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2011年8月 9日 (火)

雨の中 原爆投下から66年の長崎  8月9日

2011年
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典


 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

 長崎ではこの1年で新たに亡くなった被爆者は3,288人で、原爆死没者名簿に記載された方は155,546人となりました。
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2011年、長崎「平和宣言」、「平和への訴え」の全文を紹介します。


長崎平和宣言

動画もご覧いただけます。下部をクリックしてください。
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今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。
 「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。
Img_0230  自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。
  たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。

 福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。
 世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。
 核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないでしょうか。1か所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずです。
  世界の皆さん、考えてみてください。私たちが暮らす都市の上空でヒロシマ・ナガサキの数百倍も強大になった核兵器が炸裂する恐ろしさを。
 人もモノも溶かしてしまうほどの強烈な熱線。建物をも吹き飛ばし押しつぶす凄まじい爆風。廃墟には数え切れないほどの黒焦げの死体が散乱するでしょう。生死のさかいでさまよう人々。傷を負った人々。生存者がいたとしても、強い放射能のために助けに行くこともできません。放射性物質は風に乗り、遠くへ運ばれ、地球は広く汚染されます。そして数十年にもわたり後障害に苦しむ人々を生むことになります。
 そんな苦しみを未来の人たちに経験させることは絶対にできません。核兵器はいらない。核兵器を人類が保有する理由はなにもありません。

 一昨年4月、アメリカのオバマ大統領は、チェコのプラハにおいて「核兵器のない世界」を目指すという演説をおこない、最強の核保有国が示した明確な目標に世界の期待は高まりました。アメリカとロシアの核兵器削減の条約成立など一定の成果はありましたが、その後大きな進展は見られず、新たな模擬核実験を実施するなど逆行する動きさえ見られます。
 オバマ大統領、被爆地を、そして世界の人々を失望させることなく、「核兵器のない世界」の実現に向けたリーダーシップを発揮してください。
  アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国など核保有国をはじめとする国際社会は、今こそ核兵器の全廃を目指す「核兵器禁止条約(NWC)」の締結に向けた努力を始める時です。日本政府には被爆国の政府として、こうした動きを強く推進していくことを求めます。
 日本政府に憲法の不戦と平和の理念に基づく行動をとるよう繰り返し訴えます。「非核三原則」の法制化と、日本と韓国、北朝鮮を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の創設に取り組んでください。また、高齢化する被爆者の実態に即した援護の充実をはかってください。  
 長崎市は今年、国連や日本政府、広島市と連携して、ジュネーブの国連欧州本部に被爆の惨状を伝える資料を展示します。私たちは原子爆弾の破壊の凄まじさ、むごさを世界のたくさんの人々に知ってほしいと願っています。
  「核兵器のない世界」を求める皆さん、あなたの街でも長崎市と協力して小さな原爆展を開催してください。世界の街角で被爆の写真パネルを展示してください。被爆地とともに手を取り合い、人間が人間らしく生きるために平和の輪をつなげていきましょう。  

 1945年8月9日午前11時2分、原子爆弾により長崎の街は壊滅しました。その廃墟から、私たちは平和都市として復興を遂げました。福島の皆さん、希望を失わないでください。東日本の被災地の皆さん、世界が皆さんを応援しています。一日も早い被災地の復興と原発事故の収束を心から願っています。
  原子爆弾により犠牲になられた方々と、東日本大震災により亡くなられた方々に哀悼の意を表し、今後とも広島市と協力し、世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けていくことをここに宣言します。  

                                2011年(平成23年)8月9日
                                長崎市長 田上 富久

平和への訴え

  原爆投下から、66年の歳月が流れました。被爆地長崎市内を見ても原爆の痕跡が少なくなりました。しかし、原爆の犠牲となった私の親族、友人、知人達(たち)の無念さを心にとめ、人々の記憶から消えてよいのかと思い、私の被爆体験が、彼らの生きていた証(あかし)となることを望みます。

Img_0241    昭和20年8月9日、私は17歳でした。当時は、爆心地から1200メートルほど離れた長崎兵器大橋工場に通っていました。その日の朝、いつものように母に「行って来る」といって家を出ると、「今夜は帰るのか」と大きな声がしました。振り返ると、母が笑顔で道に立っていました。その夜は、防空当番で泊まる日でしたので、「今夜は帰らん」と返事をすると、みるみる母が寂しそうな表情に変わったのです。これが母との最後の別れとなりました。この時の母の姿、声が、今でも瞼(まぶた)と耳に残り、決して消えることはありません。

  工場に着き、昼近く、隣の人達と雑談をしていた時でした。突然、ピカッと閃光(せんこう)が走り、そして背後から「ウワッ」と、とてつもなく大きな音がしたのです。すぐに振り返ると、窓の外は真っ赤な火の海でした。数秒後に強烈な爆風に襲われ、息もできないほど地面に叩(たた)きつけられました。幸いにも怪我(けが)はしませんでしたが、障害物があまりにも多く、必死の思いで外にでました。すると、工場の屋根は吹き飛び、見渡す限り建物はすべてなぎ倒されていました。「これはどうしたことか」と、意味が分からず唖然(あぜん)としていました。私が真っ先に心配したのは母のことでした。ふと、母が、「畑に行く」と言ったのを思い出し、必死で畑へ走りました。しかし、そこに母はいませんでした。次に自宅を目指し、何とか辿(たど)り着くと、その手前で弟が倒れているのを見つけたのです。よく見ると頭に5センチほどの穴が開いていて、死亡していました。他の家族も心配で隣組の防空壕(ごう)に探しにいくと、その中に姉を見つけました。しかし、名前を呼ぼうと肩に手をかけると姉は冷たくなって死亡していました。「弟に続いて、姉まで死んでしまったのか」と、初めて、悲しみがこみあげてきました。引き続き母を捜し、途中、大怪我をした女子挺身(ていしん)隊の人を隣町まで運んだりしましたが、やはり母を見つけることはできませんでした。後日、木材を集めて姉と弟の火葬を見守りながら涙の内に済ませて生前の思い出を胸にえがきながら、二人の白い遺骨を拾い集めました。結局、原爆で私の家族五人が亡くなりました。母ともう1人の弟や甥(おい)は遺体さえ見つかりませんでした。

  戦争中とはいえ、核兵器の原爆を使用し、無残な悲劇が長崎を襲いました。無防備の、幾万の市民の尊い命を無差別に奪い去り、人道的に赦(ゆる)される行為ではありません。この悲劇が二度と繰り返すことのないよう、世界の国々の指導者に、被爆者代表として重ねて訴えます。又(また)、今もなお、後障害に苦しむ、被爆者の救済を要望致します。

  現在、世界の国々では、民族間の対立や、他国による侵略等で、紛争が止(や)むことなく続いております。どこの国の人々も、平和の実現を望んでおります。ことしは福島原発の事故がおき、多くの人が放射能の恐怖にさらされています。私の残りの人生を核兵器と戦争のない世界の実現、また、放射能に脅かされない平和な世界の実現に尽くすことを約束して、私の「平和への誓い」といたします。

                平成23年8月9日
                被爆者代表 松尾久夫

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