核廃絶の願いを込めて長崎~広島をめぐる-7
熊本県には古い時代の石橋がたくさん
美里町 、山都町を歩きました 11月9日 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。
新聞、テレビで熊本県には江戸時代後期からの石橋がたくさん残っていることを知りました。熊本には、野津石工、種山石工という石橋造り専門の技術集団がいて、江戸から明治にかけて全国各地に橋を架けてきた歴史があるそうです。
美里町には38もの古い石橋
今回、①霊台橋 ②岩清水橋 ③大窪橋 ④小筵橋 ⑤二俣二橋をまわりました。
● 霊 台 橋 単独アーチとしては日本一の大きさで重要文化財。1847年に種山石
工三兄弟によって架橋されました。
● 岩清水橋 霊台橋のすぐ 近くにある小さなかわいらしい橋で注意しないと見落とします。
● 大 窪 橋 1849年に 岩尾野の石工によって架橋されました。それほど大きな橋ではありませんが、すごく親しみがもてる橋でした。
● 小 筵 橋(こむしろばし) 路面長が47㍍の橋です。
● 二俣 二橋 1830年種 山村の石工嘉八によって架橋された。二俣福良渡と二俣渡の「双子橋」とも呼ばれているそうです。ここでのもう一つの特徴は、二橋の他
に現在使われている橋などふくめると五橋になり、通俗的に二俣五橋とも呼ばれているそうです。
山都町では通潤橋と円形分水工
● 通 潤 橋 1854年に 肥後の石工によって造られた灌漑用水を送るためにつくられた水路橋です。国の重要文化財です。
通潤橋の近くの休息所には八朔 祭りで使われた大きな造り物が展示されていて、通潤橋とすごくマッチしていました。
● 円形分水工 この地域は昔から水の確保で苦労してきま した。この分水装置は1956年に現代土木工学をを生かして、水田の面積に応じて水を配分するように工夫されているそうです。
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