2012年1月29日 (日)

久しぶりに古隅田緑道を歩きました  1月28日

先日に降った雪がまだ残っていました

clover 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

 久しぶりの古隅田緑道でしたが、日陰には雪が残り、遊歩道も注意しないと転倒する危険もありました。でも、寒さのなかでもしっかりとした生物の息づかいを感じました。
 木々は枝だけで透き通って見えるため、普段は気付きにくい鳥の巣も見えましたが、鳥の声はほとんどしませんでした。

貸農園には残雪が

 雪が残っていましたが、白菜、ブロッコリーなどの野菜がしっかりと冬を越していることを感じました。
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(雪が残った中で野菜が元気に冬を越していました)

 
気になる大きな桐の木

最近、気にしている大きな桐の木が1本あります。
この日も、注意してみると、昨年最後に見たときよりも、枝は落ちていました。枝の幹にきのこが生えていたのですが、そのきのこが寒さの中でも生き延びている姿を確認しました。春に向けてこのきのこがどう変わっていくのか見守ってみようと思いました。
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(冬を越している桐の木)
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(気になっているきのこ)
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(きのこには生彩はありませんが生きています)




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2012年1月20日 (金)

客室乗務員原告団 最終陳述-2   12月21日

客室乗務員原告団

山田純江さん56
 

33年間、安全運航支えた
 

 解雇の理由全くない

 私は、1977年12月に日本航空に入社し、33年間、国際線と国内線を乗務してまいりました。その間、結婚をし、乗務を続けながら2入の子を産み育てました。娘たちも現在、大学1年と中学2年になりました。

 私がここまで乗務を続けられたのは、労働組合の取り組みが客室乗務員の30歳定年の延長、結婚退職制度の廃止、妊娠退職制度の撤廃を実現させ、出産後

乗務という道が開かれたからです。また、女性であっても経済的に自立したいとの思いもありました。

子育てしながら

子どもは、小さかったころ、フライトの前日になると、ぐずったり熱を出したりしました。夜中の3時、4時に子どもを起こさないよう、祈るような気持ちで家を出て仕事にむかったこともたびたびでした。

 2泊3日のフライトから帰宅し玄関を開けたとき、1歳の子どもが私を見るなり火がついたように泣き出しました。私も安堵(あんど)から娘を抱きしめ、泣いてしまったことを昨日のことのように覚えております。

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(2011年1月19日 東京地裁に提訴)
 ホノルルやアメリカ西海岸、南米線のニューヨーク便のように、夕方出発して夜通し勤務するフライトのときは、朝から子どものお弁当づくりや家の片付

け、洗濯などの家事をこなし、自宅から成田空港までの通勤のバスの中が唯一の安息の場所というときもありました。

 お客様や同僚、後輩のために良い仕事をしようと、自分自身を奮い立たせてきました。

日航が破綻したときも、機内でお客様に直接おわびし、つらい思いをしながらも誇りだけは失わないように、あらゆる対応をしながら、乗務してまいりました。

 機内にはさまざまなお客様がいらっしゃいます。お客様と接する中で状況を読み取り、お客様の気持ちになって安心感を与える接客を行ってまいりました。先輩を手本として、受け継いできたと思っております。私も、まだまだ後輩たちに伝えたいたくさんのことがあります。

誠意を欠く会社

3年前に、母が亡くなりました。それまでの1年間、妹とともに介護しました。また、解雇される1年前より父の認知症も少しずつ進行したため、ここで

も妹と協力し、介護日を取りながら乗務をしておりました。

家族の協力を得ながら、定年まで客室乗務員としての仕事を続けて頑張っていこうと決心していたことも、解雇によって踏みにじられてしまいました。

 訳もなく涙が出てきてしまう姿を見て、子どもたちが「お母さんは働いている方がいいよ。フライトしているお母さんの方が輝いている」といってくれました。小さいときは泣きながら追いかけ、寂しい思いをしてきた子どもたちが、今では私のおかれた境遇を理解しているのだと思いました。

私たち原告は、誰よりも日航を愛し、再生のために働きたいと願っています。会社との交渉で誠意を感じられませんでした。再三にわたり話し合いへの出席を求めた稲盛和夫全長とは、9月30日の法廷までお会いすることができませんでした。

 何故、まじめに働いてきた労働者が、まるで落ち葉をはきだすかのように、人間扱いもされずに放り出されなければならないのでしょうか。

 私たちには、職場で同僚やお客様から頼りにされ、誇りを持って安全運航を支えてきたという自負があります。そして私たちを解雇しなければならない理由は、どこにもありません。私たちは、一日も早く職場に戻って働きたいと願っています。

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年1月19日 (木)

客室乗務員原告団 最終陳述-1  12月21日

客室乗務員原告団 

 病欠基準で解雇された女性(40
 

風邪で3日休んだだけ

     合理的な説明なし

 私は1994年7月18日、旧日本エアシステム(2002年、日航に経営統合)に入社し、17年勤めてまいりました。そして、昨年(10年)1231日に病気欠勤の基準で解雇されました。
 基準は、2008年~10年の過去2年5ヶ月間に、休職期間4カ月以上。病欠日数、乗務離脱、休職が合計121日以上。ただし、2010年度に病欠、休職がO日のものを除くというものでした。

  
病気療養に努力


 私は、0612月~09年3月まで病気療養のため休職しました。しかし、09年4月に復帰して、1年5ヵ月も普通に乗務しました。10年度にたまたま風邪でたった3日病欠したために解雇されました。
 私か休職したのは、慢性じんましんで、原因は不規則な仕事でした。病気を治すため一生懸命努力しました。
主治医からは「よく辛抱し、耐えました。〝優等生〟と評価します」と言われました。
 

 昨年の9月27日は運命のフライトとなりしした。希望退職に応じた機長のラストフライでの乗務でした。
 羽田空港に到着して、機長は、「あなたと同乗できて、とてもうれしかった。あなたは絶対に辞めてはだめです」激励してくれました。

 その後、事務所に戻るとマネジャーから呼び出しを受けました。
 「スケジュールが1010日まで9999%フライトにならないスタンバイに変わりました。10月1日は退職説明会、8日は管理職との面談会、その後のスケジュールは未定」と言われました。
 つまり、解雇対象者であるという、むごい現実を突き付けられたのです。
 

有休変更許さず

 たった3日間の病欠のため、整理解雇になるのはあまりにも理不尽です。有給休暇は14日間あったので、病欠を有休に振り替えてほしいと願い出ました。
しかし、変更できないとの返事でした。

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(2010年12月21日 本社前で)
 解雇という人生の岐路で、なぜこれまで可能であった病欠の年休への振り替えができないのでしょう。合理的な基準といえるのでしょうか。偶然の出来事

で解雇できるなら、会社の思うとおりに解雇できることになります。

 私は絶対職場に戻ろうと、団体交渉も毎回傍聴しました。会社の説明は、誠意のかけらも感じられませんでした。1231日の組合の集会で、「あと残された数時間を信じて頑張りたい」と発言しました。

た数時間を信じて頑張りたい」と発言しました。こんなに悲しい思いをしたことはありませんでした。

 私はこれまで、解雇になった自分が悪かったのか、病気で休んだ自分が悪かったのか、何度も自分を責め、苦しい日々をすごしました。

 会社が行ったのは、仕事が理由で病気をして、その治療のために休職した客室乗務員を貢献度がないとして整理解雇するという、理不尽なことです。会社は人選基準について合理性のある説明を尽くしていません。

 職場で客室乗務員は、整理解雇を目の当たりにして病欠をとることをちゅうちょしています。これでは、日航の再生はかなえられません。

           (「しんぶん赤旗」1月12日付けより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年1月18日 (水)

日本航空解雇撤回裁判 原告最終陳述全文 12月19日

 日本航空の不当解雇撤回を求めるたたかいは、重要な段階に来ていると思います。
このたたかいには、様々な立場の労働者がいろいろな思いを持って勇敢に参加しており、いつも私自身がそうした原告の人々に勇気づけられています。
 このたたかいには、働く人々の側に正義と理があり、不当な解雇を必ず跳ね返すことができると思うのです。

 パイロット原告団が12月19日結審となり、20日のブログに原昌一さんと、客室乗務員原告団が21日に結審となり、22日のブログに山田純江さんの陳述の要点を紹介しました。
新年になって「しんぶん赤旗」でその要点が全文紹介されましたので引用させていただくことにしました。
 判決は3月29日と30日に予定されています。

パイロット原告団  原 昌一さん(58
 

更生計画では〝安全継承〟を言

いながらなぜベテラン解雇か


 私は1972年4月、航空自衛隊に入隊し、22年間勤務しました。防衛省と民間航空会社との合意である、豊富な飛行経験を持つ目衛隊出身パイロットの民間への供給システム「割愛制度」で、94年4月、日本エアシスアムに入社しました。

 

2002年に日本航空との経営統合があり、それ以降は日航のパイロットとして、安全運航に精励してまいりました。

  私が民間航空に転職した理由は、当時、戦闘機パイロットの現役年齢は40歳前後までで、自衛隊員の定年が53歳であったことです。その点、民間は60歳の定年まで現役で空を飛べます。

  それが、57歳にして解雇されるとは、夢にも思いませんでした

  2010年9月末に整理解雇の人選基準が発表され、職場は変わりました。病気欠勤歴のある者や乗務制限者、また年齢の高い順に約370人のパイロットが解雇の対象とされたからです。

  空白の常務日程

 

  10月から空白の乗務スケジュールが渡され退職強要の面接が行われました。仕事を奪われ、行き場のない自分は夜も眠れず、息の詰まるような日々を過ごしました。

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(2010年12月28日 パイロット原告団)
 

 私は、希望退職者が計画の1500人を上回っていたこと、計画を超える営業利益を上げていたことなどから、「実際には整理解雇はないだろう」と考えていました。最大の理由は、稲盛和夫会長が「社員の物心両面の幸せのために働く」と語っていたことです。10年末に、初めて団体交渉に参加しました。会社側の交渉態度には誠意がみられませんでした。ワークシェア(仕事の分かち合い)など、組合が提案した打開策についても、一顧だにしませんでした。

 

 整理解雇後、大みそかに165人を解雇しておきながら、稲盛会長が、2月8日の記者会見で「160名を残すことが経営上不可能かというとそうではない」と発言しました。

  現場では整理解雇後に、訓練生を含めて50人以上の乗員が会社を去っていきました「訓練は余計な経費だとして、機長訓練などすべての昇格訓練が停止しているのも流出の原因です。職場の動揺が日常運航に悪影影響を及ぼしていることを大変心配しています。

 

 会社側の姿勢にどうしても納得できないことがあります。 安全の問題です。会社が具体的に安全に関わる問題を検証した形跡など、どこにも見あたりません。更生計画では「厚い安全の層を後世に継承していく責任がある」と記述しています。それなら、なぜ、ベテランが解雇されるのでしょうか。

 

 会社は労使関係の安定など考慮せず、金もうけの目的だけで「更生計画」を実行しているとしか思えません。

  会社は整理解雇で人件費がどれくらい削減されるのか、具体的な数値をまったく示していません。組合役員など、辞めさせたい社員を解雇することが目的だったからではないでしょうか。

   
経営の責嫁任転

 マスコミ各社は、裏付けも不十分なまま、会社発表通りに報道してきました。会社はその新聞記事を証拠として裁判所に提出し、「これが国民目線だ」と言わんばかりで許し難い。

  経営破綻の原因が、本業以外の投資の失敗や、政府のゆがんだ航空政策にあることを不問にし、経営責任のない労働者に責任を転嫁しています。

  解雇は、生きる糧を奪うことであり、人間としての尊厳を打ち砕くことです。整理解雇法理に反する解雇が許されてはなりません。

 

 乗客の皆さまが安心して利用できる安全な日本航空再生のため、一日も早くこの解雇事件の解決が求められています。


       (「しんぶん赤旗」1月11日付より)

 

 

 

 

 

 

 

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2012年1月 3日 (火)

柏原竜二選手、故郷への思いを胸に箱根を快走 1月2日

 

「自分が苦しいのは1時間

ちょっと、福島の人に比べ

たら全然きつくはなかっ

た」  
 柏原竜二選手


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 新年を大震災と原発事故被災地のみなさんのことを思いながら迎えました。
生活と生業の確立をなによりも第一にした支援を強め、除染活動に東電と政府が責任をもって取り組んでほしいと強く思うのです。

箱根駅伝 たくさんのドラマが

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 東洋大学の柏原竜二選手が、5区の山登りでどういう走りをするか強い関心をもってテレビを見ました。
 柏原選手は今年で4回、5区を走りましたが、トップでタスキを受けての山登りは初めてでしたが、苦しい顔をしながらも快走し、区間新記録で4回目の区間賞をなしとげました。
 柏原竜二選手は東洋大の主将としてもチームの要でもありました。
東洋大チームは大会新記録で2年ぶり3回目の総合優勝を勝ち取りました。

 20チームが参加しましたが、20番目を走った東京農大チームの選手の山登りはハラハラドキドキでした。テレビ放映時間中にゴールできず、棄権してしまったのでは結果がわかるまで心配でしたが、ゴールしタスキをつないだことを知って嬉しく思いました。沿道の応援の人たちは最後の走者が走り終わるまで声援をおくっている姿にすがすがしさを感じました。

2位争いは、追いぬいたり、追いぬかれたり最後まで大接戦でした。


「多くの命を救ってほし

い。
多くの人が協力して

ほしいと願っております。

故郷の地に勇気を与えら

れる走りをしていきたい

と思っています」


 柏原竜二選手は昨年の箱根駅伝後に右膝を痛めたそうですが、3月11日に大震災が発生。柏原竜二選手は福島県いわき市出身でした。
 私は3月19日に偶然テレビで柏原選手の「多くの命をすくってほしい。多くの人が協力してほしいと願っています。故郷の地に勇気を与えられる走りをしていきたいと思っています」というコメントを知ったのです。
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 そいうことを聞いていたので一層、柏原選手の走りに関心をもっていたのです。
柏原竜二選手はその思いを見事に成し遂げたわけで、本当に嬉しい希望が湧く走りでした。

 大震災と人災である原発事故とたたかっている故郷への思いを強く感じました。

 

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2011年12月23日 (金)

闘う日航労働者に世界から熱い支援の声が 12月23日

ALPA International

 会長から支援メッセージ


                         2011年11月11日

親愛なる仲間たちへ

 私は、最近、日本航空が経営破綻の過程において、パイロットの削減のために用いた手法について知り、雇用期間の短い乗員からではなく、高い処遇にある年齢の高い乗員と病気欠勤した乗員を解雇者として人選したということに激しい憤りを感じました。このような差別的な人選は、不当であり、明確にアメリカ合衆国の法律に違反しているだけでなく、私の認識では、日本の法律にも違反している筈だと考えます。
  に日本の法律に違反していないとしても、一般的な良識と基本的な公平性に反するものです。私は日本航空が行った解雇の手法に対するあなた方の憤りを十分に理解するとともに共感します。
  私は、ALPA Japan(日乗連)が、日本の法廷とILOを通じて、解雇されたパイロット達のために正義の実現を求めていることを理解します。あなた方に知っておいて頂きたいことは、私達US ALPA(米国定期航空パイロット協会)も、あなた方の問題を分かち合い、解雇されたパイロット達のため正義を獲得しようとするあなた方の闘いを全面的に支援するということです。
 あなた方の闘いが正しいものであると確信していること、そして、私達は正義を求めるあなた方と共にあることを、どうか皆さんの仲間達にお伝え下さい。

敬具

ALPA International会長
Capt. Lee Moak

(注)ALPA International (Air Line Pilots Association, International)
米国のデルタ航空、ユナイテッド航空、コンチネンタル航空、アメリカン・イーグル、アラスカ航空、フェデックス航空等の30社と、カナダのジャズ航空、エアー・トランザット等の9社、合計39社の航空会社に所属する約53,000人の運航上乗務員を組織する世界最大の国際定期航空パイロット協会


happy01 昨日、日本乗員組合連絡会議の11年12月13日付けNO.35のニュースを読み、世界の空で働く労働者が日本航空労働者のたたかいに熱いメッセージを寄せていることを知り、すごく嬉しくなりました。働く者の国を超えての強い連帯感を久しぶりに感じました。
 それで紹介させていただくことにしました。


JAL整理解雇問題に世界中の仲間が

大きな関心と熱い支援の声を寄せています!

日乗連ではJAL整理解雇問題について、LEGALINDUSTRIAL・整理解雇対策特別委員会を中心に取り組み、国際的にもIFALPA各加盟協会等の関係団体・組織への情報発信を行ってきました。JAL整理解雇撤回裁判は1219日に乗員裁判が、そして21日に客乗裁判がそれぞれ結審を迎え、来年3月には判決が出される予定です。

海外の多くの乗員は、このような日本航空が行った運航乗務員の解雇を驚きと憤りを持って受け止めており、
IFALPAInternational Federation of Air Line Pilots Associations:国際定期航空操縦士協会連合会)とOCCCOneworld Cockpit Crew Coalition:ワンワールド乗員組合連合会)は、公正な判決を求める陳述書を東京地裁に提出しました。また、この裁判を通して正義を探求する日乗連と日航乗員達に、世界中の仲間から闘いを支援する熱いメッセージが寄せられています。

日乗連は、これらの海外の多くの乗員の声を紹介し、本件に関する海外のパイロットの認識と現状を伝える陳述書を裁判所に提出しました。


ALPA Internationalの他にも以下のパイロット団体から支援の声が届いています。

ALPA・フィンランド会長 Capt. Sami Simonen

ALPA・ウルグアイ会長 Capt. Francisco Mazzilli

ALPA・イスラエル会長 Capt. Rony Zohar

スターアライアンス・パイロット協会 執行委員長 Capt. Ron Abel

ASAP (The Association of Star Alliance Pilots):全日空をはじめとして、エア・カナダ、エア・チャイナ、ニュージーランド航空、アシアナ航空、オーストリア航空、ブリティッシュミッドランド航空、ベルギー航空、コンチネンタル航空、エジプト航空、LOT・ポルトガル航空、ルフトハンザ航空、スカンジナビア航空、シンガポール航空、南アフリカ航空、スイス航空、TAP・ポルトガル航空、タイ航空、トルコ航空、ユナイテッド航空、US・エアー等、スターアラインスグループに加盟する世界25社の航空会社に所属する約26,000名の乗員を組織するパイロット協会

 

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2011年12月22日 (木)

日本航空客室乗務員原告団の訴訟が結審  12月21日

 

なぜ、まじめに働いてきた労

働者が、人間扱いもされず、

放り出されなければならない

のでしょうか

 

   山田純江さん(56才)

 日本航空にパイロットと客室乗務員の解雇撤回を求める裁判は12月21日、東京地裁(白石哲裁判長)で客室乗務員原告団の訴訟が結審しました。判決は来年3月30日の予定です。

 

 口頭弁論では、2人の原告が意見陳述。過去の「病欠」を理由に解雇された女性(40)は、2009年4月に復帰して1年5ヵ月も働いていたのに、10年9月末から乗務を外され、12月末に解雇となりました。

 「職場の客室乗務員は、病欠にちゅうちょしています。これでは日航の再生はかなえられません」と訴えました。

 

 53歳以上の年齢基準で解雇された山田純江さん(56)は、泊まりがけとなる国際線垂務などを、家族の協力を得て、同僚と励ましあいながら、子育てや親の介護と両立させてきたことを語りました。

 「なぜ、まじめに働いてきた労働者が、人間扱いもされず、放り出されなければならないのでしょうか。私たちには、安全運航を支えてきた自負があります。一日も早く職場に戻って働きたい」と強調。2人の陳述に原告席と傍聴席からすすりなく声が聞こえまし 

 

 白石裁判長は、解雇の必要性があったかどうかがこの裁判の争点だ、とあらためて指摘し、原告と会社側双方に、まとめの陳述を求めました。

 

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(結審の報告集会 21日)
 原告代理人の安原幸彦弁護士は、証人尋問で稲盛和夫日航会長が「会社の収益からいえば、誰が考えても、雇用を続けることは可能だった」と述べていると指摘。「解雇しなければならない事情は何ひとつ認められない」とのべました。

 

 会社側は、パイロット裁判に引き続き「整理解雇4要件を適用せずに解雇しても許される」と主張するため、学者4人の「意見書」を提出。白石裁判長は、「意見書を提山する予定を言っていなかったが」と述べ、「意見書」を提出しない扱いにすると決定しました。

 

 パイロットの訴訟は12月19日に結審し、来年3月29日に判決が出される予定です。

   (「しんぶん赤旗」2011年12月22日付より)


happy01 今日は毎日新聞が結審の模様を短いスペースで伝えていました。
 これで、パイロット、客室乗務員の結審となり来年3月の判決勝利に向けて力を合わせる重要な段階に来たと思うのです。

 

 

 


 

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2011年12月20日 (火)

日本航空パイロット原告団の訴訟が結審  12月19日


尊厳砕く解雇撤回を
  副操縦士 原昌一さん(58才)

 日本航空にパイロットと客室乗務員の解雇撤回を求める裁判は12月19日、東京地裁(渡邉弘裁判長)でパイロット原告団の訴訟が結審しました。判決は来年3月29日の予定です。

 原告の原昌一さん(58)=副操縦士=が意見陳述。自衛隊員だった原さんは、自衛隊機パイロットの現役年齢が40歳前後だったことから、60歳の定年まで現役を続けられる民間航空会社に転職しました。防衛省と民間航空会社には、パイロットを「国家的財産」として有効活用するという合意があります。

 原さんは、「技術と経験を生かして、安全運航をまっとうしてきた。会社は安全運航が必要だというなら、なぜベテランを解雇するのか。人間の尊厳を打ち砕く解雇だ」と訴えました。

 原告代理人の船尾徹弁護士は、日航が解雇を強行した時点で史上最高の営業利益をあげており、稲盛和夫会長も「(解雇した)160名を残すことは不可能ではない」と発言し、今年度も東日本大震災の影響を受けても大幅な黒字だと指摘しました。「労働者を解雇しても、損害を被った関係者への償いにはならない。むしろ労働者の力を生かしてこそ、貢献になる」と強調しました。

201112201
(報告集会に日航労働者と支援者たち)
 会社側は急きょ、結審直前に4人の学者の「意見書」を提出し、「今回の事例は、整理解雇法理を適用せずに解雇しても許される」という主張をはじめました。

 「整理解雇の4要件」に照らして解雇が認められるのかをお互いに主張立証してきた審理を最後にすべてくつがえそうとする卑劣な会社側主張に対して、原告側が抗議。渡邉裁判長は、会社側が提出した「意見書」は証拠として採用しないことを決めました。
              (「しんぶん赤旗」12月20日付より)

happy01  昨年12月9日に日本航空はパイロット94名と客室乗務員102名に12月31日をもって解雇することを通告しました。
 不当な整理解雇をだまっていたら日本の労働者働く権利はどうなるのか、いくら考えても不条理であり日本航空の行為は不当であり絶対に許せません。(あまり絶対という言葉は使いたくないけれど、絶対の言葉を選ばざるをえません)
 そうした中で、12月21日に初めて「日本航空の不当解雇撤回を求める」の記事を書き、それ以来、日航労働者のたたかいと連帯しようとできるだけ記事を書くようにしてきました。
 マスメディアがこのたたかいを正確に国民に伝えようとしていない中で、争議団と国民支援共闘会議からの情報発信と「しんぶん赤旗」からの情報発信がないと現状を正しく知ることができないのです。「しんぶん赤旗」はすばらしいと思います。
 今日も、できるだけ商業紙を見てみましたがパイロットの結審についての報道は見当たりませんでした。
 これからも私のできるだけのことをしていきたいと思っています。

 

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2011年12月18日 (日)

玉葉橋から2回目の富士山日の入り  12月17日

富士山の日の入りは魅力的
江戸川の土手には写真愛好家が並びました

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 冷え込みがあって富士山の撮影には好条件なので出かけました。
この日は前回とは反対側の富士山に向かって玉葉橋の左側で場所を探しました。ポイントを定めるまでに迷いがあって時間がかかりました。

大勢の写真愛好家が

 江戸川土手には大勢の愛好家が並びました。
話になった方は東京から来ていて、東武線の運河駅から歩いてきたそうで、飴をいただきました。
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(江戸川に夕日が)
日の入りは何回見てもすばらしい

 
 前回の経験を生かし挑戦するのですが、日の入りの富士山の撮影は難しいですね。
「よしうまく撮れた」という写真がなかなかできません。それでいいと思っているのですが。それでも太陽が富士山に沈んでいって周りの様相が大きく変わっていく姿は何回見てもすばらしいです。
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(鳥の群れが)
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(太陽が富士山の頂上の上に)
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(太陽が富士山に沈み始めました)
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(太陽が沈んで行きます)
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(さらに沈んで行きます)
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(さらに沈みます)
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(太陽がわずかに姿を残しています)
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(あとわずかで沈みます)
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(16時25分完全に太陽が富士山に隠れ周りの様相が大きく変わりました)
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(太陽の残光が上に大きく広がっています)
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(おもむきが変わって静かな感じに)























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2011年12月17日 (土)

さいたま市荒川総合運動公園からの富士山 12月13日

再度
さいたま市桜区荒川総合運動公園へ


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 これまでに、荒川総合運動公園の近くまで行っていたのですが、正式には荒川総合運動公園まで行っていなかったので再度訪ねました。
今回は、現地に着いたのは午前10時で、広い運動公園であることがわかり、テニスコートで楽しんでいる人たちがいました。

運動公園の土手から富士山を写す

 土手に上がって行くと、バタバタとキジが1羽飛び立ったのでびっくりしました。
土手の上の位置を変えて歩いて富士山を写しました。
富士山の裾野にもやがかかっているようで鮮明な富士山とはなりませんでした。
 今回、土手で1人で何かを植えている人がいたので声をかけました。その方は彼岸花の球根を植えていて、長期的にコツコツと彼岸花を増やしているそうで、来年花が咲く時期に訪ねる約束をして別れました。

富士山の写真
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(飛行機が飛んで行きました)
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(テニスコートと富士山)
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