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2009年11月24日 (火)

上田城を2年ぶりに訪れました  11月15日

晩秋の上田城跡公園を回る

 画面をクリックすると大きくして見れます。

 高校時代の3年間をバレーボール部で過ごした旧友から、バレーボール部のOB会の通知があり、11月14日、上田に出かけました。卒業以来46年ぶりに3人の懐かしい旧友に会うことができ嬉しい一時を過ごしました。

     翌朝、8時半から上田城に
Img_1375  2年前の11月に、新幹線側から西と南の櫓を眺めたのImg_1364ですが、今 回は東虎口櫓門から入城しました。思い出してみたら、東虎口櫓門から入って上田城跡公園を全部回ったのは本当に久しぶりのことでした。田舎に帰ると時々寄ってはいたのですが・・・
 この城跡の周辺には競技場があって、高校時代よく試合できて、城跡にも寄ったものでした。そんなことが思い出されました。
 城跡公園はどこも紅葉がすすんで晩秋という趣を感じました。

   西櫓は長野県宝  江戸寛永年間に建設
Img_1360   今回の一番の驚きは、西櫓が長野県宝に指定されていることでした。
上田城跡に来ると西、南、北の3つの櫓と、東虎口櫓門があり、だれもが、真田の雄姿を思い浮かべているのではないでしょうか。
 史実は真田昌幸が1583年(天正11年)に上田城を築き始め1585年に完成させていて、1585年と1600年の二度にわたって徳川軍を上田城で打ち破って天下に真田の名前を知らしめたのでした。
 そうした事から真田が築いた城は徳川によって破棄されました。その後、真田信行が上田を納め仙石氏、松平氏と移封されました。
Img_1393  上田城の復興は仙石氏の時代に行われました。
仙石氏は1626年~1628年(寛永3~5年)にかけて上田城を復興しました。
明治維新で城が売り払われ、南櫓、北櫓は1943年~1949年にかけて移築復元されました。
 しかし、西櫓だけは、そした難をのがれ、建築当時のまま残されいる唯一の建物だそうです。
 こんな事を今回認識し、しみじみと西櫓を何回も振り返った私でした。

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