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2011年6月23日 (木)

沖縄慰霊の日、辺野古の基地建設許さない 6月23日

 2プラス2合意は
平和を願う日本国民の願いを無視しており

到底承服できない

 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

 6月23日は太平塔戦争の末期の沖縄戦で日本軍の組織的抵抗が終わった日です。
「平和の礎」には国籍を超えて241,132人の名が刻まれています。
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「平和の礎」の亡き人の名前を手でなする姿を見ていると涙が出て止まりません。そんな苦しみを与え続けている、日本の歴代の政府とアメリカ政府に怒りが湧きます。「2プラス2」の共同文章の内容はひどいものです。


オール沖縄が抗議
      稲嶺進・名護市長

実現性からいうと全く可能性がないものを改めて確認することに、どんな意味があるのか。沖縄県民を無視してアメリカとの交渉に臨んでいるとしか思えない。
Photo我が国の政府とは思えない。
 オール沖縄で「県内はだめ」という状況のなかで、(政府は沖縄に)説明し理解を求めるというが不可能に近いとしかいえない。何度もきた(というだけ)では県民は納得しない。
 これは名護市だけの話ではなく、オール沖縄で、国にたいして、知事を先頭に抗議にいくべきだと思います。(普天間固定化について)脅しとしか思えない。普天間返還は負担軽減と世界一危険な飛行場の危険の除去が原点です。(政府は)原点にもどってアメリカと調整すべきであって、辺野古がダメなら居座るというごとは許されない。

市民危険にさらす
         安里猛・宜野湾市長

 そもそも辺野古に基地を造ることは、現地の名護市の皆さんが反対し、埋め立ての許認可権をもつ仲井真弘多知事が反対していることから不可能です。県民の声に耳を傾けないまま、アメリカの方を向いて交渉しPhoto_2、できないことをできるかのように確認したのは大きな誤りだと思います。
 北沢大臣が「民主主義のコストだ」と発言した そうですが、騒音防止協定の順守などに何一つ改善に向け動いてきませんでした。それを沖縄県民に向けて「コストだ」と言うのは、責任逃れの詑弁(きべん)でしかありません。
 辺野古に新基地をつくる、普天間にオスプレイ配備してさらに市民を危険にさらす―日本政府のやることか、と思っている。


2プラス2 民主政治蝕む歴史的汚点      

琉球新報社説    2011622
      

 日米両政府は21日、ワシントンで外務、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)を4年ぶりに開き、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画の推進を確認し、代替施設を海面の埋め立て工法により滑走路2本のV字形にすることを決めた。普天間の県外、国外移設を求める沖縄の圧倒的な民意を意図的に無視しており、到底、承服できない。

Img_6537  普天間移設をめぐってはこの間、沖縄の政治状況や米議会の現状認識も大きく変化した。にもかかわらず、合意内容は4年前にタイムスリップしたかのようだ。民主党政権になって初開催だが、政権交代がもたらしたものは、露骨なまでの沖縄の頭越し決定であり、民主主義とは程遠い国家権力の暴走である。

 日米両政府が合意した現行計画については、レビン米上院軍事委員長が「幻想だ」と喝破し、7月に就任するパネッタ次期米国防長官は再検討し、計画通りに進めるか就任後に判断する考えを示している。そもそも知事や地元の名護市長が反対する移設計画だ。実現の見通しも立たない中、工法や形状など細部を詰めること自体、無駄、無気力、無責任の極みだ。

 2プラス2では、災害救援拠点を日本国内に設置することの重要性でも一致した。具体的な場所こそ明記されていないが、北沢俊美防衛相の一連の発言から、宮古島市の下地島を想定していることは容易に想像できる。

 北沢氏は災害拠点について、無人機やロボットの訓練基地を整備する意向を示した上で「継続的な運用は自衛隊のような組織でなければ維持できない」との認識も示している。国際支援の美名を掲げてはいるが、実質的な自衛隊配備だ。本質を糊塗(こImg_6677と)し民間使用に限定されている下地島空港の軍事利用に道を開く施策は、言語道断だ。

 災害拠点については県民や国民への説明は一切なく、国会審議もなされていない。どこに設置するにしても海上保安庁や消防などを網羅した非軍事的な国際貢献で、基本構想を示すのが先だ。自衛隊ありきは国際社会を欺き無用のあつれきを生むだけだ。

 共同文書は「より深化し拡大する日米同盟に向けて」との副題が付くが、絵空事のように空虚に響く。沖縄の基地負担軽減に逆行する合意は同盟関係の劣化にとどまらず、民主政治を蝕(むしば)む汚点として歴史に刻まれることだろう。



沖縄県主催の「沖縄全戦没者追悼式」で、浦添市仲西中学2年の嘉味田朝香さん(13)が朗読した詩「幸せの一枚」の全文は以下の通りです。
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(沖縄の6月23日)
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(家族で祈ります)
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(平和祈念公園メイン通り)

 クリックして動画をどうぞ<iframe width="560" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/xEsc5qvnGYo" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

幸せの一枚

私の祖母が持つ一枚の写真
何年も経つけれど
忘れられない笑顔
忘れられない言葉
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小学生の頃
先生がだした宿題
家族から戦争の話を聞いてくること
急いででかけた
祖母の家

祖母は何も言わず
棚の奥から
一枚の写真を
取り出した

古びた写真に写る
子どもたち
満面の笑顔の男の子
勝気そうな女の子
おとなしそうにはにかむ笑顔
豪快に口をあけた笑顔
たくさんの笑顔
一人一人の目は
未来を見つめ
キラキラ輝いている

「この人だぁれ?」
真ん中に写る女性を指さし
祖母に尋ねる
祖母は寂しそうに笑い
「わたし」
一言だけ答えた

一人一人の顔を
愛おしそうに
懐かしそうに
指でなぞるように
眺めながら
時が止まる

「この子たちは?」
ふたたび祖母に尋ねる私
「おばあちゃんの生徒たち」
「大切な大切な生徒達」
「みんなどうなったの?」

祖母は答えなかった
ずっと黙ったままだった

幼い私にも
祖母の深い悲しみが
深い苦しみが
痛いほど伝わった

長い沈黙のあと
祖母は
「どうして戦争なんかするのかねー
戦争さえなかったら
みんな幸せだったのに…」

私はもう一度写真を見た
みんな笑っている
幸せそうに笑っている
愛する家族がいたはずだ
たくさんの夢があったはずだ
大人になるその日を夢みていたはずだ
その笑顔を 幸せを
奪った戦争を
私は許さない
絶対に許せない

祖母は多くを語らない
私はあれ以来
あの写真を見てはいない

祖母の家に眠る一枚の写真
それにこめられた祖母の思い
もう何年も経つけれど
忘れない
私はずっと忘れない

私たちが忘れない限り
平和は続くだろう
だからこそ
忘れてはいけない
この地には
たくさんの笑顔が
たくさんの夢が
眠っていることを

 

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