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2009年9月28日 (月)

長野県佐久市望月を訪ねて 歴史と書道 9月23日

望月の歴史・文化を知ることができました

 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

 2年ぶりに生家に一泊させてもらいながらお墓参りに行ってきました。
この機会に佐久市望月の街を兄に案内してもらいました。望月は兄嫁の出身地でもあり、佐久平の一角にあり、私はあまり足を踏み入れたことがない地域で行ってみたいと思っていたのです。

    丸山晩霞記念館へ
 上田駅から車で出発し、途中で東御市に寄り東御市出身で日本の水彩画発展に貢献した丸山晩霞の記念館も訪ねました。私は知らなかった画家でした。丸山晩霞は1867年(江戸・慶応3年)~1942年までの76年間に、欧米・アジアの各地も訪ね絵を書き続け、水彩画の発展に貢献しました。生涯に1万点の作品を描いていて記念館では600点を所蔵・展示しているそうです。訪ねた時は1911年~1912年の作品が中心に展示されていました。明治~昭和初期によくこれだけの水彩画を描いたものだと感心しました。

      旧石器・縄文時代からの歴史
           中山道69次25番目の宿場町
    書道の発展に寄与した比田井天来

 望月は山間の町で中山道宿場町の跡がすぐにわかる古い家屋が目に入りました。
    望月歴史民俗資料館で
 望月には平石遺跡があり、縄文時代早期(8000年前)中期(5000年~4000年前)Img_5883 後期(4000年~3500年前)と縄文時代の全期に渡ってここに人々が生活していました。
その様子が出土品の展示でよくわかりました。
 望月には60基もの古墳が有り、豪族がこの地で栄えていたことを示していました。
 中山道69次 中山道は江戸と京都を結ぶ官道で、板橋宿から大Photo 津宿まで69の宿場町の名前が書き出されていました。望月は25番目の宿場町とし本陣、脇本陣、問屋などが軒を並べ栄えていました。
 明治になると養蚕が栄え、養蚕や製糸に使われた用具なども展示され機織機の実地作業も行っているそうです。この日は機織機は休みでした。
    天来記念館で
 比田井天来(ひだいてんらい)という書道家を私は知りませんでしImg_5907 た。兄嫁のお父さんは雪舟の号で書道と絵を描いていて、私もその書を家で飾っていますが、佐久には天来という偉大な書家がいてお父さんはその影響を受けていたのだということを知りました。記念館の立派さにも驚きました。
 比田井天来(1872年~1939年)は古典の筆法である「府仰法」を再発見しました。これを「古法」と呼ぶそうですが、これにより多くのPhoto_2 文字を正しく伝えることができるようになりました。天来は弟子に自分の字を真似しないように指導し、手本は書かなかったそうです。そうした指導の中から前衛書や少字数書、詩文書等が生まれました。天来は、現代書道界の先駆けをなしたことで「現代書道の父」といわれています。
 私は書について評するような知識は全くありませんが、記念館で天来の書を見て、すなおに「いいな~」と思いました。

 お父さん(兄嫁の)は望月で亡くなるまで書と絵の指導をされていImg_5958 たそうで、街を車で走っていて信号待ちの時に「福王寺入口」の石灯籠の脇に「岡田雪舟書」と刻まれているのを見つけました。お父さんは地域の中でそういう役割を果たしていたのだと懐かしく偲びました。

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受信: 2009年9月29日 (火) 10時42分

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