« 被爆から65年目の広島に思いをはせる   8月6日 | トップページ | 広島・長崎 原爆投下後の隠された真実  8月15日 »

2010年8月 9日 (月)

被爆65年目の長崎     8月9日

平和の原点は
人の痛みがわかる心を持つこと   
              
吉田勝二  さん


私のバトンを受け取ってください   
              
山口彊(つとむ)さん

 
写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

 8月9日長崎の日がやってきました。
長崎ではこの1年間に原爆で亡くなった人が3114人で、これまでに152,276人が亡くなられました。
Img_6699 心から哀悼の意を表します。
長崎では被爆者の平均年齢が76才になったそうです。

 今年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典は男女2人の高校生が司会を務め新鮮に思えました。
Img_6729  広島の平和式典に参加したアメリカのルース駐日大使は日程の都合で出席できないと事前に市長に連絡があったそうです。イスラエルをふくめ32ヶ国の代表が参加しました。

菅首相広島に続き長崎でも「現時点では核抑止力が必要」と発言。
 これでは、核兵器使用を認めていることになり、核廃絶に真剣に取り組めない。
被爆者や国民の願いに背くもので到底許せません。抑止力論を改めよ。

   生涯を核廃絶の活動に尽くされた
        
方々が亡くなられています

 
吉田勝二さんが78歳で4月1日、山口彊さんが93歳で1月4日に亡くなられたことを、平和祈念式典の放送の中で知りました。故人の遺志を受け継がなければと思っています。

   吉田勝二さん

 映画「白い光、黒い雨、あの夏の記憶 ヒロシマ・ナガサキ」で証人として被爆によって多くの差別とたたかいながら、母親にささえられて成長してきた証言が強く印象に残っていました。
Uvs100809017_2

Uvs100809010   その吉田勝二さんが24歳の時、1956年第2回原水爆禁止世界大会で発言されていたことを初めて知りました。そして、1987年から語り部として学校をはじめ、広く自らの体験を語りながら核廃絶を訴え続けてこられました。
Photo  吉田勝二さんは、いつも話の最後を「平和の原点は人の痛みがわかる心を持つこと」で結んでいたことも知りました。

   山口彊(つとむ)さん

 私は山口彊さんのことはあまり知りませんでした。
8月6日は出張で広島で被爆し、9日には長崎に帰って被爆という二重被爆者です。
Uvs100809021
 (アメリカで高校生に被爆体験を話す山口さん)
山口彊さんは2005年59才の息子さんをガンで亡くしてからドキュメンタリー映画にも出演し、その映画を持ってアメリカにも渡り若い人たちに原爆の恐ろしさと被爆者の実際を語り続けてこられました。
 娘さんの山崎年子(62才)がいつもお父さんの活動を支えられてきたそうです。
山口彊さんは「私のバトンを受け取ってください」と訴え続けていました。
山口彊さんが亡くなって娘の山崎さんは、父の書類などを処分してすっきりしようなどとも考えたりしていたそうです。
 Uvs100809026
   (高校生と山崎年子さん)
そうした時に山口さんの話を聞いていた高校生たちが「山口彊さんを偲ぶ会」を開いてくれました。高校生が「自分のできることをやっていきます」と決意を語ったそうです。
バトンは受け取られていたのです。
 山崎年子さんは「逃げかかっている私をもうすごく恥じたんです。この被爆2世の私が」
「はずかしいなと思いましたよ」と振り返っています。
 今は父親の被爆体験を語り続けています。


    長崎平和宣言

 被爆者の方々の歌声で、今年の平和祈念式典は始まりました。
 「あの日を二度と繰り返してはならない」という強い願いがこもった歌声でした。
 1945年8月9日午前11時2分、アメリカの爆撃機が投下した一発の原子爆弾で、長崎の街は、一瞬のうちに壊滅しました。すさまじい熱線と爆風と放射線、そして、燃え続ける炎……。7万4千人の尊い命が奪われ、かろうじて死を免れた人びとの心と体にも、深い傷が刻みこまれました。
 あの日から65年、「核兵器のない世界」への道を一瞬もあきらめることなく歩みつづけ、精一杯歌う被爆者の姿に、私は人間の希望を感じます。

Img_6710  核保有国の指導者の皆さん、「核兵器のない世界」への努力を踏みにじらないでください。
 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議では、当初、期限を定めた核軍縮への具体的な道筋が議長から提案されました。この提案を核兵器をもたない国々は広く支持しました。世界中からニューヨークに集まったNGOや、私たち被爆地の市民の期待も高まったのです。
 その議長案をアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有国の政府代表は退けてしまいました。核保有国が核軍縮に誠実に取り組まなければ、それに反発して、新たな核保有国が現れて、世界は逆に核拡散の危機に直面することになります。NPT体制は核兵器保有国を増やさないための最低限のルールとしてしっかりと守っていく必要があります。
 核兵器廃絶へ向けて前進させるために、私たちは、さらに新しい条約が必要と考えます。潘基文国連事務総長はすでに国連加盟国に「核兵器禁止条約」の検討を始めるように呼びかけており、NPT再検討会議でも多くの国がその可能性に言及しました。すべての国に、核兵器の製造、保有、使用などのいっさいを平等に禁止する「核兵器禁止条約」を私たち被爆地も強く支持します。

 長崎と広島はこれまで手を携えて、原子爆弾の惨状を世界に伝え、核兵器廃絶を求めてきました。被爆国である日本政府も、非核三原則を国是とすることで非核の立場を明確に示してきたはずです。しかし、被爆から65年が過ぎた今年、政府は「核密約」の存在をあきらかにしました。非核三原則を形骸化してきた過去の政府の対応に、私たちは強い不信を抱いています。さらに最近、NPT未加盟の核保有国であるインドとの原子力協定の交渉を政府は進めています。これは、被爆国自らNPT体制を空洞化させるものであり、到底、容認できません。
 日本政府は、なによりもまず、国民の信頼を回復するために、非核三原則の法制化に着手すべきです。また、核の傘に頼らない安全保障の実現のために、日本と韓国、北朝鮮の非核化を目指すべきです。「北東アジア非核兵器地帯」構想を提案し、被爆国として、国際社会で独自のリーダーシップを発揮してください。
 NPT再検討会議において、日本政府はロシアなど41か国とともに「核不拡散・軍縮教育に関する共同声明」を発表しました。私たちはそれに賛同すると同時に、日本政府が世界の若い世代に向けて核不拡散・軍縮教育を広げていくことを期待します。長崎には原子爆弾の記憶と爪あとが今なお残っています。心と体の痛みをこらえつつ、自らの体験を未来のために語ることを使命と考える被爆者がいます。被爆体験はないけれども、被爆者たちの思いを受け継ぎ、平和のために行動する市民や若者たちもいます。長崎は核不拡散・軍縮教育に被爆地として貢献していきます。

 世界の皆さん、不信と脅威に満ちた「核兵器のある世界」か、信頼と協力にもとづく「核兵器のない世界」か、それを選ぶのは私たちです。私たちには、子供たちのために、核兵器に脅かされることのない未来をつくりだしていく責任があります。一人ひとりは弱い小さな存在であっても、手をとりあうことにより、政府を動かし、新しい歴史をつくる力になれます。私たちの意志を明確に政府に伝えていきましょう。
 世界には核兵器廃絶に向けた平和の取り組みを続けている多くの人々がいます。長崎市はこうした人々と連携し、被爆地と心をひとつにした地球規模の平和市民ネットワークをはりめぐらせていきます。

 被爆者の平均年齢は76歳を越え、この式典に参列できる被爆者の方々も、少なくなりました。国内外の高齢化する被爆者救済の立場から、さらなる援護を急ぐよう日本政府に求めます。
 原子爆弾で亡くなられた方々に、心から哀悼の意を捧げ、世界から核兵器がなくなる日まで、広島市とともに最大限の努力を続けていくことを宣言します。

                               2010年(平成22年)8月9日
                               長崎市長 田上 富久

|

« 被爆から65年目の広島に思いをはせる   8月6日 | トップページ | 広島・長崎 原爆投下後の隠された真実  8月15日 »

戦争と平和」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 被爆65年目の長崎     8月9日:

« 被爆から65年目の広島に思いをはせる   8月6日 | トップページ | 広島・長崎 原爆投下後の隠された真実  8月15日 »