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2009年8月 4日 (火)

「白い光 黒い雨  ヒロシマナガサキ」の映画から

ヒロシマ・ナガサキを繰り返すな

憲法9条を守り生かし

世界から戦争をなくし核兵器の廃絶を

 今年も8月6日、9日とヒロシマとナガサキの日を迎えます。この1年間の間にアメリカではオバマ大統領が誕生し社会を前に進める変化を感じさせます。オバマPhoto 大統領は今年4月5日にチェコのプラハで演説し「核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります」「私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを信念を持って明言いたします」と述べてアメリカ0004 政府として初めてヒロシマ、ナガサキへの原爆投下について道義的責任を表明したのです。長崎や広島でオバマ大統領を呼ぼうという活動も始まっています。しかし、核廃絶の願いは一国や一人の行動で実現できるものではなく、被爆国日本や世界の国々の運動と私たち一人一人の運動にかかってくるのではないのでしょうか。

 昨年の10月13日にNHKBSiで偶然に「白い光 黒い雨 ヒロシマナガサキ」のドキュメンタリー映画を見て、あらためて、広島と長崎の被爆者のすさまじい生き方に強く胸を動かされました。私は12月になってDVDを購入し、再度映画を見ました。そして、今年も8月になって、あらためて、映画を見ました。すばらしい内容です。一人でも多くの人に見てほしいと思います。アメリカの変化もあったからでしょうか。私の気持ちに変化が生まれたようで、DVDに収録されていた「ヒロシマナガサキ」監督のスティーヴン・オカザキさんのインタビュ-を熱心に見たのです。その内容を知らせたくなり、聞き取りしてブログに書きました。
 広島と長崎の被爆者14名の証言はすばらしい内容です。証言者の人たちの中には、私が知っている限りでも、核廃絶と被爆者運動で活動されている方たちがいてそれぞれの人生を前向きに生きてこられた姿に勇気づけられます。原爆投下に関わった4人のアメリカ人の証言もあります。

 DVDからスティーヴン・オカザキさんへのインタビューの全文を紹介させていただきます。

ドキュメンタリー映画
    
白い光、黒い雨 
   ヒロシマナガサキ   

スティーヴン・オカザキ監督にインタビュー
       
2007年11月16日
                          

<問い> 原爆というテーマに映画監督として
     関心を持ったきっかけは
 80年代初めサンフランシスコの平和運動の中で「はだしのゲン」の英訳に取り組んでいました。そのドラマチックな漫画に魅了され、中沢啓治が描き出す物語に深い感銘を受けました。
 その頃まったく偶然なのですが、被爆者の人々と接触する機会がありました。「米国原爆被爆者協会」という団体があるのですが、その代表に「そちらの会合を見学してもいいですか」とたずねました。彼は「見知らぬ見学者が参加していると被爆者たちは落ち着かないでしょうね」と言って「いっそ、あなたの作品を上映しては」と言われました。僕は子ども向けの短編を2~3持参して上映し、30人ほどの被爆女性に見てもらいました。
 上映後、拍手する人たちの中に、クニコ・ジェンキンスという女性がいました。彼女は米国軍人と結婚し米国に移住。彼女は立ち上がり「私たちの体験を世界に伝えるためにオカザキさんは被爆者の映画を作るべきです」と発言しました。そして「採決しましょう。賛成の人は手を挙げて」と。その場にいた女性は全員「イエス」。僕は「ドッキ」となり、自分の中からこみ上げる感情に圧倒され、「やらなければ」と思いました。その時はその場の気分に流されていましたが、自分でもなんというか、ただ興味深い出会いだったとすますわけにいかないと、そんなことを感じて被爆者の映画を作ろうと決意したのです。

<問い> この映画が長い時間をかけて製作された
     経過についてお話下さい
 
その出会いから10年経って僕はアカデミー賞の短編映画賞を受賞して注目を集め、「次はなにを撮りたいですか」と言われるようになりました。僕は「原爆に関するドキュメンタリ-を」と答え、原爆投下から50周年にあたる1995年の公開をめざして下準備のためリサーチに入りました。
 やがて、日本のテレビ局が後援してくれることになり、米国のスミソニアン協会の協力も取り付けました。しかし、準備を進めていると、にわかに「ヒロシマ」の周りに政治的な空気が漂い始めたのです。
 
原爆を投下したエノラ・ゲイ号のスミソニアン博物館での展示を巡り、ヒロシマの何について語るか激しい論争が起きたのです。それで突然、日本側の製作者がしりごみして製作から手を引きました。米国側も中止しました。それでスミソニアン側も当初の予定を変更。原爆投下後50年を経て初めてヒロシマとナガサキの出来事を大きく公開するはずだったのに、被爆者の物語を展示からいっさい外してしまいました。死者も被爆して苦しむ人も触れられなかったのです。僕はすっかり失望し大きな怒りを感じました。その時のことは苦い教訓になりました。
 
歴史はこうやって語られるのかとテレビ局や政府や大組織によって支配され真実は語られぬまま、無難な物語にすり替えられるのです。僕は苦い怒りに満たされました。被爆者の映画を作る夢を断たれたのです。
 
やがて、他の映画の仕事に戻っていた僕に、中断した製作に携わった人たちがこんなふうに声をかけてきました「60周年に当たる2005年に製作のチャンスがまた来る」そして、2005年が近づくにつれ「もう一度やろう」という声が高まってきました。僕も「よし、もう一度やろう」でも、こうも思いました。「また製作が中止されたり、内容が干渉されて、あの時みたいな失望感を味わうのはもうご免だ」と。
 それで、自主制作で短編を撮ることにしました。今、撮影しているような小さなDVカメラを使ってね。そうやってできたのが「マシュルーム・クラブ」です。まるでホーム・ムービーのように、作家であり、ジャーナリストでもある僕の妻が時々マイクを持ったりして手伝ってくれました。これ以外はスタッフもなく独りでカメラを回しました。ですから製作費もわずかですみました。この作品については、たとえ見る人がいなくても、被爆者たちへのお返しになると思いました。ささやかであるけれど、彼女たちの映画を作るという自分の約束を果しましたと・・・しかし、僕が作りたかった映画ではない。製作の規模は小さく限界がありました。気に入っていますが本当に作りたかった映画ではないのです。
 
そうこうするうちに、2005年のある日、HBOという米国の大手ケーブルテレビから連絡を受けたのです。HBOはドキュメンタリーの製作では世界でも傑出していてすぐれた作品を送り出しています。その彼らが電話してきていきなり尋ねたのです「今、何してる」HBOとはよく仕事をしています。彼らが「歴史物を撮る気はないか」と言うので僕は「歴史なんて退屈だな」と答えました。でも、テーマを聞くと「ヒロシマとナガサキだ」と・・・「本当か。どんな作品にしたい」と聞くと「大勢の人が見る重要な作品にしたい」と言うのです。「60周年だから今作り始めたい」「それならこういう案はどうだろう」と僕が温めてきたアイディアを説明すると「君にまかそう」となったのです。そのように突然望んでいた映画を作れることになったのです。

<問い>原爆についての映像作品が過去に数多くある中で、監督はどのような映画を作りたいと考えたのでしょうか
 
被爆者にただ体験を語らせるだけの映画は今までには無かったように思います。そうした機会を被爆者に与えなかった歴史のため、そして未来のために、ひたすら、その体験を語るという機会をです。彼らを英雄や犠牲者としてではなく、あなたや僕と同じ人間として示した作品は無かったのです。怖がらせもせず、政治的でもなく、ただ、ヒロシマとナガサキを語る。なんら手を加えなくても力強く重要な物語です。ただ語れる限りのことを語ればそれでいい。
 
そこで僕らの映画では、被爆者の体験を可能な限り誠実に語ろうと思いました。そのことにあたってはなんら恐れることなく体験の悲惨さを薄めることなく、またロマンティックに美化することもなく。しかし、観客を引き込むドラマを作らないと目をそむけたくなる映画を作っても誰も見てくれません。見る人の信頼にこたえる作品を作らないといけない。原爆の映画を見ると言えば誰だって恐ろしげに感じます。気が滅入ると思うでしょう。ですから、僕の映画では穏やかさと誠実さの両面を強く心がけたのです。

<問い> 出演者一人一人の物語が力強く印象的ですが
     インタビューの際に心がけことは
 インタビューにあたっては事前に証言者と親しくなりすぎないように注意しました。そして私たちの関心の深さが伝わるように努めました。
 映画を見る人は証言者と初対面なので、その雰囲気を出したかったのです。つまり、証言者の話を僕らに伝わったのと同じように観客にも伝えたいと思いました。僕らのやり方は特別ではないと思います。ただ証言者と信頼関係を築き何でも自由に話してもらいたいという気持ちを伝えました。そして、彼らが裁かれていると感じないよう気をつけました。
 僕らはただ事実を知りたいだけです。良いことも悪いこともです。それにはまず人間関係を築くこと。喫茶店で初めて会う時のように、あるいは初めてのデートのように、最初は言葉を選び、単純な話題から始めます。すると相手はリラックスできます。初デートでは相手の全てを知りたい。相手を好きになりたいのです。まずは信頼関係を築き、それを保ち続ければよいインタビューができます。しかし、なんというか、被爆者にインタビューする際、私のかこの経験からみて、気をつけねばならないことがあります。まず恐れないことです。彼らは敏感です。悲惨な話に耳をふさぎたいという聞き手の気持ちが伝わるのです。

 日本語でインタビューした後藤太郎さんにお願いしたのは、証言者の目を真っすぐに見て目をそらさないことです。メモをとる必要があることはわかりますが、証言者を安心させることが第一です。インタビューが進むと大体いつもきわどい質問をしなければならない瞬間が訪れます。切り出すのが非常に難しい。悲惨な体験をした人にこう尋ねるわけです「なぜ生き続けようと思ったんですか」とても他人に聞ける質問ではありません。「なぜ自殺しなかったんですか」しかし観客が知りたくなるようなことは聞かねばなりません。しかも証言者が正直に答えやすいような質門の仕方が必要なんです。率直な答えこそ僕らが求めるものなのです。ですから、僕がインタビュアーと申し合わせたのは証言者をしっかり見て恐れないこと。そこで初めて何か特別の話が聞けるかもしれません。インタビューを続けるうちに胸がつぶれる思いを何度もしましたね。本当に・・・。聞いているのがつらくて・・・続けられないと感じる。それでも僕は映画の作り手として画面をチェックしたり、カメラに気を配らねばなりません。それが奇妙な経験でした。
 実際にはものすごく心を動かされているのに作業は続けねばなりません。そうした撮影の最中には別の自分がどこかにいて、その距離感を保たねばならないのです。証言中にスタッフ全員が打ちのめされた時もあります。そんな時も表情に出さず、証言者をうながし、撮影を続けるのです。

大変だったのは編集作業ですね。技術的なことを考えてあちこちカットする箇所を考えていると突然心が強く揺さぶられてしまうのです。感情と仕事として向き合う気持ちが混ぜこぜになって・・・。この作品は僕にとって人生経験であり、すばらしい経験でした。

<問い> 映画冒頭の街頭インタビューについて
「8月6日に何が起きたか」の問いに答えられた人は全くいなかったのですか
 
8月6日と9日の意味を8人に尋ねましたが、みな知りませんでした。僕も日本人スタッフも驚きましたね。その時点で撮影を中断しました。これは、強烈なメッセージだと。足を止め、撮影させてくれた人たち全員が質問の答えを知らなかった。僕にはよくわかりませんが、日本の若者は多少は原爆のことを学校で習ったにしても、すかっかり忘れてしまったのか、気にしていないのでしょう。それは、彼らのせいではない。日本の若者が軽薄だとか、無関心だというのではなく、考えられるのは、教育システムや人々、そして政府の問題だということ。また現実には第二次大戦が遠い過去のものになっていて、ヒロシマとナガサキが忘れられたといことでしょう。人間の自然な感情として不快な記憶は忘れたいものです。しかし、私たちが住んでいるのは非常に恐ろしい世界なのです。安全とは言い難い世界に住んでいるのですから。ヒロシマとナガサキに何が起きたかを知っておくことは重要です。

<問い> 本作品は全米でテレビ放映され
     
日本では劇場公開されました。
     
観客の反応についてお聞かせ下さい

 大きな反応を呼んで嬉しかったですね。米国では、その大きな要因は9.11テロだと思います。これは僕の感想ですが9.11テロの前に公開していれば、過ぎた戦争との関係で話題になったでしょう。しかし、9.11テロの後では人々は現在の状況を思いそれが将来どんな意味を持つか考えています。時々思うのですが、米国ではこんな怒りの声を今も耳にします「真珠湾を忘れるな」「日本は報いを受けて当然だ」その怒声があまりに激しいので、他の声が消されてしまうのです。ですから日本の人々はそうした怒りの声が支配的だと感じるかもしれません。しかし、もっと多くの米国人が被爆者の話に耳を傾け強く心を打たれ、心からすまないと感じているのです。ですから僕はこの映画を世界のもっと多くの国々や学校に持って行って上映し続けたいと思っています。とにかく、そこまで反響が広がり満足ですね。

 日本での反響にも満足しています。この作品を見た人々は「原爆のことは知っていると思っていたけれど、この映画で再発見し新しいことを学び、自分でも驚くほど強い感銘を受けた」と言っています。そうですね、歴史的、政治的な重要性は別にしても、これはとてつもない物語、信じ難いほど強烈な物語を語った作品です。しかも、それはごく普通の人々が体験した出来事であり、まさにその点を僕は描きたかったわけです。
 僕にとってはあなたや僕、父母や子どもたちが、すさまじい体験をしたことを語った作品なのです。驚くべき物語だからこそ大きな反響を呼びました。社会性ではなく物語にひかれて人々は耳を傾けるのです。この作品が評価されたのは政治的な意図も作為もなく、その場所にいた人々の物語をありのままに語っているからでしょう。

                       END

2007年8月6日 ケーブルテレビで全米に放映
  2007年10月  国連本部でも特別上映

 スティーヴン・オカザキさんのプロフィール
・1952年生まれ。日系3世。アメリカカリフォルニア州ヴェニスで育つ。
・サンフランシスコ州立大学映画学科を1976年に卒業。
・映画製作に取り組む。アカデミー賞に3回ノミネートされ、うち一度はオスカーを受賞。

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