異常があったため、腎臓に障害が出たのです。
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 墜落事故から15年後の1974年、晃くんはハルさんを残してこの世を去りました。
(新垣)今、生きていたら子どももいるし孫もいるさ。どういう風に変わっていたかなと思う。お家も作っていたはずだけどね。自分の人生も変わっていたはずだけどねと思う。時々は言う、晃に向かって。
(山根)ハルさんのトラウマを思い出す頻度を示したグラフです。墜落事故と息子の死はハルさんの心に大きな傷を残しました。その後、つらい記憶から逃れようとハルさんはつとめて、そこから目をそらし続けてきました。
 しかし2004年に起きた出来事がハルさんの心の傷を再び切り裂いたのです。
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  2004年8月13日 沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落
 普天間基地所属の大型ヘリコプターが基地に隣接する、沖縄国際大学の敷地内に墜落したのです。
(新垣)晃一人でいいから、ジェット機墜落も、これ一人でいいから、どこにも落とさないようにねということはいつも願っていたよ。しかし、大学に落ちたさ。これが一番悔しかった。
 ジェット機の音聞きたくない。

 「オスプレイ配備に反対」
 沖縄国際大学ヘリ墜落8年で集会

2004年に発生した沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故から8月13日で8年を迎えた。同大の墜落事故現場では同日午後2時から「普天間基地から沖縄を考える集い」が行われた。大城保同大学長は「普天間基地を使用する航空機の即時飛行中止とともに、普天間基地の一日も早い閉鎖・返還を日米両政府をはじめ関係諸機関に要求」し「オスプレイの配備に強く反対する」との声明文を読み上げた。
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 また、同大在校生が、同事故の記憶やその背景にある基地問題についての意見を発表。学生は「本来、私たちが住んでいる地域で安全、安心に暮らす権利を有している」と訴え「大切なのは、個々人の声としてではなく、沖縄県民全体の声として私たちの権利を主張していくことだ」と述べた。
 大城学長は「墜落事故を学生が考え、それを聞いた地域のみなさんが考え、さらに沖縄県民が考え、国民が考える。小さな広がりかもしれないが、波を起こすことが非常に大切」と話しています。

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コメント

>「存立事態」明記の法改正検討 集団的自衛権行使向け:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASH195TZ4H19UTFK00J.html

>安保関連法案、「イスラム国」に適用困難との認識 首相:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASH225HT2H22UTFK00G.html

白虹日ヲ貫ケリ~♪(プゲラ)(#`▽´)y-゚゚゚ ウケケケケケ
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
お~い! アベちゃ~ん♪ ( ̄▽ ̄)ノシ

日本国にとって大事なのは、天皇家の血筋なんかぢゃないぞお~♪ (*´m`)=3

日本国にとって大事なのは、国民の保護だぞお~♪ ( ̄▽ ̄)b

国体の護持(プゲラ)なんかの訳が無いぢゃん♪ ┐('~`;)┌

あっ! そ~だ♪ ヽ(´ー`)ノAHA
天皇制が無くなったら、国体護持も必要無くなるんぢゃないかニャ?(ニッコリ)m(ΦωΦ)/ > 安倍晋三ちゃん♪

m9(゚∀゚)Идиот!> номенклату́ра
נומנקלטורה עמלק
Ceterum autem censeo, Nomenklaturam esse delendam.

投稿: 国体護持の為の捨石となる事勿れ | 2015年4月14日 (火) 22時08分

pdf版(*^ヮ゚)σ(http://www.age2.tv/rd05/src/up8840.zip.html)
白虹日を貫く
^^^^^^^^^^^^
沖縄の皆様
二度と再び国体護持のための捨石にされない為に、
以下の二枚のカードを利用されてはいかがでしょうか?
□基地カード
□独立カード

□基地カード
憲法改正により、日本国憲法から天皇に関する条文を全て削除する。
これを、普天間基地の辺野古への移設受け入れの条件にする。
ということが考えられます。

□独立カード
国体護持の為の捨石にされるくらいなら、
むしろ日本国から独立する。

独立を実現するにあたって、参考となるのがスコットランドです。
マッサンで知名度が上がったスコットランドは、昨年2014年、独立の賛否を問う住民投票を行いました。
沖縄も、住民投票により、日本国からの独立を図られてはいかがでしょうか?

ただし、独立の際に、以下の条件を残留の為の条件にする案も考えられます。
憲法改正により、日本国憲法から天皇に関する条文を全て削除する。

国体護持のために沖縄の皆様が犠牲になった
沖縄戦の悲劇を繰り返さない為に、
天皇制を廃止しましょう

そして、沖縄の皆様
天皇制を廃止するために
一緒に戦いましょう

m9(゚∀゚)Идиот!> номенклату́ра
נומנקלטורה עמלק
Ceterum autem censeo, Nomenklaturam esse delendam.

投稿: 春九千(chunjiuqien@infoseek.jp) | 2015年5月14日 (木) 15時40分

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