世界に誇れる憲法9条を生かしたい   7月17日

六 戦争の放棄

みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの國々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

 もう一つは、よその國と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぽすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

(あたらしい憲法のはなし六項から引用)

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happy02 「あたらしい憲法のはなし」は、
憲法が公布されてから10ヶ月後の1947年8月に文部省によって発行され、全国の中学生が1年生の教科書として学んだものです。
 しかし、この教科書は2~3年使われただけでした。1950年朝鮮戦争、1952年安保条約が結ばれ、警察予備隊が生れ自衛隊に変わってゆく時代の流れの中で、教室から姿をけしていってしまったのです。

bud 崇高な常備軍を持たないという理想実現に向けての呼びかけで、読み返すと感動します。
これだけすばらしい憲法を持っているのだから、それが実現しない限り、時間がかかるかもしれないけれど、諦めずに憲法を生かすために努力するのが私たちの責任だと思うのです。これが私の憲法と第9条に対する基本姿勢です。

angry 残念なことに、60年以上も続いた自民党政治のもとで、自衛隊が存在する中で、“自衛隊なしに日本の安全は守れない”という考えが広められました。
 国民が“自衛隊をなくしてもいいよ”という気持ちになるには、それだけの時間と手続きが必要になっています。ですから私は国民の合意で自衛隊をなくしていくことが必要と訴えたのです。
しかし、今回の大洗の自衛隊派遣は異常であり、こうしたことは見過ごしてはならないと考え申し入れをしました。

happy02 そこまで行き着くまでの時期に、大規模災害など、必要にせまられた場合には、国民の生命と安全を守るために自衛隊を活用するのは当然だと考えます。3.11東日本大震災で自衛隊はそうした役割を果たしたと思います。
消防や、警察も組織をあげて、その任務を全うするために全力を尽くしました。
 私が考えたのは、自衛隊をなくしていく過程で、地震災害が多い日本では特別の「災害救助隊」のようなものに変えていける可能性もあるのではないだろうかということです。これはみんなで考えて決めていけばいいのではないでしょうか。

angry 私の申し入れのブログに何通かの批判の書き込みがされました。
そのほとんどが、誹謗、中傷のマナーに欠けた物でしたので削除し、名前の書いてあるものは掲載しました。

 

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2017年9月10日 (日)

酔芙蓉 朝 昼 夕 にかけてみごとに変容 9月8日

  酔芙蓉(すいふよう)

白から →  薄ピンク →  紅色 と変化する一日花

酒に酔ったように色を変えていく
だれがつけたかわかりませんが酔芙蓉(すいふよう)すばらしい名前では・・・

3年前に酔芙蓉を初めて知りましたが、昨日、通りがかりに開花を見て、花色の変化を追ってみました。
 酔芙蓉は芙蓉の花の仲間で芙蓉の園芸種で、白から薄ピンク紅色にみごとに変化する1日花です。見ていて改めて感動しました。
芙蓉は中国が原産地で室町時代から育てられているようです。

clover 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

1日、4回 撮影 - 各5枚紹介


❶ 午前6時25分~

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❷ 午後1時37分~

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❸ 午後4時10分~

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❹ 午後5時59分~

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2017年8月21日 (月)

沖縄不屈の結束 琉球新報、沖縄タイムス 両編集局長が語る 

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 しんぶん赤旗日曜版が沖縄の今を県民に寄り添って真剣にジヤーナリズムの精神を発揮し続けている沖縄タイムスと琉球新報の両編集局長の思いを伝えました。
 
 しんぶん赤旗日曜版8月20日号から引用させていただきます。

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「無力感」に追いつかれるな
琉球新報編集局長  普久原(ふくはら) 均 さん

Fukuhara
 沖縄の新聞として米軍新基地に反対するのは当たり前です。住民の視点に立てば、むしろ
反対しない方が偏っています。
 1995年の米兵による少女乱暴事件後、私たちの世論調査で、新基地建設賛成が反対を上回ったことは一度もありません。常に反対が6割を超え、8割に達することもあります。沖縄の土地も空も海も、使い方は県民の民意で決めるべきです。
 名護市長選、沖縄県知事選、衆院選の県内選挙区、参院選沖縄選挙区で新基地反対の候補が当選しました。県民は、あらゆる民主主義的手続きで民意を正当に示している。それなのに政府は工事を強行する。政府は県民が諦め、無力感にとらわれるのを待っています。
 私たちは「無力感に追いつかれるな」といっています。政府の意図を見抜き、県民を励まし、力を与える。そんな報道に力を入れています。

「人権侵害正す」報道の原点

 なにより基地問題は人権の問題です。
 米兵犯罪は今も深刻です。米兵が県民を犠牲にする事件を起こしても、基地に逃げ込めばほぼ確実に、証拠隠滅も口裏合わせも可能です。今の米軍基地は治外法権として存在しているからです。
そういう状態を放置していいのか。人権侵害を正す報道はジャーナリズムの原点中の原点です。
 オーストラリアで米軍普天間基地配備のオスプレイが墜落しました。昨年12月には名護市沖に墜落しました。
 オスプレイの沖縄配備を防衛省が発表したとき、知事をはじめ県内の全市町村長が反対しました。民意を一切無視した政府による配備強行は「沖縄に民主主義を適用しない」というのに等しい。どう見ても、著しい人権侵害です。
 しかも日本政府は、オスプレイ配備計画を20年近く隠ぺいしてきました。民主主義の基本である情報の公開性と透明性を欠き、民主主義的な意思表示も踏みにじっている。そういう中で配備を強行し、実際に墜落した。沖縄県民の命をなんだと思っているのか。
 必ず関わる問題
 沖縄の新聞記者は、どんな問題の担当でも、どこの地域を取材していても、いずれぶつかるのが沖縄戦と米軍基地の問題です。記者生活を続けるうちに、自然と基地問題への意識の鋭さは養われます。
 私も入社当時は基地問題への意識は低い記者でしたが、95年の少女乱暴事件が私を根本的に変えました。
 沖縄は、民主主義と人権を自分の力で勝ち取ってきた歴史があります。
世界最強の米軍を向こうに回し、沖縄復帰を実現させました。民意を示すことで、人権を一つひとつ勝ち取ってきたのが沖縄の戦後の経験です。そういう体験がある以上、県民はこれからも不屈にたたかい続けると思います。

日々オスプレイの恐怖実感
沖縄タイムス編集局長  石川 達也さん

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 米軍普天間基地(宜野湾市)に24機配備されているオスプレイの1機が昨年12月、名護市安部沿岸に墜落しました。別の機が同じ日に同基地で胴体着陸し、今回ほかの機が豪州で墜落し、3人の死者を出しました。
 24機のうちの3機が事故やトラブルを起こしたことになります。
こんな航空機がはたして安全なのか。日米両政府が言う「安全」をうのみにはできません。
 私は、宜野湾市の大謝名(おおじゃな)に住んでいます。すぐ近くをオスプレイが飛んでいます。ヘリモードで通った時の振動は下から来る。落ちてくるかもしれないという恐怖で、大きなストレスがあります。
 オスプレイ配備には、「オール沖縄」で政府に撤回を要請し続けてきました。日本政府はアメリカ側に立つのではなく、県民の立場に立ち、配備撤回を求めるべきです。

政府に矛盾点を問い続ける

 沖縄タイムスの創刊(1948年)メンバーは戦前から沖縄で新聞記者をしていました。大本営発表をそのまま報道し、結果として悲惨な沖縄戦を招いたという反省をもとに。二度と戦(いくさ)につながるペンをとらない″という思いで立ち上がりました。その基本的なスタンスは、われわれにも引き継がれています。米軍の被害や米軍が駐留することによる矛盾点を追及していく姿勢の根本はここからきています。
 戦後70年以上たっても、沖縄の基地問題が解決しない最大の原因は、日本政府の姿勢です。常にアメリカ側の意向に寄り添う形でいろんな施策を日本政府が進めてきました。
 実際に被害にあうのは、日本国民たる沖縄県民です。日本政府は主権国家として、誰のために国家を運営していくのかというのを本当に考えてほしい。
 世論の6割反対
 今年春に沖縄タイムス、朝日新聞、琉球朝日放送との合同で世論調査を実施しました。新基地建設に対しては、6割以上の人が反対です。沖縄の人たちは戦後70年以上、基地による過重な負担を強いられてきました。新たな基地をつくることには、強い憤りを持っています。
 日本政府が強硬に工事を進める中、一自治体がどれだけのことができるかは難しいものがあります。翁長知事は、建設ノーのスタンスを貫いて〝あらゆる手段を駆使していく〟と言っている。
炎天下、ゲート前に座り込む県民の行動には頭が下がる思いです。
 われわれメディアは、何をすべきか。沖縄に根を張る新聞社として、新基地建設の矛盾を客観的に伝え続けることだと思っています。
 われわれ報道にいる人間としてはあきらめるわけにはいきません。新基地建設という不条理な話を〝もう何十年もたったからいいです〟とはならない。
 時の権力に対して、一人ひとりの力は小さいけれども、みんながその力を合わせれば、動かすここはできるんじゃないかと思っています。
 これからも変わらず、矛盾点や違和感を政府にも発し続けます。そのスタンスは県民や読者がしっかり支持してくれると確信しています。

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2017年8月20日 (日)

カラスウリ  花の不思議を知る   8月18日

私の一番身近にあるカラスウリの生息地は家を出てすぐ側のアーバンパークライン(東武野田線)の踏切からすぐ近くで毎年秋になると橙色のきれいな実をつけます。
 散歩コースになっている古隅田緑道、古隅田公園でもよく見ることができます。

 2007年の8月に「しんぶん赤旗」の潮流でカラスウリは夜花を咲かせるということを知って驚きで、早速、本当にそうなんだろうかと古隅田緑道に出かけ確かめることができました。

あれから10年、あらためてカラスウリの開花を見てみたくなりました。

clover 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

8月14日、古隅田緑道に出かけました。

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(18時06分)
午後6時前に家を出かけ、適当なカラスウリが生息する場所を定め観測をはじめました。6時半を過ぎると周りは真っ暗になっていきました。ヘッドライトをつけて観測です。体臭を嗅ぎつけてでしょうか、蚊や虫が襲って来るので大変でしたが、7時前後からカラスウリの開花が進み、闇夜に白く開花する様子はみごとでした。

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(18時41分) 若い瓜実の実が
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(18時52分) 花茎に子房が
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(18時54分) 花茎に子房が
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(19時13分) 花がほぼ開き奥に瓜実が
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(19時14分) どこでも満開に
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(19時18分) 満開に 
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(19時20分) 花の中央に子房から伸びてきた柱頭が

蕾から開花する前後の経過が不鮮明 ?
満開に開花した後はどうなっているの?

 撮ってきたビデオと写真を見ながら新たな疑問がわいてきました
1ヵ所の場所を定めずに、7時前後にカラスウリの周辺を見て歩いていたためにカラスウリが大きく開きはじめる経過を見たわけではなかったのです。
 曄が大きく開く前後をきちっと見てみたいと思いました。

雨も降ったりして17日に再挑戦

14日にはあんなにたくさん花が咲いていた場所にはほとんど開花がありませんでした。
 不思議に思い他には咲いていないだろうかと探すと群れて咲いている場所がありました。けれども大部分が大きく開花している状況でした。14日の場所より開花が早いように感じました(6時20分頃)。残念な思いで帰ってきました。
 明日の朝、満開のカラスウリがどうなっているか確認することにしました。

勉強もして18日に再々挑戦

午前8時40分頃、昨夜に満開の場所に行ってみると、みな白い蕾になっていました。
家に帰って、ネットで「カラスウリ」について情報を集め勉強。別に気にしないでいた新たなことを知りました。

〇カラスウリには雄花と雌花と別の株があり、実をつけるのは雌花の株だけ
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〇雄花の花芽は一ヵ所から複数つき、数日間連続して開花する
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〇花は翌朝、日の出前には萎む
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〇雌花の花芽は、おおむね単独でつく
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(雌花)
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(雄花)
〇雄花と雌花、もっとも分かり易い判別方法は、花茎の付け根に膨らんだ子房があるのが雌花、無いのが雄花。花が咲く前の状態でも子房がぷっくりしている
〇雌花は、花の中央に子房から伸びてきた柱頭が。雄花は、花の中央に栓をしたように葯がある

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(雌花)
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(雄花)

勉強してみて、経験したことを振り返ると「なるほど」と思えることがいくつも。しかし「そうかなあ」と不明確なことも。

今日こそ集大成できるといいなと早めに出かけました。

現場で確認すると、解説通りで全部納得できました。
 花茎の付け根に膨らんだ子房があるかどうかで雌花、雄花の判断ができることがわかりました。14日に観察した場所は雌花の株で、藪の中にいくつもの若い実をみつけることができました。
17日に観察した場所は雄花の株であることもわかりました。

こうやって、知らないでいたことを知ると本当にうれしくなってきます。

この日は、観察する花を雄花に定め、午後5時過ぎからビデオカメラも定点地で観察し、午後6時前後の開花が一番進む時間帯を見落とすことなく見ることができました。

時間経過での開花状況の紹介  雄花

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(16時57分)
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(17時23分)
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(17時45分)
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(17時47分)
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(17時48分)
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(17時50分)
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(17時51分)
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(17時53分)
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(17時54分)
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(17時55分)
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(17時56分)
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(17時57分)
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(17時59分)
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(18時01分)
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(18時02分)
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(18時03分)
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(18時07分)
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(18時08分)
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(18時10分)
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(18時13分)
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(18時15分)
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(18時16分)
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(18時17分)









































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2017年6月24日 (土)

平和宣言 翁長雄志沖縄県知事 2017年6月23日

 平和宣言  沖縄県全戦没者追悼式   

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72年前、ここ沖縄では、住民を巻き込んだ激しい地上戦が繰り広げられました。昼夜を問わない凄(すさ)まじい空襲や艦砲射撃により、自然豊かな島の風景、貴重な文化遺産、そして何より尊い20数万人余りの命が失われました。
     戦争の不条理と残酷さを体験した沖縄県民は、何をおいても命こそが大切であるという「命(ぬち)どぅ宝」の思いを胸に、戦争のない、平和な世の中を希求する「沖縄のこころ」を強く持ち続けています。

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 戦後、沖縄は27年に及ぶ米軍統治を経て、念願の本土復帰を果たしました。沖縄県民、そして多くの関係者の尽力により、現在、沖縄は国内外からの多くの観光客でにぎわうなど、大きな発展を遂げつつあります。

 その一方で、戦後72年を経た今日においても、この沖縄には依然として広大な米軍基地が存在し、国土面積の約0・6%にすぎない島に、米軍専用施設面積の約70・4%が集中しています。

 復帰すれば基地負担も本土並みになるという45年前の期待とは裏腹に、いまだに私たちは、米軍基地から派生する事件・事故、騒音・環境問題などに苦しみ、悩まされ続けています。
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 沖縄県は、日米安全保障体制の必要性、重要性については理解をする立場であります。その上で、「日本の安全保障の問題は日本国民全体で負担をしてもらいたい」と訴え、日米地位協定の抜本的な見直しや米軍基地の整理縮小などによる、沖縄の過重な基地負担の軽減を強く求め続けています。

 しかし、昨年起こった痛ましい事件の発生、オスプレイの墜落をはじめとする航空機関連事故の度重なる発生、嘉手納飛行場における米軍のパラシュート降下訓練や相次ぐ外来機の飛来、移転合意されたはずの旧海軍駐機場の継続使用の問題などを目の当たりにすると、基地負担の軽減とは逆行していると言わざるをえません。
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 特に、普天間飛行場の辺野古移設について、沖縄の民意を顧みず工事を強行している現状は容認できるものではありません。

 私は辺野古に新たな基地を造らせないため、今後も県民と一体となって不退転の決意で取り組むとともに、引き続き、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など、沖縄の過重な基地負担の軽減を求めてまいります。

 国民の皆様には、沖縄の基地の現状、そして日米安全保障体制の在り方について一人一人が自ら当事者であるとの認識を深め、議論し、真摯(しんし)に考えて頂きたいと切に願っています。

 一方、世界では、依然として地域紛争や、人権侵害、難民、飢餓、貧困、テロなどが人々の生活を脅かしており、また、国際情勢はめまぐるしく変化し、予断を許さない状況にあります。

 今こそ世界中の人々が民族や宗教の違いを乗り越え、協力して取り組んでいくことが求められています。

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 今年は、日本国憲法が施行されて70周年、沖縄県に憲法が適用されて45周年になりますが、この節目に、憲法の平和主義の理念を再確認し、私たち一人一人が世界の恒久平和を強く願い求め、その実現に向け努力を続けなければなりません。

 先日お亡くなりになった大田昌秀元沖縄県知事は、沖縄が平和の創造と共生の「いしずえ」となり、再び戦争の惨禍を繰り返さないことの誓いとして、敵味方の区別なく沖縄戦で命を落とされたすべての方々を追悼する「平和の礎(いしじ)」を建立されました。
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 私たちは、沖縄に暮らす者として、この「平和の礎」に込められた平和の尊さを大切にする想(おも)いを次世代へ継承するとともに、未来を担う子や孫のため、安全・安心に暮らせるやさしい社会、いつまでも子ども達(たち)の笑顔が絶えない豊かな沖縄の実現に向けて、絶え間ない努力を続けてまいります。

 慰霊の日に当たり、戦争の犠牲になった多くの御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、平和を希求する沖縄のこころを世界へ発信し、恒久平和の実現に向け取り組んでいくことをここに宣言します。

 2017年6月23日 沖縄県知事 翁長雄志

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2017年6月23日 (金)

誓い~私達のおばあに寄せて~宮古高校3年 上原愛音

誓い ~私達のおばあに寄せて~

 宮古高校3年 上原愛音(ねね)

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今日も朝が来た。

母の呼び声と、目玉焼きのいい香り。

いつも通りの
平和な朝が来た。

七十二年前
恐ろしいあの影が忍びよるその瞬間まで
おばあもこうして
朝を迎えたのだろうか。

おじいもこうして
食卓についたのだろうか。

爆音とともに
この大空が淀んだあの日。

おばあは
昨日まで隠れんぼをしていたウージの中を
友と歩いた砂利道を
裸足のまま走った。
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三線の音色を乗せていた島風に
鉄の臭いが混じったあの日。

おじいはその風に
仲間の叫びを聞いた。
昨日まで温かかったはずの冷たい手を握り
生きたいと泣く
赤子の声を抑えつけたあの日。
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そんなあの日の記憶が
熱い血潮の中に今も確かにある。

決して薄れさせてはいけない記憶が
私の中に
私達の中に
確かに刻まれている。

少女だったおばあの
瞳いっぱいにたまった涙を
まだ幼かったおじいの
両手いっぱいに握りしめたあの悔しさを
私達は確かに知っている。

広がりゆく豊穣の土に芽吹きが戻り
母なる海がまた
エメラルドグリーンに輝いて
古くから愛された
唄や踊りが息を吹き返した今日。

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でも
勇ましいパーランク―と
心臓の拍動の中に
脈々と流れ続ける
確かな事実。

今日も一日が過ぎゆく。

あの日と同じ刻ときが過ぎゆく
フェンスを飛びこえて
締め殺されゆく大海を泳いで
癒えることのない
この島の痛み
忘れてはならない
民の祈り
今日響きわたる
神聖なサイレンの音に
「どうか穏やかな日々を」
先人達の願いが重なって聞こえる。

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おばあ、大丈夫だよ。
今日、私達も祈っている。

尊い命のバトンを受けて

祈っている。

おじい、大丈夫だよ。

この島にはまた
笑顔が咲き誇っている。

私達は
貴方達の想いを
指先にまで流れるあの日の記憶を
いつまでも
紡ぎ続けることができる。

誓おう。

私達はこの澄んだ空を
二度と黒く染めたりしない。

誓おう。

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私達はこの美しい大地を
二度と切り裂きはしない。

ここに誓おう。

私は、私達は、
この国は
この世界は
きっと愛おしい人を守り抜くことができる。

この地から私達は
平和の使者になることができる。

六月二十三日。

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銀の甘藷(かんしょ)が清らかに揺れる今日。

おばあ達が見守る空の下
私達は誓う。

私達は今日を生かされている。

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2017年3月 9日 (木)

国・東電の責任を明らかにし、住民に寄り添った施策を

 東日本大震災から6年を迎える今、原発事故への対応について、現状をどう認識し対応すればよいのだろうか指針がほしいと思っていました。3月8日原発事故と人権ネットワークが緊急提言を行ったことを知りました。
 早速、全文と要旨をよんで総合的な指針が示されているように思いました。
要旨を紹介させていただきます。

 原発事故と人権ネットワークは、原発事故被害の賠償訴訟の弁護団や、法律家、科学者、ジャーナリストなどの11団体で構成されています。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

「国・東電の責任を明らかにし、住民に寄り添った施策を― 原発事故6年を経過するにあたって、私たちの緊急提言」の「要旨」は次の通りです。

                                    2017年 3月 8日
                                     原発と人権ネットワーク

1:あらゆる政策について、行政区画による官僚的、画一的な対応を改め、実態に即した対応をすること。

政府の施策の最大の問題は、地域や生活の実態を詳細に見ることなく、住民を行政区画や地域で分断し、一方的に、補償など復興施策や帰還政策の「線引き」を行っていることです。この姿勢を改め、被災者ひとりひとりの実態を直視した対応が求められています。 今回の事故に対する政府・東電の対応は、端的に言って、「差別」と「分断」です。原発による放射能汚染状況は、エリアと自然状況で、区別されることはあっても、それ以外で違いが出てくるものではありません。
ところが政府の対策は、自治体やその中の「字」の違いで、避難についても補償についても「差別」し、住民の中に亀裂を生みました。道一つ隔てて、あるいは、入り組んでいても、地域的なコミュニティが形成されていても、一切お構いなしで、行政区画による官僚的な「対策」が進められました。その結果、住民の間に深刻な溝ができ、被災者の中に「差別」が生まれています。

2:帰還政策では、指定解除、住民帰還と補償を結びつける考え方を捨て、現実に被災者の生活が成り立ち、事故前と同様な生活が可能になるよう、生活補償を継続、拡充すること。

国は、「除染」を実施し、「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」について「安全が回復された」として一方的に「安全」を押しつけ、帰還を強制しています。
しかし、この政策は不合理で、著しく住民を苦しめています。なによりも、指定を解除し「帰還可能」とすることと、補償の打ち切りを結びつけることで避難者に「帰還」を強制しています。しかも、この強制が上記1の「線引き」を前提に、画一的に推し進められていることが更に被災者を苦しめることとなっています。
こうした「帰還」を強制する政策は直ちに中止し、全ての被災者に、その必要性と実態に合った補償を継続・徹底すべきです。

3:指定区域外の避難者(「自主避難者」)への住宅供給措置の打ち切りを中止し、これまで通り住居を確保、生活を保障すること。

原発事故で、避難の指定を受けた地域以外からも、多数の避難者が全国に避難しています。「自主避難者」と呼ばれ、あたかも自分たちで勝手に住居を移したような見方さえされています。これらの人たちにも、住宅支援などがされていますが、政府、東電はこの3月、この住宅支援を打ち切ろうとしています。
家を失うことは、生活が破綻するということであり、人間の「生きる権利」を奪うものです。国と東電は、被災の実態を見ずに人々の住居を一方的に奪うことをやめ、その責任において被災者の「生きる権利」の保障に向かうべきです。

4:営業損害賠償にも、さらに積極的に対応をすること

営業損害賠償についても、「原発事故との相当因果関係が必要だ」との主張から、要求があっても支払われなかったり、減額されたり、打ち切られる例も広がっています。
原発事故が事業に与えた打撃が明らかである限り、無条件の賠償がされるべきです。

5-1:健康対策については、行政区画による住民への選別、差別をやめ、予防原則に沿って、地域の放射能汚染調査と住民の健康調査を徹底させ、生活支援、医療費の無償供与などを実施すること

原発事故による放射能汚染は、政府、東電の調査による地域だけでなく、福島県全域、あるいは近接各都県のホットスポットの存在など広範に広がっています。政府、東電は、行政区画による住民の差別、選別をやめるとともに、その被害が後日どんな形で現れてくるかわからないことを前提にして、予防原則に沿って、対策を進めるべきです。
政府は、まず、自治体の協力を得て、福島にとどまらず、環境省の放射能汚染状況重点調査地域の全てを含め、地域のモニターを増やしてデータを蓄積していくべきです。必要な地域全域、全戸の汚染状況を調査し、全住民の健康調査を実施し、これからの被害対策に役立てていくべきです。
また、甲状腺がん、呼吸器疾患などについて、科学的な因果関係が十分証明されない状況でも、十分な対応が必要です。

5-2:健康手帳の配布、それを活用できる体制の整備につとめること

健康調査をどこでも誰でも、無料で受けられる制度と体制を作り、被害が明らかになった場合には、十分な手当がなされるようにすべきです。
そのためには、被災の可能性が出ている全域にわたって、健康手帳を配布し、活用できる体制を整えるべきだと考えます。
健康調査の実行にあたっては、これまでも、住民個人に調査内容を伝えなかったり、客観的データを公表しなかったり、地域や各住居の調査が方法は曖昧だったり、問題が指摘されています。こうしたことがないよう、積極的な対応が求められています。

6:住民の被害について、単なる経済的な積み上げだけでない調査を徹底すること。指定区域外からの避難者も含め、改めて被害の実態を調べ、責任を持って対応すること

原発事故の被害は、単にこれまでの住居や生活を奪われるということではなく、被災者の人生、そして地域の人々のつながりや自然とのかかわり、祖先や古くからの伝統とのつながりなど、ふるさとの文化そのものを破壊しました。
避難した住民は、指示された人も、されなかった人も、事故がなければ自らの責任でそれぞれが希望を持って生活していたはずです。何の理由もなくその生活を奪われた被災者は、いくら賠償金を積まれても満足できません。「謝れ、償え、原発をなくせ」という要求は、こんなことが世界中、どこでも再び起きない確約で初めて癒されるでしょう。
破壊されたのは、ふるさとの文化であり、金銭に換えられるものはわずかです。国、東電は、そのことに思いを致し、経済的な積み上げでははかれないこうした被害の実態に正面から向き合い、責任を持って対応すべきです。

7:被災者については、指定区域内、指定区域外からの避難であることにとらわれず、今後の生活設計での自主的選択を尊重し、選別、差別なく対応すること

既に「差別」の問題を指摘したように、原発事故が引き起こした大きな問題のひとつは、住民の中に、避難した人、残った人の生活上の事情や、区域の線引きによる補償などによって、感情的な齟齬が生まれたことです。政府、東電はこれを利用して責任を回避する姿勢を続けています。事故を受けて、10数万の県民が避難し、190万の人は避難はしませんでした。しかし、どちらの場合も健康不安やコミュニティの破壊、喪失、そして変質、変容に直面し、苦しんでいることに変わりはありません。
原発被害はいまなお継続、拡大しており、被害は回復していません。しかし例えば、仮に被害回復の方策が見つかり、十分の補償がされたとしたとしても、新しい土地での生活を発展させるか、帰還して生活を再建するかの選択は、被災者個々が自主的に判断するべきであり、国、東電の対応策は、このことを尊重したものでなくてはなりません。
事故から既に6年、被災者の事情も、周囲の環境も変化しています。この観点に立って、国と東電は、被災者ひとりひとり、個々の事情を丁寧に聞き、対応策を講じるべきです。

8:住宅地のほか、農地、山林、動植物の汚染についても、正確な調査をし、必要な対策を講ずること

福島県内の「除染」作業は、住宅の周辺、道路、公共施設などを中心に進められ、一定の効果を上げているとみることができます。しかし、「除染」は、20ミリシーベルトを基準として行われていますが、「除染」した地域でも、放射能汚染は残り、生活条件は整備されていません。その土地で、元の生活を営む条件が整ったとはとても言えません。
にもかかわらず、国は「除染」によって安全が回復された、と一方的に「安全」を押しつけ、帰還を強制しています。
もともと事故によって、放射性物質がどう飛散し、地域がどう汚染されたかについて、継続的なきちんとした調査行われていません。例えば、各地で記録されている線量計のデータにしても、地表や違う高さについてはわかりませんし、一層きめ細かく記録され、継続的に住民に知らされることが必要です。
「放射性物質は無主物」(なのだから東電として責任を負わなくて良い)などといった詭弁を弄することなく、法的責任の上に立って、徹底的な継続調査を実施し、その上で対策を講ずべきです。
「里山除染」「フォローアップ除染」などはどうしても必要ですし、新しい技術開発も必要でしょう。除染が届かない農地や山林の汚染、自然界に生息する動物たちの汚染に対応した管理体制も必要です。

9:中間貯蔵施設の設置については、あくまでも住民の意思を尊重し、正確な情報をもとに丁寧な合意形成に努めること、

現在、福島県内の各所では、フレコンバックに詰め込まれた放射性廃棄物が住居に隣接する農地などいたる所に仮置きされています。一部で中間貯蔵施設の建設が急がれていますが、設置に当たっては、住民の意見に十分耳を傾け、住民同士の合意形成を最大限尊重しながら、進めるべきです。
中間貯蔵施設については、搬入から30年以内に県外で最終処分するとされていますが、その点に住民は極めて大きな不安を持っています。正確な情報をもとにした丁寧な合意形成に努めるべきです。
また、「安全が回復された」として避難指示解除準備区域及び居住制限区域を解除し、帰還を強制しようとする政策は、廃棄物を現状のままにしては、帰還者に放射性廃棄物とともに生活することを強いるに等しいもので、はなはだしい人権侵害と言わなければなりません。少なくとも中間貯蔵設備の設置が現実化し仮置場が解消するまでは帰還を事実上強制するような政策は採るべきではありません。

10:国と東電は、福島第一原発の事故収束、廃炉作業の方針について、少なくとも100年―200年単位の長期的見通しを持って、冷静に解決策を検討し、住民の理解を得つつ、放射能の飛散がこれ以上ないよう、事故炉を遮蔽、隔離する方策も検討すること

昨年3月、福島大学で開催した第3回「原発と人権」全国研究・交流集会では、破壊された事故炉の活動をどう収束させ、廃炉にするかについての「中長期ロードマップ」について深刻な疑問が出されました。燃料の取り出しから廃炉作業を経て更地にするという道筋はとても、30-40年で達成できるものではないと指摘され、「環境への放射性物質放出と被曝労働、費用を最小にするには、当面放射能を隔離・管理する作業をし、燃料取り出しは100-200年後に行うべきではないか」という意見も出されました。
被災住民からすればそのような意見を容易に受け入れられないことは当然ですが、核燃料がメルトダウンし、炉を破壊する事態になっている現在、私たちの世代で「福島原発事故」を解決できないことは明らかです。
事故を起こした私たちの世代で、この問題が解決できないこと、結局、事故現場の周辺の住民に世代を超えた負担を負わせることになることは、非常に残念なことです。しかし、私たちはこの事実を事実として受け止め、こうした処理の方法も冷静かつ真摯に検討すべきであり、周辺の住民の生活再建についても、事故の収束、廃炉作業の見通しを前提に検討しなくてはなりません。原発をどうしていくか、の議論を深めていくためにも、この方策について、国民的な論議を起こしていくべきだと考えます。

11:自治体は国の施策に追従するのではなく、主体的に住民の要求を組み上げ、住民の立場に立って国と東電に対応策を要求すること

今回大きな被害を受けた自治体は、これまで原発を地域開発の重要な施策と位置づけ、国策に沿った形で原発を推進してきました。しかし、その政策が誤りだったことが明らかになったいま、国や東電の無責任な姿勢を住民の立場から糾し、地域と住民の要求を実現するため先頭に立って努力することが求められています。具体的な施策について、自治体は国の施策をこなして住民に伝える姿勢ではなく、住民の要求から出発した施策を国や東電に求める姿勢に転換すべきです。例えば、福島県内の自治体は、全県民の要求である「福島全原発の廃炉と自然エネルギーへの転換」の運動の先頭に立つべきです。
地震、津波から原発の破壊に至った事故発生のメカニズム、原因も依然、明らかではありません。廃棄物処理、残土処理の長期的見通しもあいまいです。自治体はこれらについて、情報公開を徹底し、国や東電に積極的に働きかけていくことが求められています。

12-1:原発労働の中間搾取などの違法な実態を改め、労働者の健康管理を徹底すること。

原発労働については、事故直後こそさまざまに語られましたが、その後は忘れられたように放置されてきています。しかし、ますます危険になりかねない労働が、幾重にも積み重ねられた下請け構造の中で、作業費も中間搾取されている状況は変わっていません。
政府は原発労働者の契約関係と作業実態について、労働法規に基づいて調査し、違法状態を改めるとともに、除染労働者について健康管理を徹底すべきです。これは急務です。

12-2:除染労働についても、同様に作業と健康の管理を徹底すること

除染に当たる労働者の契約、作業形態、被曝状況についても、ほとんど明らかにされないまま行われ、健康についても十分管理されていない状況があります。原発労働者と同様に線量計の携帯による対応策、健康管理の徹底が必要です。

13:問題解決のための費用負担について、十分な情報公開の下で、道筋を明確にし、国民合意の中で進める方針を確立し、議論を始めること。

原発事故の被害については、原子力賠償責任法で措置することが決められ、50億円からスタートしましたが、既に1961年には原子力産業会議は、最大3兆7300億円と計算していました。現在の事故の損害額は21兆5000億円とも25兆円とも言われています。この費用を最終的にどこが負担するか。東電を破産させて国が補償しても、また電気料金に上乗せすることにしても、どちらの場合も、国民が負担しなければならないことは間違いありません。このことを明確にし、国と東電は法的責任を認め、その上で、国民的な議論を起こし、民主的な解決策を示すべきです。
さらに、国は原発再稼働を推進していますが、新たな原発事故が起きた際の備えをほとんどしていません。たとえ再稼働していなくとも、核燃料がある限り事故の可能性はあり、早急に資金的な賠償の備えを強化すべきです。

pencil 原発と人権ネッワークのホームページは
http://genpatsu-jinken.net/

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2017年2月20日 (月)

忘れません 小林多喜二が虐殺されてから84年の今日を

潮 流   しんぶん 赤 旗   2017年2月20日 

  万国の労働者や民衆のたたかいの場で歌われてきた「インターナショナル」。この革命歌が日本語に訳されて国内で初めて歌われたのは、日本共産党創立の年と同じ、1922年の秋でした▼当時の左翼文芸団体がロシア10月革命を記念する前夜祭を代々木の農家で開き、そこに集まった人たちで歌ったのが最初だといわれます。そのとき、フランス語の歌詞を訳したのが佐々木孝丸でした▼戦前のプロレタリア演劇の草分けだった佐々木は戦後も俳優として長く活躍しました。プロレタリア作家の小林多喜二とも交遊があり、多喜二が築地署で特高の拷問にあって殺されたときも築地小劇場から駆けつけています▼葬儀にも参列し、多喜二の母セキの悲しみと憤りをじっとこらえる姿や最後の別れのときの慟哭を、胸に刻み込んだといいます。
 「どんなに、どんなに水が飲みたかったやら…何の罪があって! 鬼! 畜生!」▼反戦を訴え、人びとを搾取する社会からの転換を求めた多喜
二の信念に、苦悩しながらも寄り添おうとしたセキ。彼女の半生を描いた三浦綾子さんの小説が、映画「母 小林多喜二の母の物語」になって順次上映されています▼84年前のきょう、多喜二は国民の思想と良心を弾圧した治安維持法によって殺されました。いままた、その現代版と呼ばれる共謀罪が安倍政権によって国会に提出されようとしています。権力の横暴に声を上げる人たちを処罰しようと。いまこそ、立つとき。♪いざ闘わん いざ奮いたて゛いざ―



 
2月20日がめぐってきました。
毎年この日の前後に小林多喜二のことについて考えたり学んだりします。
私は、多喜二が築地署で拷問により虐殺されたときの歳が29歳だったということに、いつも驚きを感じるのです。29歳で、あれだけの小説を書き続け、闘い続けたということに敬意の気持ちでいっぱいになります。

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2017年1月17日 (火)

豊洲新市場の抜本的再検討を知事に申し入れ 

豊洲新市場の汚染状況の全面調査及び豊洲移転の抜本的再検討を求める申し入れ

東京都知事 小池百合子 殿

2017年1月16日
日本共産党東京都議会議員団

豊洲新市場の汚染状況の全面調査及び豊洲移転の抜本的再検討を求める申し入れ

 14日に発表された201箇所の地下水モニタリング結果は、1/3を超える72箇所の井戸が基準値を超え、ベンゼンは35か所で基準を超えて最大値の基準の79倍、検出されてはならないシアン化合物は39か所で検出され最大値は検出限界値の12倍、ヒ素は20か所で基準を超え最大値は基準の3.8倍でした。全街区の井戸が、ベンゼン、シアン、ヒ素が基準を超えました。
 今回の結果は、これまでわが党が指摘してきたように、これまでの都の土壌汚染対策では、環境基準を超える汚染物質がすべて除去されたわけではなく、環境基準を大幅に上回る汚染土壌、汚染地下水が取り残されていることを示したものです。今回の結果は、想定されうる結果です。小池知事の移転延期の決断は正しかったことが、改めて鮮明になりました。
 すでに地下水は都が管理するとしていた海抜1.8メートルを大きく超えており、きれいな土と入れ替えた盛り土部分にまで上昇しています。そのため、わが党がかねてから指摘してきたように汚染された地下水によって、盛り土が汚染された可能性が強いと言わなければなりません。
 現時点で、これまでの3代にわたる知事がすすめてきた土壌汚染対策、すなわち、環境基準を超える汚染物質の除去、高さ4.5メートルにわたるきれいな土による盛り土による汚染の封じ込め、地下水の上昇を抑え管理するなど、都が進めてきた安全対策のどれもが破たん状態であることは明白になったと言わなければなりません。
 都がおこなった2015年10月の「食品の購買意識に関する世論調査」によれば、生鮮食料品購入の際の安全性の意識は90%近くが「意識している」と回答しています。国内で流通している加工品を含む国産、輸入品の青果では6割、水産では5割以上が卸売市場を経由し、水産では都内市場で扱う量の約94%が築地市場を経由しています。食の安全・安心の問題は、消費者の買い物動向、魚屋さんの売り上げ、卸売市場の取り扱い高にも影響し、市場関係者も不安を抱えています。食の安全・安心が保障されない中での築地市場の移転はおこなうべきではありません。
 以上の立場から、以下の事項について申し入れるものです。

1.これまでの地下水モニタリング調査について、調査会社、調査手法を含め全面的に検証し、都民に公表すること。

2.汚染された地下水が上昇して盛り土が汚染された可能性が高いため、盛り土の汚染調査を実施すること。

3.豊洲新市場予定地の汚染状況について、これまでの汚染調査、土壌汚染対策工事などについて、真に食の安全・安心を確保するために、専門家会議と異なる見解をもつ専門家を含めて徹底検証をおこない、公表すること。

4.当面、築地市場の必要な補修、改善を急ぐとともに、築地市場の現在地での継続を含め、豊洲移転中止について、本格的な検討を行うこと。

                            以上

 日本共産党都議団の4点についての都知事への申し入れは筋が通っていて納得のいくものです。都知事は真摯に受け入れてほしい。

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2017年1月14日 (土)

琉球朝日放送が伝えた  オスプレイ墜落から1ヵ月

http://www.qab.co.jp/news/2017011386939.html

クリックすると放送をご覧になれます。

お聞きください。

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2017年1月 9日 (月)

第9演奏にあたって  ヘルベルト・ブロムシュテット

幸せを切望したベートーベンが音楽で伝えたかったこと
「第9」の魅力を解き明かします  
ヘルベルト・ブロムシュテット氏に聞く


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 誰もが「歓喜の歌」という題名にひかれます。幸せになりたいという気持ちがあるからです。しかし、ベートーベンは大変に不運な人でした。耳が不自由であるということは、音楽家にとってどんなに苛酷なことか。頭の中で想像するだけで、実際の音を聴くことができない苦しみ。聴覚に問題のない状態で作曲した交響曲は第一番だけなのです。第二番を書き上げたときには、既に聴覚が失われ始めていました。これは大きな悲劇です。
 私たちは悲劇に打ち勝つことができる人を尊敬するのです。悲劇や悲惨な出来事は悲しいものですが、それを機に新しいスタートを切ることもできます。第9は耳が聴こえないベートーベンだからこそ生まれた作品だと思います。そして音楽の質の高さは言うまでもありません。
 第1番の演奏時間は25分であの時代の交響曲の標準です。第9はその倍以上の長さです。スケールが大きいというだけでなく、中身も凝縮されていて多くのことを語っています。

 第9の全体を通したテーマは喜びです。
第1楽章は創造する喜びを表現しています。第2楽章はまた別の喜び、ディオニュソス的な半狂乱の喜びの表現です。第3楽章は歌心たっぷりの叙情的な緩徐楽章です。叙情と美しさに満ちた、心安らぐ楽章です。最後の方には穏やかさを破る瞬間があります。人生は平穏な時ばかりでなく、厳しいこともあると思い出させるためです。穏やかな主題と同じ音程を使いながら、人間はいつか死ぬ、不幸が訪れることもあるという警告を発しています。この美しい緩徐楽章に、人生は美しいだけでなく、困難なこともあるという意味も与えています。それだけに楽しい瞬間がきわだつのです。この楽章は本当にすばらしい。ずっと演奏していたいくらいです。最後は穏やかに終わります。
 ベートーベンはお得意のこのモティーフを反転しこのくらいテンポを落として用いるのです。究極の平和を得たという印象があります。仏陀も求めた極致です。
 涅槃(ねはん)に達し欲を持たず、解脱することで幸せになる。第3楽章の後はそんな気持ちになります。しかし、直後におぞましい和音が来ます。ひどい不協和音です。何のためでしょうか?(第3楽章では)試練や戦争、困難のあとには究極の平和が訪れると言いたかったのです。あまりに美しく心地よいので、居眠りをしてしまいそうになります。
 そこで人生は楽ではないと私たちの目を覚まさせるのです。私はこれを地獄の和音と呼んでします。管楽器がいっせいに「変ロ音」を演奏します。しかし、ティンパニはその半音「イ音」を叩き耳障りな不協和音が響きます。そして、美しいい心なごむメロディーが現れます。
 王ではなく普通の人が地道に歩んで行くような、隣り合った音でできた歌いやすいメロディーです。冒頭の人間を象徴するメロディーの音程を変化させたものです。崇高なのにとてもシンプルで5つの音だけでできています。これよりは上には行かず1回低くなるだけ、限られた音域で歌いやすいのです。極めて美しく計算されたメロディーです。単なる思いつきではなく、熟考を重ねた結果です。オーケストラがかなり長く展開したあと、また地獄が訪れます。これまで何回か繰り返されてきた、あの恐ろしいメロディーです。その後、バリトンの独唱が始まります。
 私はこんな音楽を聴きたくない、もっと楽しい幸せな音楽が聴きたいのだと歌います。
これはドイツ語の歌詞の意訳で、ちなみに歌詞はベートーベン本人のものです。
その後に、シラーの詩を引用した長い楽章となります。シラーが書いたのは、30ほどの節からなる長い詩で、そのうちの喜びに関する3節か4節を歓喜の歌に引用したのです。これは喜びへの賛歌です。
 そこかしこに喜びはあり、それを手にいれるために努力し、大切にするようにと合唱が加わり歓喜の歌を歌います。フーガと合唱の同時進行です。合唱とオーケストラが表すそれぞれの喜びを見事に組み合わせています。
 それから間があって、まったく新しい神に関する詩が歌われます。
神はどこにも存在し、人間とコミュニケ―ションを取っていると、音楽で見事に表しています。
 フィナーレはディオニュソス的な半狂乱の喜び、オーケストラがとても速いテンポで、人間の主題を奏でます。そして、合唱が神の主題を歌います。ものすごい高揚感です。
合唱とオーケストラが感極まり、オーケストラが速いテンポで主題を数小節奏でます。
それで終わりです。
 冒頭で使われた音程で締めているのです。見事なまでに計算されています。耳の不自由な天才音楽家の作品です。幸せを切望したベートーベンが音楽を通して示したのは、次々に悲劇に見舞われたとしても、幸せになることはできるのだということです。
 ぜひお楽しみいただければと思います。

clover 写真の画面をクリックすると大きくして見れます。

指揮:ヘルベル卜・ブロムシユテット

1927年にアメリカで生まれ、その後、両親の祖国スウェーデンに移住した。ストックホルム王立音楽院からウプサラ大字に進み、さらにジュリアード音楽院で指揮法、バーゼル音楽院で古楽を字んだ。1954年ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビュー。オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、スウェーデン放送交響楽団、デンマーク放送交響楽団、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の首席指揮者を歴任した。1985年からサンフランシスコ交響楽団、1996年から北ドイツ放送交響楽団、1998年からライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の、それぞれ音楽監督を務めた。NHK交響楽団には1981年から客演を重ね、現在は同楽団名誉指揮者の称号を贈られている。2016年、日本放送協会放送文化負を受賞。

〇ディオニュソス
ギリシャ神話で、酒の神。もと、北方のトラキア地方から入ってきた神で、その祭儀は激しい陶酔状態を伴い、ギリシャ演劇の発生にかかわるともいわれる。ゼウスとカドモスの娘セメレとの子。バッカス。
〇涅槃(ねはん)
煩悩 (ぼんのう) の火を消して、知慧 (ちえ) の完成した悟りの境地。一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地。

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89歳の巨匠が万感をこめて第9にいどむ
ヘルベルト・ブロムシュテット89歳 世界で最長老の指揮者のひとり
N響と「第9」を共演するのは1985年以来。
31年ぶりとなる今回の「第9」 ― しかし、その演奏は大きく様変わりしていた。

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 第一楽章は作曲する喜びだと思います。
短い2つのモチーフだけで音楽を組み立てる喜びです。
 第2楽章スケルツォはドラマチックで情熱的、陶酔的で悪魔的な喜びを描いています。
 パンパラ パンパラ パンパラ パンパラ
一番好きなのは、ゆったりしただ3楽章。平和の喜びにあふれています。

1985年には楽譜の新しい版がまだなく、150年ほど前からの楽譜を使っていました。19世紀の頃からずっと使われていた版です。今使っている版は、1990年代に新しく出版されたものです。またベートーベンの“意図”を伝える多くの資料も見つかっています。音楽家は良心に従い、なるべく原典に忠実であるべきだと思います。今の私は昔よりも作曲家の“意図”に忠実な演奏ができるようになりました。それに、周りのことを気にしなくてもいい歳になりました。フルトヴェングラーの倍のテンポで演奏していると言われても平気です。ベートーベンの“意図”に従っているという自信があるからです。

ブロムシュテットは、ベートーベンが音符に託した“意図”ひとつひとつを演奏前の練習で解きほぐしていきます。
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コンサートマスター 伊藤 亮太郎氏

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(ブロムシュテットは様々な指示を書き込んだ譜面を事前に渡していた)
あるフレーズで、センサビブラートと言って〝ミブラートかけないで〟っていうふうに書いてあったんですね。まあ、そこのフレーズは、けっこうきれいなフレーズなので普段はけっこう、良い音でと思って、ミブラートかけたりするんですけど、それを確認して、多分2小節ぐらいかなと思って質問して「どこまでかけない方法で行きますか」と聞いたら、意外と長くて8小節あったりして、最初、びっくりしたんですけれども、その後、実際に音を出してみたら、本当に、作品の真の姿というのが、自分が聴いていてもよく伝わって来て驚きの経験になったんです。

第1バオリン 齋藤 真知亜氏

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彼の音楽の中に、われわれよくメロディーに目が行ってしまいますけども、メロディーではなくそのメロディーを細分化したモチーフ、タターンとうのとタラーという二つの音がものすごく少ないモチーフですよね。それが、オーケストラのなかにどう点在しているのかということを完璧に把握していらっしゃるので、それを楽器のそれぞれの特徴に合わせて、どれだけ表現をさせるかみたいな感じですね。だから、なんか、へたをすると、うまく言えないんですけど、ピカソの絵みたいな感じで、ここは象徴する、ここは象徴するって、本当に一つの顔をいろいろなところから見て、それを結果として立体的に音楽が構築されているという、そんな感じだと思います。

ブロムシュテット
(ディテール 全体の中の細かい部分。細部。)
経験を重ねると表現する上で、ディテールがいかに大切かわかってきます。たとえばダイナミックス、一つのフレーズの中で一番大切な音はどれか、フレーズの中でどこで強めるかどこで弱めるか、これは譜面には書かれていないこともあります。“弱音”と書かれている場合でも、すべての音を同じくらい弱くという意味ではありません。弱い中にも立てるべき音があります。でもそれは自分で見つけなければなりません。音楽そのものにある光と影、緊張と弛緩(しかん)、それが音楽を生き生きさせるのです。

(合唱の練習で)
 第9を聴きに来る人は、音楽好きもそうでない人でも何か美しいものを聴きたいと、抱きしめられる感じを味わいたいと思って来るのです。

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何よりもまず伊藤亮太郎さんと固い握手
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 毎年、暮れになるとベートーベンの第9が演奏されます。
私は演奏会に参加したことはありませんが、第9を必ず聴くようにしています。
2016年のNHK交響楽団による演奏会が12月21日に開催され、31日の夜に放送されました。紅白歌合戦とダブり録画しておいて1日にじっくりと聴きました。2回も聴きました。
 聴いていて感覚ですが「いつもの第9演奏とは違うのでは」と思いました。
何が違うのか、それは指揮者のヘルベル卜・ブロムシユテットでした。
 第9の演奏が終了したあとブロムシュテット氏は演奏した楽団員と合唱団に繰り返し握手とエールを送り続けたのです。いままでにこれほどに、演奏者を称えた指揮者はいたでしょうか。この姿に私は感動し、涙があふれてきました。

 私はヘルベルト・ブロムシュテット氏について全く知りませんでした。
第9演奏会を聴いたことで、にわかに「どういう人だろう」とネットで情報を集めました。
その結果が上記の内容で、自分一人のものにしておいてはもったいないので、ブログに掲載しました。いままで、第9の内容にまでは深く入っていなかった私ですが、ブロムシュテットの第9演奏に出会えてよかったと感謝の気持ちです。

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