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2011年8月 6日 (土)

被爆広島66年の日がやってきました  8月6日

核兵器廃絶と被爆者援護・連帯運動の更なる前進を

 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

 アメリカが広島と長崎へ原爆を投下してから66年を迎えます。
広島への原爆投下に参加した元将校が、今年、広島を訪れ、「核兵器を二度と使ってはならない」と記帳したことを知りました。ずうっと暗い気持ちで生きてきたようですが、勇気ある行動に感銘しました。広島、長崎で20万人以上の人を一瞬のうちに殺戮したことは許されない事ですから・・・
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 被爆者は今なお放射能の被害に苦しんでいます。
東京電力福島原発事故が、放射能がいかに恐ろしいものであるかを再認識させました。止まることがないように広がる被害に不安が高まっています。
 こうした時に、核兵器廃絶の運動とともに、被爆者援護と連帯することは益々重要になっているのではないでしょうか。

「アオギリの語り部」
沼田鈴子(87歳)さん亡くなる


 広島の平和公園内に原爆を生き残った「アオギリ」が元気に生育しています。私も訪ねましたがその生命力に感嘆しました。
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沼田鈴子 (ぬまた・すずこ)
 1923年大阪市生まれ。5歳のときに家族で広島市に転居する。爆心地から約1・3キロの旧広島逓信局で被爆、がれきの下敷きになり左太ももから下を切断する。証言活動を始めると、原爆に焼かれながら芽吹いた広島平和記念公園の被爆アオギリを分身に見立て、一時は年間180校の修学旅行生に被爆体験を語った。「アオギリの語り部」と呼ばれた。民間の平和大使として21カ国を訪れている。7月12日に亡くなられました。

【今年は被爆66年ですが、今は本当に平和とは言えません。「原発がいつか爆発するのでは……」と私はずっと心配してきました。においも形もないが、残留放射能がどんなにおそろしいものかしっかり知ってほしいと思います! 核兵器廃絶は口先だけの軽い運動ではありません。命にかかわること、いついかなるときに起こるかわからないことを自覚してほしいと思います。被爆国である日本だからこそ、「核施設のような原発はいらない!」と声をあげていくべきではないでしょうか】(要旨)
 ― 「被爆66周年 8・6ヒロシマのつどい」の呼びかけ人の一人として、パンフレットに寄せた一文から ―


◆ 核兵器は二度と使ってはならない ◆
元アメリカ空軍少尉 ラッセル・ガッケンバック(88歳)さん

この8月に広島を訪問し、原爆資料館の学芸担当の和田香穂里さんと懇談し、その模様が8月5日のNHKで紹介されました。  その内容から

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(ラッセルさんが撮影した写真が公開された)
 1945年8月6日、アメリカ空軍の「特別ミッション13」が実行されました。
広島に人類初めての核爆弾が投下されたのです。
8月6日、広島に米軍機4機が飛来し特別ミッションを実行しました。
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 当時、少尉であったラッセル・ガッケンバックさんはセネサリー・イーグル号の航空士でした。セネサリー・イーグル号の任務は攻撃観察と写真撮影でした。
 ラッセルさんは原爆投下から1分後、9000㍍から自分の所有カメラで写真を撮っていました。その写真が今回、公開されました。

ラッセルさんは当時を振り返ります

「投下後、灰色の雲が猛烈な速さで巨大化したのです。悲しくなります。機内では地上の様子はわかりませんでした。後になってみなければ、何があったのかわからないのです」
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「任務を終えて帰還する時には楽しい会話が絶えないものです。しかし、この時は皆ほとんど押し黙っていました。自分たちが見た恐ろしい光景に言葉を失ったのです」

そして、ラッセルさんは「核兵器は二度と使ってはならない」と記帳しました。
「核兵器を使ってはならないと、言うためにここに来たのだと思います」

ラッセルさんと和田さんは固く握手をかわしました。
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和田香穂里さん
「祖父は特殊爆弾が投下されたと聞いて、みんなを助けようと街の中心部に入りました。そこで被ばくして病気になり、入退院を繰り返したあと10年後に亡くなりました」

「実際に原爆投下に携わった方の口から、原爆の使用は二度とあってはならないと聞くことができたのが印象的でした」

ラッセル・ガンケンバックさん原爆ドームへ
「これを見ていると胸に迫るものがあります。いま世界で起きていることについて考えざるをえません。戦争は恐ろしいものです」
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 私は、アメリカにも広島、長崎に原爆を投下したことは誤りであったことを表明する人たちが増え核廃絶の運動が熱心に取り組まれていることを知っています。以前にも原爆投下機に乗務した元兵士が「誤りだった」と表明したことも知っています。それでも、なお、「戦争を早く終わらせるために、兵士の被害を少なくするためにやむをえなかったこと」という意見が広く存在しているようです。
 そういう中でのラッセルさんの行為に胸打たれました。アメリカノの良心を感じ、ジョー・オダネルさんのことがダブって思い出されました。

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