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2011年4月23日 (土)

菅野武さんと田中好子さんの事   4月23日

「東日本大震災、力を合わせ乗り越えよう」
                          2011年3月17日記事


「白い光  黒い雨  ヒロシマナガサキの映画から」
                 2009年8月4日記事


写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

 二つのブログ記事へ、ここ数日驚くほどアクセスが続いています。
22日には1,064人もの訪問者があり、私がブログを始めてから初めての事で「なぜだろう」と驚いてしまいました。

  福島原発事故で「黒い雨」に関心 ?

 2009年8月4日の記事へのアクセスが約47%で、広島、長崎に投下された原爆と福島の原発事故は少し性格が違うので、あの記事で誤解を招くようなことがあってはと考えましたが、あの記事におかしい点はありません。
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 そして気付いたのが女優の田中好子さんが4月21日に亡くなった事と関係があるようなのです。
 私の認識の中で田中好子さんといえば、キャンディーズよりもNHKの連続ドラマ「ちゅらさん」の母親役が印象深く残っていて、残念な気持ちでいっぱいで哀悼の気持ちをお伝えします。

  田中好子さんが 「黒い雨(映画)」で主演

 1989年に今村昌平監督の「黒い雨」(映画)で高丸矢須子役で主演されていたことを知りました。(いままでは知りませんでした)
 井伏鱒二の小説を映画化したもので、広島への原爆投下によって人生を変えられてしまった人たちを描き、二次被曝の恐ろしさも明瞭に描いている映画だそうです。(私は見たことがない映画)
 1990年日本アカデミー賞として「黒い雨」が最優秀作品賞に選ばれ、田中好子さんは最優秀主演女優賞に輝きました。そういう映画だったのです。

 私が2009年8月4日に書いた記事「白い光 黒い雨 ヒロシマナガサキ」は日系二世のアメリカ人のスティーブン・オカザキ監督が作成したドキュメント映画です。
 この映画では被爆者と核開発者や原爆投下者など14人が証言していて、私は改めて広島、長崎への原爆投下の誤りと、今も苦しめられている人たちがいることに深い憤りと悲しみを持ちました。

 二つの映画の「黒い雨」が共通点だったのです。

黒い雨による体内被曝によって今も苦しめられている人たちがいる。
黒い雨が降った地域が不当に狭められていることが研究者たちによって明らかにされ、今まで原爆症と認定されていなかった人たちにもようやく救助の手がさしのべられるようになったのですが依然として苦しみは続いています。
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 福島原発事故でも体内被曝の恐ろしさは原爆投下と全く変わらないもので、一刻も早く英知を結集して終息させなければなりません。原子力発電は「安全」という安全神話が覆されたわけで、このまま原子力発電政策を推進することは許されません。

 私は2009年11月に長崎・広島を再訪しましたが、広島平和記念資料館で、放射線の人体への影響について改めて考えさせられました。「黒い雨」についのみ紹介させていただきます。

黒い雨

● 爆発(ばくはつ)の直後、キノコ雲が立ち上のぼり、泥(どろ)やチリなどが上空に巻(ま)き上げられました。さらに、爆発(ばくはつ)後に発生した大火災(だいかさい)によるススが、暖(あたた)められた空気とともに上空に吹(ふ)き上げられました。これらのチリやススなどは放射能(ほうしゃのう)を帯びており、空気中の水滴(すいてき)と混(ま)じり雨粒(あまつぶ)となって地上に降(ふ)りました。この雨は「黒い雨」と呼(よ)ばれました。

 原子爆弾(ばくだん)爆発(ばくはつ)直後の状況(じょうきょう)
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スケッチ図この絵は、当時の広島管区気象台の気象技師(ぎし)たちが爆発(ばくはつ)直後から30分後ころまでのようすをスケッチしたものです。
爆発(ばくはつ)後、チリやススなどが地表から巻(ま)き上げられて黒煙(こくえん)となりました。チリやススは空気中の水滴(すいてき)と混(ま)じり、黒い雨となって降ふ)りました。

 原爆(げんばく)が投下されたとき、寄贈者(きそうしゃ)の八島秋次郎さん(当時36歳(さい))は自宅(じたく)で朝食をとっていました。
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 爆風(ばくふう)で自宅(じたく)の屋根がずれ、屋根と壁(かべ)の間にすきまができ、そのすきまからドロドロとした黒い雨がふりこみ、その跡(あと)が壁(かべ)にくっきりと残りました。この黒い雨は、爆発後(ばくはつご)、市街地が大火災になるとともに、強烈(きょうれつ)な火事あらしや竜巻(たつまき)が起こり、爆発(ばくはつ)の20?30分後ころから市域(しいき)の北西部地域(ほくせいぶちいき)に降(ふ)ったものです。この雨には爆発(ばくはつ)による誘導放射能(ゆうどうほうしゃのう)を受けたすすやほこりなどの放射性降下物(ほうしゃせいこうかぶつ)が多量に含(ふく)まれていたため、遠隔地(えんかくち)にまで放射線(ほうしゃせん)の影響(えいきょう)が及(およ)びました。


「世界で最も影響力ある100人」の一人に
           選ばれた菅野武さん


 大震災が発生してから、津波の猛威に恐ろしさを感じました。そうした被災地で苦難に負けずに生き抜いている多くの人たちの姿にいつも勇気づけられています。
 少しでもそうした人たちの姿を伝えたいと3月16日からですがブログを書き続けました。
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(津波に襲われた志津川病院)
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(奥さんの出産前の堅い思い)
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(犠牲になった人々を想いながら)
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(怜(れい)くんを抱きながら)
菅野武さんについては、奥さんの出産のことから知り書きました。
 南三陸町は死者483名行方不明者649名で震災前の美しい街は一変してしまいました。
志津川病院の医師として5階建の病院で4階まで津波が押し寄せ、多くの犠牲者が出る中で最後まで職場の同僚や患者さんたちと力を合わせ救助されました。
 出産のため仙台にいた奥さんが3月16日、菅野武さんが見守る中で男の子を出産。怜と命名されました。
 その後も、現場で救援復興に取り組む菅野武さんの姿をテレビで何回か見ていました。
米誌タイムで「世界で最も影響力ある100人」の一人に福島県南相馬市長の桜井勝延さんといっしょに選ばれていることを知りました。
 菅野武さんは、4月に志津川病院を退職し東北大学大学院で学ぶことになったことを知りました。菅野武さんは大学で学びながら南三陸町には通い続けるつもりと抱負を述べています。

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