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2010年4月26日 (月)

沖縄県民大会に9万を超える人たち  4月25日

島ぐるみ  「基地はいらない」  沖縄 心一つ

 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

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 私は昨日、普天間高校2人の訴えの場面から琉球新報のインターネット画面のリアルタイムで大会に参加することができ、沖縄の人たちと心を一つにすることができました。
 2人の高校生は最後を「未来は私たちの手のなかに」と締めくりました。若者たちの姿に感動です。そして、9万人を超える集会の司会が読谷高校の女生徒だったことを知ってまた感動しました。沖縄の集会では高校生がよく活躍するなと感心しています。

● 実行委員会発表で93,700人の参加
「今も会場に向かっている人もいます」ということで、八重山で700人の集会、宮古では前日に3,000人の集会が開かたそうです。
● 500万5005円の会場募金を集約
● 26日から100人の代表団が政府要請行動を行います
● 琉球新報報道では3,000人がネット中継を視聴したもよう



「未来は私たちの手のなかに」 高校生代表

  岡本かな

 厚さ6惣の窓。その窓いっぱいに見える飛行機の胴体。
これが私たち普天間高校の日常の光景です。
 私は2年前、あこがれの普天間高校に入学しました。とても、わくわくして登校したことをいまでも覚えています。しかし、グラウンドに出れば、騒音とともにやってくる低く黒い影。授業中でも、テスト中でも、容赦なくすべてを中断させる音。低空飛行する機体に向かって思わず
Uvs100425023  「うるさい」と叫んだこともあります。
 学校までの通学路は、どこまでも長い基地のフェンスが続きます。早朝講座の始まるころには、基地から上がる星条旗がみえます。
 「あれ、ここって日本だよね、いったいフェンスで囲まれているのは、基地なの、私たちなの?」。
 一瞬、考えてしまいました。日本にある米軍基地の75勿が、ここ沖縄に存在していることをあらためて実感しました。
 そんな不安と違和感を覚えた1年目でした。入学から2年たち、私は自分が変化していることに気がつきました。そして怖くなったのです。へリコプターは相変わらず、頭上を飛び、騒音は鳴り続けます。「でもしょうがない」「いつものこと」と思う自分がいたのです。          
 軍用機がいつ、自分の上から落ちるかわからない日常。  
訓練が民間地域のすぐ横で行われている日常。基地や訓練がなんのためにあるのか忘
れた日常。危険を危険と感じなくなる怖さ。普天間高校で過ごす間に、この状況があまり
に日常になって、私の感覚はにぶくなっていたのです。
 生活のなかに基地があること、沖縄のなかに基地があること、この問題をしかたがな
いから、と考えるのをやめていないか。私を含めて、いま一度多くの方に考えてほしい。
 みんなが、それぞれの立場で、もう一度基地問題に向き合ってほしいと思います。
私たち一人ひとりが考えれば、なにかがかわるそう信じて、私はここに立っています。


  志喜屋成海

 戦後65年の間、沖縄のなかには、米軍基地と何らかのかかわりをもちながら、さまざまな気持ちを抱く人がいるのもまた事実です。基地で働き生活の基盤をつくっている人、沖縄のさまざまな場所で反対運動をする人たち、辺野古の海岸で座り込みを続けている人たち、日本人だけでなく基地で働く多くの外国の人もいます。
 すべての人が一生懸命生きているからこそ、平和と基地、沖縄はいつも矛盾を抱えています。私には、それぞれの立場の人の考え方を判断するだけの人生経験がありません。でも、かつて、沖縄が琉球王国と呼ばれていた時代から、沖縄の人が平和を愛し、人と人とのつながりを何よりも大切にしてきたことだけは分かっています。この精神はいまも昔も変わらず、沖縄の人びとの心に刻み込まれているのです。私たちには、お互いに手をとり、平和を築ける力を持っている、と私は思います。
 だから、ただ現状に流されて、「しかたない」と受け入れることで本当によいのでしょうか。私は純粋に素直に、この問題をみたうえで、やはり基地は沖縄には必要ないとそう思うのです。
 いま私たちの通う普天間高校では、大会をきっかけに、一人ひとりが基地問題につい
て考え始めています。そして、いま、この会場にも、県内外から多くの方々が基地問題をなんとかしたいという思いに突き動かされて集まっている。もちろんこの会場以外でも、それぞれの場所で今この瞬間考えている人がいると思う。
 この基地問題は普天間だけでなく、沖縄県民だけでもなく、日本国民すべての人が自分の問題として考えてほしい。私たちの思いが一人でも多くの人たちの心に届くことを、心から願っています。

    ◇
 最後にふたりは声をそろえてこう発言を締めくくりました。

  「未来は私たちの手のなかに」


   大会決議文

 普天間飛行場の返還は平成8年日米特別行動委員会(SACO)合意から13年経過した今なお実現を見ることはなく、その危険性は放置されたままです。
 しかも、平成16年(2004年)8月13日に発生した沖縄国際大学構内への米軍海兵隊所属CH53D大型輸送機ヘリコプターの墜落事故は、市街地に位置し、住宅や学校等が密集する普天間飛行場の危険極まりない現実を明らかにしました。一歩間違えば大惨事を引きUvs100425017 起こしかねず「世界一危険な飛行場」の存在を改めて内外に明らかにしています。しかも、平成18年(2006年)の在日米軍再編協議では同飛行場の全面返還を合意しており、県民や宜野湾市民は、最も危険な普天間飛行場を早期に全面返還し、政府の責任において跡地利用等課題解決を求めているのです。
 私たち沖縄県民は、去る大戦の悲惨な教訓から戦後一貫して「命どぅ宝」、基地のない平和で安全な沖縄を希求してきました。にも関わらずSACO合意の「普天間飛行場条件つき返還」は新たな基地の県内移設に他なりません。
 県民の意思はこれまで行われた住民投票や県民大会、各種世論調査などで明確に示され、移設先とされた名護市辺野古沿岸域は国の天然記念物で、国際保護獣のジュゴンをはじめとする希少生物をはぐくむ貴重な海域であり、また新たなサンゴ群落が見つかるなど世界にも類をみない美しい海域であることが確認されています。
 名護市長は、辺野古の海上及び陸上への基地建設に反対しています。また、勝連半島沖埋め立て案についてはうるま市長・市議会ともに反対を表明しています。
 よって、私たち沖縄県民は、県民の生命・財産・生活環境を守る立場から、日米両政府が普天間飛行場を早期に閉鎖・返還するとともに、県内移設を断念し、国外・県外に移設されるよう強く求めるものです。
 以上決議する。

 ▽大会スローガン
 日米地位協定の抜本的改定を求める。
 返還後の跡地利用を促進するため、国の責任で、環境浄化、経済対策などを求める。
 返還に伴う、地権者補償、基地従業員の雇用確保を国の責任で行うよう求める。

     2010年4月25日
     4・25県民大会

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